ナントカ堂 2014/05/14 22:42

移剌氏

『契丹国志』の「雑談」で移剌氏について書いた際、「移剌」は下級の役職の名から来ているのではないでしょうかと書きましたが、元代の『安雅堂集』巻六にちゃんと書いてありました。
耶律氏は移剌氏に蕭氏を石抹氏になったわけですが、「耶律」は馬を飼育する兵卒の意味、「石抹」は奴婢の蔑称だそうです
だから耶律楚材の父の名もちゃんと移剌履、兄も移剌弁才と書くべきなのです
金朝への恭順の意を示すため、父と兄は生涯、末端の兵を意味する姓を用い
耶律楚材も『黒韃事略』が書かれた頃
まだ金の首都が陥落しておらず兄たちもまだ健在であった頃には兄たちの身を案じて
モンゴルに捕まってしぶしぶ従っているのだと金朝に思わせるためにまだ移剌姓を名乗っており
金朝が滅んだ後は誇りある耶律姓に戻した
それとは対照的に耶律留哥などは早々と耶律姓を名乗って明確に金朝との決別を示した
細かいことでしょうが移剌と耶律にはそのくらいのニュアンスがあると思われます

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