王雱
日本語版のウィキペディアの「王雱」の項を見ると「野史記載」という箇所が書きかけのようなのですが、私はウィキペディアに書き込むやり方がよく分からないのでここに描きます。
以下出典は『東軒筆録』巻七から。
王安石の次子の王雱は太常寺太祝となったが、もともと心の病があった。
同郡の龐氏の娘を妻とし、翌年、子が一人生まれたが、王雱はその顔が自分に似ていなかったため、様々な手段を用いて殺そうとし、遂には自分自身が心臓が止まって死んだ。妻とは毎日喧嘩をしていた。
王安石は「我が子が正気を失い、妻には罪が無い」と考えて、離婚させようと考えていたが、悪評が立つのを恐れて、他に婿を選んで嫁がせた。