ナントカ堂 2014/02/26 22:00

海陵王(4)

wikipedia曰く
「嫡母の徒単氏は海陵王に諫言したが、海陵王は「私に楯突くこの目障りな老婆を焼き殺してしまえ!」と罵って、この年老いた嫡母を焼き殺した挙句、」



これはひどい(笑)
というか『金史』巻五の「海陵本紀」には、宋討伐を諌めた徒単氏を殺してその宮を焼いたことしか出ていないのに、一体どこからこんな会話が出てきたんでしょう?
小説か何かでしょうか?
徒単氏が殺されるまでのいきさつは詳しくは『金史』巻六十三「后妃伝」の「海陵嫡母徒単氏」の条に出ていますが、ここにかいつまんで記してみます。



①宗幹の正室の徒単氏は子がいなかったため、海陵王とその兄の充を実子同様に扱った。
兄の充は酒癖が悪かったため疎まれ、海陵王は賢かったため愛された。
海陵王は徒単氏が女真の名族の出で正室。実母の大氏は渤海人で側室という身分の差があったため常に気に病んでいた。
②海陵王が熙宗を殺すと、臣下の分を越えたとして、徒単氏は海陵王の即位を祝わず、海陵王はこれを怨んだ。
③徒単氏の誕生祝の宴会が催され、このとき海陵王の実母の大氏が祝いの言葉を述べたが、徒単氏はこれを無視して他の者と談笑し、大氏は長時間跪くことになった。海陵王は怒って退席した。
翌日、海陵王は徒単氏と談笑していた者たちを鞭打とうとしたが、大氏がこれを諌めて止めさせ、海陵王は徒単氏をますます憎むようになった。
④海陵王は中都に移り、徒単氏は上京に残った。
⑤大氏が病死。いまわの際に、徒単氏と仲直りして、自分にしたと同様に孝行するよう遺言する。
⑥海陵王が徒単氏のもとに出向き、鞭を捧げて跪き、今までの非礼をわびて、罰として鞭打つよう願い出る。
徒単氏は「度量の広さ」を見せて海陵王を許し和解する。
⑦徒単氏が外出するときは、海陵王は先導役を務めて恭順の意を表す。
ご機嫌伺いのため頻繁に徒単氏の宮に出向くが、宋討伐を決めると、会うたびに中止を求められて不満を溜めていく。
⑧宋討伐を前にして、徒単氏が軍のトップの僕散師恭を呼び出し、海陵王の無謀さを嘆く。
これを密告する者があり、海陵王は、兄の充の4人の子が立派に成人していること。僕散師恭の兵は王宮の近くにおり、徒単氏と僕散師恭は結びついていること。徒単氏はなんとしてでも宋討伐をやめさせようとしていること。などの状況から政変を起こされると判断して先手を打つことを決断。
⑨側近を呼び集め、「太后に会ったら詔があると言って頭を下げてさせ、頭を下げたら苦しまないよう速やかに撃ち殺すように。」と指示。
⑩徒単氏の宮に乗り込んで打ち合わせ通りに徒単氏を殺害。徒単氏の側近を殺して宮に火をつける。


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