楊復恭補遺
コロナによる自粛とはいえ、私のような低い身分では普通に働かなくてはならず作業速度も相変わらずの遅さです。
それはさておき『両唐書宦官伝』を書いた後、楊復恭について多少分かったのでここに記します。
定策国老で有名な楊復恭は、没後に李克用により名誉回復がなされ、楊復恭を叔祖父とする楊希朗は後唐の荘宗の時代に学士となり寵遇されたことは、既に『両唐書宦官伝』の補説に書きました。
他に子孫(養子として繋がっているもの)として『宋史』巻二百八十七の楊礪がいます。その伝の初めに
曽祖父の楊守信は唐の山南西道節度使・同平章事で、もとは宦官の楊復恭の仮子である。祖父の楊知礼は後唐の均州刺史。父の楊仁儼は蜀に入って王氏に仕え丹稜令となり、蜀が平定されると渭南主簿に任じられ、累進して永和令となった。
とあります。
また楊復恭は友人の王彦真の墓誌を書くほど文才があったと書きましたが、『宋史』巻二百八・文芸志七に、楊復恭の著として『行朝詩』一巻が宋代には残っていたことが記されています。