投稿記事

2021年 10月の記事 (2)

ナントカ堂 2021/10/31 23:59

西洋銅尺

多分、分度器なのだと思います。
『国朝正編撮要』巻三の明命八年(1827)閏五月条


以前に阮文震(賜姓されたフランス人)が銅日窺という名の西洋銅尺を二つ献じた。帝は一つを宮中に留め、一つを欽天監に賜ったが、使用法を知る者はいなかった。帝は常時これを観察して、自ら使用法を理解し、潘輝湜と阮名碑を召して言った。
「この銅尺は高低の傾きがあり度数が区切られている。近くは山岳を、遠くは天地を測ることができ、最も便利である。」
そして一つ一つ説明し、試しに使わせた。

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

ナントカ堂 2021/10/20 22:36

近況

 「北宋将門」の誤字脱字修正を行いました。見直した際、「楊業」の項で何故か改行スペースが空き過ぎていたので修正し、他に数ケ所直しました。(供奉官を授けた→供奉官の地位を与えた)ほぼ内容的な変更はありません。
 何故見直していたかというと、アマゾンのキンドルにするためにhtmlからワードパッドに変換していたからです。
 変換するには画像にしていた字を直さなければならず、これが結構手間取る割にはキンドルはほぼ売れない状態で、現在出しているのが北宋将門・両唐書宦官伝・高麗史列伝(前期分)・全訳南詔野史の4つですが、合わせても10も売れていませんし、こちらの作業は暇な時に少しずつ進めていこうと思います。

 近ごろ面白いと思ったベトナム阮朝の史書である『国朝正編撮要』の嘉隆十五年(1816)七月の記事。真臘はカンボジアで、我が国や我が朝廷はベトナム。属国化して藩王として扱っています。


七月、真臘の藩僚に通常時に朝廷で着用する冠服を賜った。
以前に藩王に冠服を賜ると、藩僚はこれを見て美しいと思い、皆で我が国の服に替えることを願った。群臣が協議し、藩僚で十品から七品の冠服は、我が朝廷の三品以下の官と同列とし、六品以下には与えないものとした。(原注:真臘は十品が最上で、九品がこれに次ぐ)
帝は十品と九品の冠服二十三セット、八品と七品の冠服を四セットを賜り、藩王は柔遠堂で拝受した。これより臘人の衣服や用いる器は、多くが漢風を慕い、蛮服は次第に改まっていった。


 カンボジア側が機嫌取りのため言ったのか半ば強要されたのかは分かりませんが、カンボジアが蛮で、これを「文明化」するのが正しいと信じて疑わない感じが良く出ています。しかも阮朝の知識人は、清国の人間を清人、自分たちを漢人と呼んでいて、漢文化の後継者を自任していたようです。

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

月別アーカイブ

記事のタグから探す

限定特典から探す

記事を検索