南宋の耶律氏
『宋史』巻三百八十九の尤袤伝に、紹熙元年(1190年)のこととして
耶律シボク(シはしんにょうに舌、ボクは口偏に黒)を承宣使とした
との記事があります。
この人物について他に史料が無いため何とも言えないのですが
遼滅亡から65年、金でも章宗の時代となっており
30年前の海陵王の時代の天祚帝の子孫皆殺しなどの影響で耶律姓はほぼ移剌姓に改めています
どの段階で南宋に来たのか、どれくらいの規模で耶律一族がいたのか全く不明
今回は投げっぱなしになってすみません。
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