ナントカ堂 2024/04/07 00:19

韓侂胄の意外な一面

以前に童貫について、『宣和画譜』巻十二からこのような記述を訳しました。


 父の童湜は優雅で絵画を所蔵するのを好み、当時の名手の易元吉・郭熙・崔白・崔慤らに生活費を与えて、代わりに絵を供されていた。
 童貫は父の傍らに在って優れた作品を見ていたため、その妙技を会得した。次第に胸は高鳴っていったが、そのことは秘密にしていた。
 時折、傍らに筆と墨があると、戯れに山林泉石を描き、気の向くままに筆を走らせ、気持ちが落ち着くと止めていた。人がそれを持って行こうとすると、取り返して破っていた。興が乗って部下から揮毫を求められると、紙の裏や断片に書き、直ぐに仕舞われて再び人々の目に触れることは無かったため、全て珍玩となされた。このため希少価値があった。書き方は瀟洒で簡易、自由に描いて人に気に入られようとはしなかった。



 韓侂胄も絵画を描いていたようで『図絵宝鑑』巻四にこう記されています。


 韓侂胄は嘉泰年間に平章太師となった。水墨で竹石を描くのを得意とし、大葉と琅玕を描いて自ら太師と称した。 竹巻軸上に「安陽開国」の印記を用いた。

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