ナントカ堂 2022/11/30 00:34

黎利

日本語版のwikipediaの「黎利」の項に、『明実録』の「利初從陳季擴反,充偽金吾將軍,後束身歸降,以為巡檢,然中懷反側。」の訳として「黎利は表向き明に降り、巡回活動を行いながら、その実明への反乱を企図していた」とあるのですが、多少誤訳気味な気が。
相変わらずwikiの編集の仕方が分からないからここに書きます。


『明実録』の上記の記事の直前はこう書かれています。
「交阯總兵官豐城侯李彬以清化府俄樂縣土官巡檢黎利叛遣都督朱廣等往勦之」
(交阯総兵官・豊城侯の李彬が「清化府の俄楽県土官巡検の黎利が叛いた」と報告したため、都督の朱広らを討伐に向かわせた)
同様の記述は『殊域周咨録』巻五にもありますが、巡検はwikiの「明朝の官職」の項にあるように従九品の官人です。
『大越史記全書』には、明からの官爵による懐柔に惑わされず、山中に潜伏して仲間を集めたと記しますが、実際には当初土官として明の統治に組み込まれていたようで、黎朝の「建国神話」としては相応しくない事実であるため改変されたのでしょう。
またwikiには「明内臣馬騏等大舉兵」の訳として「明軍は内大臣の馬騏を派遣したが」とありますが、内臣とは、外廷つまり表の朝廷に対する、内廷つまり後宮の臣で、宦官のことです。

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