白溝河の戦い
https://ci-en.net/creator/4314/article/archive/2015/10
↑以前にこのようなことを書きましたが、やはり建文帝側は兵糧不足で敗走したんだろうなと思うのが、『空同集』巻三十八のこの記述。
私が聞いたところでは、白溝河の戦いのとき、糧道が断たれ、馬を煮て革を食いロバも食べた。ロバを食い尽くすと更には人も互いに食い合い、死体が山のように積み重なった。
公式な史書だと、白溝河の戦いは作戦が上手く行き華々しく勝利したような書きぶりですが、実際にはただでさえ兵糧不足のところを大軍を動員したため飢餓に陥り、まともに戦うどころでは無かったんだろうな、と思います。
日本でも、西国で飢饉が起こって平家が都を追われ、入京すればどうにかなると思っていた木曽義仲が略奪せざるをえず人望を失い、豊作だった関東の頼朝が兵站を確保しながら戦ったために天下を取ったのと同じことです。