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2015年 06月の記事(1)

ナントカ堂

ナントカ堂 2015年06月20日 18:48

明太祖のちょっといい話

太祖はブ州を降すと、王興宗を金華知県とした。王興宗は元は奴隷であったので、李善長と李文忠はともに不可とした。太祖が言った。「興宗は長い間私に従っており、勤勉実直で決断力もあり、儒生や官吏で興宗より優れた者はいない。」知県となって三年、果たしてその統治は好評であった。南昌通判に異動となり、のちに知嵩州となった。このころ民を兵に編入しようということになったが、王興宗は太祖にこう言った。「元末に結束した民は兵となり、離散した者は民となって、今や兵と民は区別されております。もし民を兵に編入すれば、民は居なくなり、どこから税を取ればよいのでしょうか?」太祖はこの意見をよしとした。それから懐慶知府に異動となった。王興宗が都に報告に来たとき、帝は諸郡守の報告に対し厳しく問い詰めていたが、王興宗が報告する番になるとただ「守公は勤勉で貪る所が無い。問うことも無かろう。」とだけ言った。それから蘇州に異動となり、河南布政使(従二品)に抜擢された。赴任する際、挨拶に行くと、太祖は「長らく会わないうちに老いたな。私もまた白髪となった。」と言って、宴会をしてから任地に赴かせた。王興宗はます職務に励んだ。後に事件に連座したが無罪であることが証明され、在任のまま卒去した。(『明史』巻百四十)

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