ナントカ堂 2014/02/26 00:11

海陵王(3)


これらの粛清で右腕として働いていたのが蕭裕ですが、この蕭裕に裏切られたことにより海陵王は深い人間不信に陥りました。
蕭裕は海陵王が中京留守だったころから親交があり、海陵王を太祖の直系で人望もあるのだからとそそのかして帝位に即かせました。その後、右丞相兼中書令となって天下を差配するようになり、一門も要職に就けました。しかしその専横を憎む者も多かったので、海陵王はその非難の矛先をそらすために蕭裕の弟の蕭祚を左副点検から益都尹に、妹婿の耶律辟離剌を左衛将軍から寧昌軍節度使へと地方に出してしまいました。これを自分が排除される前触れではないかと不安に覚えた蕭裕は、天祚帝の孫を担ぎ出して謀叛を起こそうと企みます。この謀叛計画について複数の経路から報告を受けた海陵王はそれが信じられず、押される形でしぶしぶと蕭裕を取り調べることになります。その場面が『金史』巻百二十九にこのようにあります。



海陵王は宰相を遣わして蕭裕に問い質させた。
そこで蕭裕は罪を認めた。
海陵王は大いに驚愕しながらもなおそのことが信じられず、蕭裕を引見して自ら問い質した。
蕭裕が言った。「一人前の男がやったことです。ことここに至ってどうして隠し通すことができましょうか。」
海陵王はさらに尋ねた。「汝は朕に何の怨みがあってこのようなことをしたのだ?」
蕭裕が言った。「陛下は大概の事はみな臣とともに協議しましたが、蕭祚らを都から追い出すことは臣が知らないようにしました。省を統括する重臣や王の身分にある皇族がことあるごとに陛下に、臣が権力を専有して外部の意見を妨げていると言っておりましたが、臣は、陛下がその意見に納得したのではないかと恐れました。陛下は唐括弁と臣とともに生死を共にすると約束しましたが、唐括弁はその不遜な行いのため暗殺される羽目になりました。臣はどちらの出来事もよく知っており、自分も思いがけず殺されるのではないかと思って、このたび謀叛を企てて身の危険を逃れようとしたのです。太宗の子孫は罪無くしてみな臣の手にかかって死にました。そのようなことをした臣は死ぬのが遅すぎたとは思いませんか?」
海陵王は蕭裕にこう言った。「朕は天子である。もし汝に疑いを持ったなら、汝の弟が朝廷にいたとしても、どうして汝を排除できないことがあろうか。その件で私を疑ったのは汝の勘違いである。太宗の諸子を殺したことはどうして汝一人に責任があろうか。朕が国家の計として行ったことである。」
さらにこう言った。「昔から私と汝は仲良く付き合ってきたのだ。このような罪を犯したことは確かだが、いましばらく猶予を与えよう。ただ宰相にしておくことはできないから、汝は生涯、自分の先祖の墓を守るようにせよ。」
蕭裕が言った。「臣はすでにこのように叛逆を犯したのです。何の面目があって天下の人に顔向けできましょうか。ただ願わくば絞殺して、他の不忠者への戒めとしていただきたい。」
海陵王はついに刀で自分の左臂を刺し、その血を取って蕭裕の顔に塗りこう言った。「汝は死んだ後、朕が本心から汝の心を疑っていなかったことを知るだろう。」
蕭裕が言った。「永い間陛下より特別のご恩を蒙り、想い出すだけで切なく感じ、自らの思い違いを知るに、悔やんでも悔やみきれません。」
海陵王は声を上げて泣き、蕭裕が門を出るまで見送り、これを殺した。


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