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2015年 08月の記事(1)

ナントカ堂

ナントカ堂 2015年08月02日 15:32

明太祖の母方の祖父

明の太祖の父方については壇上寛の『明の太祖 朱元璋』その他に記されているので良く知られていますが、母方については管見ながら見たことが無いので、『鑾坡集』所収の、外祖父を王に追封して作成した『大明追崇楊王神道碑銘』より訳しましょう。

王の姓は陳氏で、代々維揚の人、諱は分からない。宋末に軍籍に入れられ、祥興帝に従う大将の張世傑に付いて南海に駐留した。至元己卯(1279)春、張世傑は元軍と戦い総崩れとなり、士卒の多くが溺死した。王の舟もまた風のために破損したが、幸いにも死地を脱して岸に着いた。共に流れ着いた一、二人とともに、石を積み上げて壊れた釜を支え、残された食糧を煮て飢えをしのいだ。その後食糧が尽き、良い考えも浮かばなかった。このとき共に流れ着いた者がこう言った。「われらはこのままでは死を待つだけだ。兵の死体の山の中には馬の死体も紛れ込んでいると聞いたことがある。一緒にそれを煮て食べよう。このまま死んで餓鬼となるよりはましではないか。」王は行こうと思ったが極度の疲れのために、昼間であったが眠ってしまった。すると夢に一人の白い衣を着た人が現れ王にこう言った。「汝は遠慮して馬肉を食べないように。今夜船が来るのでそれに乗れ。」王はたまたまそのような夢を見たのだと考えてあまり信じなかったが、まもなくまた同様の夢を見た。夜半になって、夢で、櫓のような音がして、紫の衣を着た者が杖で王の腿に触れ「船が来たのにどうして起きないのか。」と言った。王は驚き目を覚ますと、いつの間にか舟中にいた。見ると以前の上官であった。その上官はこのときすでに元に降って将となっていた。元はこのとき反乱を恐れて船をしらみつぶしに調べ、降伏していない宋兵を水中に投げ捨てていた。上官は王を憐れに思い、急いで船板の下に隠した。上官は毎日板の隙間から食べ物を投げ入れ、王はこれを掬って食べた。上官は王と合図を決め、足で板を揺らしたとき、王が隙間から口を突き出して飲み物を飲んだ。それから数日経ってこのことがばれ、二人ともどうして良いか分からずおろおろした。すると突然船に暴風が吹きつけ、船はくるくる回転し、長時間進むことができなくなった。元の将は大いに恐れ、祈りで嵐が収められる者を探し回ったが誰もいなかった。上官は王が巫術を得意とすることを知っていたので、元の将に申し出て連れてきた。王は天を仰いで歯を鳴らすと、鬼神に命令するようなしぐさをした。すると突然風も波も収まった。元の将は喜んで共に飲食し、通州に着くと数匹の大きな魚を王に贈り、岸まで送った。王は維揚に帰ると、兵士にされるのを嫌って、クイに移り、よい地を選んで住み、巫術を生業とした。王には男子が無く、娘が二人いた。長女は季氏に嫁ぎ、次女がすなわち皇太后である。晩年に季氏の長子を跡継ぎとし、九十九年で薨去した。

太祖が生まれたときに赤い光が云々はこの呪術師の祖父の影響かもしれませんね

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