高麗の賜姓
渤海王族の大光顕が高麗に帰順して王姓を賜ったことは有名で、他に王姓を賜ったのは太祖の時代の王儒と王順、成宗の時代の王可道がいます。
これとは別にいわゆる「徳化」の目的で女真に賜姓したことが『高麗史』巻九の文宗二十七年二月乙未条に見られます。
乙未、東女真の帰順州都領の大常古刀化、副都領の古舎、益昌州都領で帰徳将軍の高舎、都領の黔夫、氈城州都領で奉国将軍の耶好、帰徳将軍の呉沙弗、恭州都領で奉国将軍の多老、番長の巴訶弗、恩服州都領の元甫阿忽、都領の那居首、温州都領の三彬阿老大、誠州都領の尼多弗らが領民を率いて内附し、郡県となることを願い出た。
古刀化に孫保塞、高舎に張誓忠の名を賜り各々懐化大将軍の地位を与え、耶好に辺最、多老に劉咸賓の名を賜り各々奉国大将軍の地位を与え、呉沙弗に魏蕃の名を賜り懐化将軍の地位を与え、阿忽に揚東茂の名を賜り帰徳将軍の地位を与え、古舎に文格民、黔夫に康績、巴阿弗に盧守、那居首に張帯垣、三彬に韓方鎮、阿老大に高従化、尼多弗に趙長衛の名を賜って各々大常の地位を与えて、地位に応じて物を賜った。