ナントカ堂 2016/09/19 01:01

衛選簿と家譜

達雲は『明史』巻二百三十九に伝がある人物ですが、『明史』だけを見ると涼州衞で代々指揮僉事であったことのみ記されていてその先祖は良く分かりません。
ただ↓こちらを見ると先祖は哈密
国の人であった者が登用されたものとわかります


達雲の家系の分の衛選簿は現在残っておらず、家譜などからその世系がうかがい知れます。

蘇克明は達雲とは違って正史その他主要文献に名が無い人物ですが元朝皇族の末裔で平山衛指揮使であったことが判ります。


虎姓についても「歴史名人」の項にある人々は現存衛選簿には残っていないので家譜に拠ったものと思われます。


また「明代徽州汪公入黔考」は、隋唐から続く徽州の名門である汪氏の家の八男が、洪武帝に従って軍功を挙げて貴州の百戸となり、その子孫は世が武から文に重きを置くようになったのに連れ、百戸という身分・収入の保障を確保しつつ、一族から科挙合格者を輩出していく様子が記されています。

衛選簿もまだまださまざまなアプローチが出来る史料ですが、中国ではそこからさらに踏み込んで、家譜などから個別の武官家系の明代における動向を調べているようで、更なる実像の解明(どうしても文官が記す史書は武官に対しておざなりになっているようで)が期待されます。

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