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2022年 11月の記事 (2)

ナントカ堂 2022/11/30 00:34

黎利

日本語版のwikipediaの「黎利」の項に、『明実録』の「利初從陳季擴反,充偽金吾將軍,後束身歸降,以為巡檢,然中懷反側。」の訳として「黎利は表向き明に降り、巡回活動を行いながら、その実明への反乱を企図していた」とあるのですが、多少誤訳気味な気が。
相変わらずwikiの編集の仕方が分からないからここに書きます。


『明実録』の上記の記事の直前はこう書かれています。
「交阯總兵官豐城侯李彬以清化府俄樂縣土官巡檢黎利叛遣都督朱廣等往勦之」
(交阯総兵官・豊城侯の李彬が「清化府の俄楽県土官巡検の黎利が叛いた」と報告したため、都督の朱広らを討伐に向かわせた)
同様の記述は『殊域周咨録』巻五にもありますが、巡検はwikiの「明朝の官職」の項にあるように従九品の官人です。
『大越史記全書』には、明からの官爵による懐柔に惑わされず、山中に潜伏して仲間を集めたと記しますが、実際には当初土官として明の統治に組み込まれていたようで、黎朝の「建国神話」としては相応しくない事実であるため改変されたのでしょう。
またwikiには「明内臣馬騏等大舉兵」の訳として「明軍は内大臣の馬騏を派遣したが」とありますが、内臣とは、外廷つまり表の朝廷に対する、内廷つまり後宮の臣で、宦官のことです。

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ナントカ堂 2022/11/19 10:26

雲南の技術力

 大理国の工芸技術は高く『万暦野獲編』巻二十六にこのように記されています。



雲南雕漆

 現在、雕漆の什器は、宋の物が最も重んじられ、永楽・宣徳年間のものがこれに次ぐ。いわゆる「果園廠」の物は宋代の物に近い値が付く。漆の光沢が暗く彫りの文様が拙い物は、「旧雲南」の物と口々に蔑まれ、その値は最高級品の一、二割にしかならない。
 あるとき、骨董の収集家が集まって話し合い、剔紅香盒に話題が及ぶと、各々自説を展開し、論争が起きた。私はこう言った。
 「これらの技術は全て雲南から来たものだ。唐の中期に大理国が成都を攻め落とし、全ての職人を連れ去った。これより雲南で漆器や織物の技術が天下一となった。唐末に再び中華と国交が復活し、南漢の劉氏と通婚すると、次第に「滇物」が流入した。元の時代に大理を降すと、その地の最高の職人を選んで宮中に入れた。わが明朝がその地を吸収すると、滇の職人は内府に満ちた。これが今の御用監であり、供用庫の諸役は全てその子孫である。その後、次第に技術が廃れて言ったため、嘉靖年間に、帝は雲南に、宮中で役立つような技術者を選んで都に送るようにと命じられた。もし「旧雲南」の物が手に入ったなら、「果園廠」の数倍の価値があるだろう。」
 並みいる骨董の収集家は黙って反論できなかった。

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