蔭位と進士
『宋史』巻三十四「孝宗紀二」の乾道八年二月丙寅条に、「戸部尚書の曾懷に進士出身・参知政事を賜った。」とあります。
ということはこの人、蔭位で出仕して戸部尚書になり、格好がつかないから進士の肩書を貰ったのでしょう。翌年には右丞相になっています。
それならむしろ蔭位である事を貫いている韓侂冑の方が潔い気がします。
宋代だと、詩を献じて帝に気に入られたから進士とか、推薦されて宮中に召されその場で試験を受けて進士とか、これってどこまでが情実なのか分かりません。
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