張茂則の孫娘
つい先日、『宋史宦者伝』の修正を出したのに、また新たに修正を出すのは心苦しので、ここに書き込みます。
張茂則は割と有名人らしく、ネット検索すると色々記事が出るので、本人については割愛します。
先日修正分には、『元祐党人伝』から下記の記事を加えました。
張巽は開封の人で、父の張茂則は『宋史』宦者伝に伝がある。元豊年間に左蔵庫副使となった。
父の張茂則が宿衛と宮省にて四代の皇帝に仕えて清廉で慎ましく忠実に務めたことに報いるために、元豊八年に張巽を西上閤門副使とした。
紹聖年間に客省副使に改められたが父の罪に連座して皇城副使に改められて鄧州都監として地方に出され、崇宝三年に党籍に入れられた。
『范太史集』巻四十八を見ていたらこのような記事がありました。
『右監門衛大将軍妻寿安県君張氏墓誌銘』
君張氏、曽祖父の永和は贈太尉、祖父の茂則は入内内侍省都都知・寧国軍節度観察留後、父の巽は客省副使、母は寿昌県君の高氏。十九歳で右監門衛大将軍の士宥に嫁いだ。
貞淑で容姿に優れ、祭祀を行って礼に違うことなく、家をよく治めて寡婦の姑に朝夕怠りなく仕えた。
元祐五年三月戊辰に二十二歳で亡くなった。娘が一人いたが夭逝した。(後略)
この巻四十八は「皇族墓誌銘」と題されており、張茂則の家系が皇族と通婚する格式を持っていたことが分かります。