SHA 2018/09/12 21:08

ハワイ「タスケテェ!?」⇒日本「お、おう」

かつて、ハワイには王様がいて「ハワイ王国(1795年から1893年)」と呼ばれていた。



そんなハワイには、アメリカ合衆国からの入植者が増えていた。



その影響で、ハワイ王国はサトウキビ栽培や輸出などによって経済的に力をつけ始めた。



やがてハワイでは、より親米的な政治を求める声が、経済界などから強くなるよ。






そして1887年…共和制派によるクーデターが起こり、ハワイ国王のカラカウアは「修正憲法(銃剣憲法)」の成立を承認することになっちゃうよ。



この憲法は親米的ではあったけど、「アジア系移民の投票権の剥奪、先住ハワイ人の投票権・資産などの一定の基準を設定」といった不平等な一面もあった。

それに対し、裕福なヨーロッパ・アメリカ系、ハワイ人エリート、白人などは普通に選挙権を手にしたままであった。

・中国「金持ち、欧米人、白人が得をし、アジア人が差別される…お決まりのパターンでアル!」
・アメリカ「そんな単純な問題じゃない。事態はもっと映画『インセプション』の様に複雑なのだ。」
・日本「銀河英雄伝説よりは、複雑じゃないですよね?」
・アメリカ「あぁ?なんだそりゃ。」
・日本「名作ですよッ。」



この憲法を不満に感じたハワイ王国の王政派は、これを撤廃しようとする動きをみせた。



そんなわけで、「共和制派(親米派)」と「王政派」の対立が深まるよ。







かくして1893年1月…共和制派が、アメリカ海兵隊の支援を得てクーデターを起こし、王政を打倒して「臨時政府」を樹立。



この臨時政府を、日本、中国、ロシア、イギリス、メキシコなどの国々は事実上の政府として承認したけど…



この共和制派の強引なやり方に、ハワイはもちろん、クリーブランド米大統領を含むアメリカ国内でも否定的な意見が出たよ。




-ハワイ併合などに否定的であり、
体重が110㎏だった時もあるグロバー・クリーブランド米大統領-







その後、ハワイ王政派は日本に援助を求め、修好通商条約の対等化を申し出た。



日本政府は条約の対等化を承認。



そして日本は、アメリカによるハワイ併合の動きを牽制するため…



1893年11月に「ハワイの邦人保護」を理由に東郷平八郎が率いる巡洋艦「浪速」と他2隻をハワイに派遣。

・中国「つまり、日本もハワイの権益を狙っていたと…?」
・日本「この時の明治政府が、どこまでハワイの権益などを重視していたかは、よく分かりませんが…日本に限らず、昔から欧米諸国がハワイを狙っていたそうです。」

・イギリス「オレもww」
・フランス「俺もだ。」
・スペイン「じゃあ、俺も。」
・アメリカ「Me too!」
・ハワイ「止めろォ!」



日本の軍艦はホノルル軍港に停泊し、共和制派(クーデター勢力)を威嚇したよ。



これに「王政派のハワイ先住民らは涙を流して歓喜した」と言われる。



最終的には、1894年3月に日本の軍艦は撤収しちゃうけどね。



この日本の動きは、「アメリカへの牽制に一定の成果をあげたけど、かつての親日的なハワイ王国政府を復活させることはできなかった」と評価されているよ。






・中国「こちらの作品を3つ購入した方だけに、ワイキキビーチをプレゼント!今ならセットで日本の軍艦も付いてくる!」
・日米「↑やめろォ!」







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