ナントカ堂 2021/07/13 19:57

王彦昇

wikiの「趙匡胤」の項に
「陳橋の変の際、王彦昇が禅譲を妨げようとした副都指揮使の韓通を勝手に殺したことを責め、助命したものの、節鉞(征伐の将軍に与える割符)を決して与えることはなく」
とありますが、韓通殺しが無くても、こんな人に全権を与えられるわけがありません。
以下 『宋史』巻二百五十「王彦昇」より。


 後に王彦昇は京城巡検となった。ある夜、王彦昇が家に来たため、王溥は驚いて外に出た。王溥が落ち着くと、王彦昇は言った。
 「今晩の巡警はかなり大変だ。公に酒を一杯貰いたい。」
 王彦昇は賄賂を求める意図であったが、王溥は分からないふりをして酒席を設け、数杯飲んでから終わりとした。
 翌日、王溥が密かにこのことを報告したため、王彦昇は唐州刺史として外に出された。

 乾徳の初め(963)に申州団練使に昇進し、開宝二年(969)に防州防禦使に改められて、同年冬に原州に異動となった。
 西人で漢の法を犯した者が居たが、王彦昇は処罰しなかった。部下を集めて酒宴を催すと、犯人をその場に引き出して手で耳を千切り、噛み砕いて杯の酒と共に飲み下した。犯人は体中血まみれとなり、部下たちは股慄して動けなかった。前後して耳を食われた者は数百人、西人はこれを畏れて、敢えて原州に攻め込むことは無かった。

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

最新の記事

記事のタグから探す

月別アーカイブ

限定特典から探す

記事を検索