ナントカ堂 2021/05/23 13:06

趙普の子孫

 宋が、後周の皇帝の子孫の柴氏を優遇したことは良く知られていますが、建国の功臣である趙普の子孫も優遇していたようです。
 以下、『建炎以来繋年要録』から。


 紹興元年(1131)正月己未、詔に曰く。「趙普は太祖を補佐した元勲で、漢の蕭何にも匹敵する。子孫を訪ね才能を見て登用すべきである。」
同月辛酉、直筆の詔に曰く。「朕は、太祖皇帝が建国して万世まで続くようにしたことを思い起こした。太祖は『趙普の子孫一人を安定郡王に封じ代々絶やすことの無いように』との詔を下された。それが宣和の末に、太常と礼部の意見が分かれたため、安定郡王に封じる決定がなされずに今に至っている。朕はこのことを甚だ残念に思う。そこで担当官らは、誰を安定郡王に封じるか意見を合わせて上奏し、慣例に則り実行するように。」(巻四十一)

 紹興五年七月丙申、承節郎の趙圭を承忠郎・閤門祇候に昇進させた。これ以前のこと。高宗は「趙普が太祖を補佐した元勲で、漢の蕭何にも匹敵するのに、子孫は落ちぶれている」として、「所在を探し能力を見て登用するように」と命じた。趙圭は趙普の五代目の子孫である。(巻九十一)

 紹興五年八月己酉、詔に曰く。「趙普は建国に際して太祖を補佐し、他の勲臣とは比にならないほどの功績である。その五代目の子孫は六つの系統に分かれているが、各々二人に官職を与えるように。」(巻九十二)

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