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2016年 09月の記事 (13)

ナントカ堂 2016/09/21 06:35

符彦卿

『龍川別志』には、占い師からイノシシに関係する二人をよく面倒見れば富貴を保てるだろうと言われた張永徳(郭威の子の内で後周のときに唯一生き残っていた四女の婿)が、亥年生まれの趙匡胤・趙匡義兄弟を身分が低い頃から世話をして、宋代になってからも富貴を保ったという話が載せられています。その中にこう記されています。「太宗は符氏を妻としたいと考え、太祖に相談した。『符氏は大家で、わが家は貧しい。婚資が無いがどうしようか。』」これで張永徳が金を出して婚姻が纏まるわけですが、この話が事実か作り話かはともかく、後周の時代、符彦卿の家は趙匡胤の家よりも格段に上の家系でした。
父の符存審は李克用の十三人の義子である十三太保の一人、後周の世宗も権力を固めるために宣懿皇后を娶ったほどで、さらに親子代々武勲もあり、符彦卿は後周の恭帝と宋の太祖の時代には、詔書を賜る際、名ではなく官爵名で記されるほどでした。
その子のうち、符昭信と符昭愿は目立った軍功がないもののそれなりに職務を果たして家の面目を守りましたが、符昭寿は、毎日遊興に耽り、高慢で好き勝手に振舞っていたため、反乱平定後の剣南の地に駐留していた際、部下に殺されました。
符昭寿の子の符承諒は斉王の娘の嘉興県主を娶り、内殿承制となりましたが目立った功績も無く符氏はそれなりの待遇を受けていたようですが次第に表舞台から消えていくこととなります。

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ナントカ堂 2016/09/19 01:17

劉廷讓

再び、『北宋将家』というお題で書くつもりだったものの一部です。

劉廷讓は劉仁恭の曾孫で『宋朝事実』巻九の「太祖義社兄弟」によれば宋の太祖と義兄弟の契りを結んだ人物です。
太祖の時代に活躍しましたが、太宗の時代の晩年に病気療養のために都に戻ろうと願い出て、許可がまだ下りないうちに任地を離れたことが問題視されて配流となり、食を断って死にました。子供たちはそこそこ優遇されたようですが次第に歴史から消えていくことになります。
これに対して同じく劉仁恭の子孫で契丹の領内に残った家系は長く続いたことが『遼代墓誌疏證』収録の「劉承嗣墓誌銘」「劉宇傑墓誌銘」「劉日泳墓誌銘」から窺い知れ、さらに金代に至っても「金劉元德墓誌考」で紹介されている劉元徳を輩出しており、名族として続いたことがわかります。
また『金史』巻九十五の劉イ(玉へんに韋)は先祖を唐の盧龍節度使の「劉仁敬」としていますが、劉仁敬という人物は該当が無く、劉仁恭の誤伝と思われます。
宋が武人を麾下の軍と切り離して次第に無力化していったのに対して、遼・金では封建制のようにそのまま勢力を温存していったため後代まで名族として残ったのでしょう。

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ナントカ堂 2016/09/19 01:01

衛選簿と家譜

達雲は『明史』巻二百三十九に伝がある人物ですが、『明史』だけを見ると涼州衞で代々指揮僉事であったことのみ記されていてその先祖は良く分かりません。
ただ↓こちらを見ると先祖は哈密
国の人であった者が登用されたものとわかります


達雲の家系の分の衛選簿は現在残っておらず、家譜などからその世系がうかがい知れます。

蘇克明は達雲とは違って正史その他主要文献に名が無い人物ですが元朝皇族の末裔で平山衛指揮使であったことが判ります。


虎姓についても「歴史名人」の項にある人々は現存衛選簿には残っていないので家譜に拠ったものと思われます。


また「明代徽州汪公入黔考」は、隋唐から続く徽州の名門である汪氏の家の八男が、洪武帝に従って軍功を挙げて貴州の百戸となり、その子孫は世が武から文に重きを置くようになったのに連れ、百戸という身分・収入の保障を確保しつつ、一族から科挙合格者を輩出していく様子が記されています。

衛選簿もまだまださまざまなアプローチが出来る史料ですが、中国ではそこからさらに踏み込んで、家譜などから個別の武官家系の明代における動向を調べているようで、更なる実像の解明(どうしても文官が記す史書は武官に対しておざなりになっているようで)が期待されます。

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ナントカ堂 2016/09/15 23:44

于謙家

于謙の家の衛選簿は『全訳国初群雄事略』の解説にも載せましたが、誰でも見られる状態としてここに挙げておきます

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ナントカ堂 2016/09/08 22:13

隆平集

『隆平集』という史書があります。

太祖から英宗までの紀伝体の書で、記述は簡略ながらも『東都事略』や『宋史』に見られない事実も記されており、またこれらよりも早く北宋時代に記された点からも評価すべきものですが、日本ではあまり知られていないものなのでここに紹介します。

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