ナントカ堂 2023/07/09 13:24

偽善者・海陵王

 海陵本紀の論評にこうあります。


 海陵王の在位は十数年、常に偽りの態度を見せて臣下を制御していた。
 食事にガチョウを供さないよう命じて倹約を示しながら、遊びの狩りをした。突然、獲物を求めたために、民間ではガチョウ一羽が数万銭にもなり、また牛一頭とガチョウ一羽を交換することもあった。
 或いは破れた服を着て近臣に見せたり、繕った服を着て、記録官に見せたりした。
 或いは兵士たちの食事と同時に自分の食事を供させて、兵士がほぼ食べ終わるまで待ってから自分が食べた。
 或いは民の車がぬかるみに嵌まっているのを見ると、衛士に命じて下から曳かせ、車が出るのを待って後から進んだ。
 近臣と歓談すると、いにしえの賢君を引いて自分に例えた。目立つように大臣を譴責して、直言するよう促したが、張仲軻のような輩を諌官とし、祁宰は直諌して殺された。つまらぬ者と慣れ親しんで官職と褒賞を惜しみなく与え、側近に欠員が生じると、誰かが名を挙げただけで直ちに高い地位を与えた。常に寝所に黄金を置き、気に入った者がいると掴み取りさせた。


 偽善と言われればそうなのでしょうが、善人に見られようと思って行動したことは、私はそれほど悪いとは思いません。
(文中に「祁宰は直諌して殺された。」とありますが、金で初めて目安箱を置いた人の行動としては疑問で、或いは前に書いた施宜生のように作り話なのかもしれません)
 海陵王は兵士や庶民に対してはこのようなことをしています。


天徳三年九月十三日、燕京の役夫に一人当たり白絹一匹を賜った。
貞元三年八月九日:起工式を行い、役夫一人につき絹一匹を賜った。
貞元四年十一月十日:貞元四年の租税を免除し、長期間駐屯地に居て交代していない兵士に、一人当たり絹三匹と銀三両を賜った。
正隆四年四月十七日:山東路の泉水と畢括の両営に、兵士への食糧支給を増やすよう命じた。
正隆五年八月二十六日:帝が山陵に参拝した。途中で、田で収穫している人を見掛け、今年の豊凶を尋ね、衣服を賜った。


最後の記事などは気さくな人だったように思えます。
『大金国志』巻十四でも正隆二年の夏のこととして


 夏、河南の州郡は造営に功労あり、新たな領民も援助すべきであるとして、使いを出して現状を視察させ、困窮者を救済した。また各地で水田を補修し、灌漑の水路を通した。


と記されています。
 また同じ『大金国志』巻十四には正隆六年の出兵直前に、海陵王が河南についてこう発言したことが記されています。


「この地方では毎年民間の食糧備蓄が多く、今年も豊作である。馬は田と田の間で飼えばよい。仮に今後二年間不作であったとしても、問題は無いはずだ。」


 なお『金史』列伝七「胙王」には、大定十三年六月丁巳に諸王と会食した際、世宗は、「ある者は『海陵王は有能だった』と言うが、それが何だというのだ。」と切り出して海陵王の不道徳を論じていますが、没後十三年経っても陰ではこのように言う人がいたようです。

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