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2018年 04月の記事(8)

SHA 2018年04月24日 00:10

イタリア「地雷と火炎瓶しかねぇww」




イタリア軍列伝…補給拠点から数100キロ離れた砂漠で水を大量に使ってパスタを茹でた結果⇒水が無くなって降伏。






・イギリス「ドイツのお荷物、パスタ野郎、糞雑魚ナメクジ軍隊、それがイタリア軍。」



・イタリア「↑あやまれぇい!」






ネット上でも「イタリア軍=弱い、ヘタレ、パスタ野郎」で有名。



しかし!
今回は「イタリア軍のくせに強いやんけ!」な人たちを紹介します。


1 フォルゴーレ空挺旅団




フォルゴーレ空挺旅団はイタリア陸軍が編成する空挺作戦を主目的とした旅団。



簡単に言うと空からピューッと行くイタリアの部隊だよ。



フォルゴーレとはイタリア語で稲妻、雷鳴を意味する。



1941年9月1日、第二次世界大戦の最中に編成されるよ。




そして!
彼らの真価は北アフリカの砂漠戦、エル・アラメインの戦いで発揮される!







あのドイツの名将で有名なエルヴィン・ロンメルが連合国に圧されていた・・・。
しかし、今までドイツ軍にお荷物扱いされてきたヘタリア軍の恐ろしさを奴らは味わうのだった!





・ロンメル「あれ?このイタリア軍強い?」









兵力比1:13、戦車比1:70、歩兵用の対戦車装備は火炎瓶と地雷だけという絶望的な状況にもかかわらず、大胆な肉薄攻撃によって連合軍の戦車部隊に損害をあたえる!

・連合軍「敵は少数だぁw突っ込めェww」

・フォルゴーレ空挺旅団「クソ!戦車はどうした!」
・イタリア兵A「ないです。」
・フォルゴーレ「ロケットランチャーは!?」
・イタリア兵A「地雷と火炎瓶しかねぇww」
・フォルゴーレ「じゃもう、それで。」

・フォルゴーレ「死ねー!」
・連合軍「ぎゃあああww」





そんなこんなで連合軍の本格的な攻勢を2度に渡って退けているよ。



イタリア軍部隊の思わぬ抵抗とそれによる損害を知ったチャーチルは「彼らは獅子の如く戦った」と賞賛したそうな。



アメリカのタイム紙も「彼らは良い意味で同盟国の予想を裏切る戦いを見せた…特に南部戦域では「フォルゴーレ師団の兵士が爆薬を抱いて英軍の戦車に肉薄した」と称賛しているよ。








2サヴォイア騎兵連隊(第3竜騎兵連隊「サヴォイア」)



東部戦線に派遣されたイタリア陸軍部隊「イタリア・ロシア戦域軍」で活躍した騎兵連隊。



サーベル突撃によって、サブマシンガンやライフルで武装したソ連の歩兵を蹴散らしたこともある。



欧州戦線で最後の騎兵突撃を成功させたとも言われている。













3山岳スキー大隊『モンテ・チェルビーノ』



雪中迷彩を身にまとった彼らは、モンテ・チェルビーノ!



雪中迷彩はフィンランド軍も有名だけど、イタリアも強いよ。



スキーで山岳を縦横無尽に駆け巡り、ソ連軍から「白い悪魔」呼ばれた。







君もパスタ…もといイタリア軍に入らないか!?












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SHA 2018年04月17日 04:00

【「神の子殺し」の濡れ衣 】アントニオ・サリエリ


アントニオ・サリエリ





1750年8月18日 - 1825年5月7日








アントニオ・サリエリは18、19世紀のイタリアの作曲家。



18世紀の後半から末にかけて、アメリカ独立革命・フランス革命といったドンパチ賑やかなイベントが起きている時代で活躍。



日本では、田沼意次が老中になったりしている時代ですね。



サリエリは幼少のころからチェンバロ、声楽、ヴァイオリンといった音楽教育を受けて育つ。



だが、両親を早い内に亡くし、他の子供達と共に惨めな境遇に陥る。



その後…彼はヴェネツィアに住み、1766年に宮廷音楽家フローリアン・レオポルト・ガスマンとともにウィーンの宮廷へと招かれた。

サリエリの肖像画














宮廷楽長






そこでサリエリは音楽家としての才能を存分に発揮する。





1788年、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世より「宮廷楽長」に任命され、亡くなる直前の1824年までその地位にあった。




この宮廷楽長は音楽家として最高の地位・名誉であったが、クソ忙しい役職でもあった…



1 諸侯たちの娯楽・宴席のための作曲・指揮



2 宮廷楽団の運営



3 楽団員の生活の管理



4 諸侯の子女の音楽教師



などなど…色んな仕事があったのである。




1817年、サリエリは「ウィーン楽友協会音楽院」の指導者に就任。



この音楽院は後に「ウィーン国立音楽大学」と改称され、現在でも多数の世界的指揮者を輩出している。




また、「ニューイヤーコンサート」で有名なウィーン楽友協会の黄金ホールの設計、特に空間性、音響効果の設計にも携わる。




さらに、あのベートーヴェン、シューベルト、リストらを育てた名教育家でもあった。



弟子からは一切謝礼を取らず、才能ある・生活に困る弟子には支援を惜しまなかった。




またまた、職を失って困窮する音楽家やその遺族の為に、互助会を組織し、慈善コンサートを毎年開催し、有力諸侯に困窮者への支援の手紙を書くなどしている。




この音楽に関する多才さこそ、サリエリの素晴らしさであろう。




だが、後世において彼の偉業は「神の子・ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」の影に隠れることになる。





神の子とサリエリ

サリエリが使えていた皇帝ヨーゼフ2世は文化発展にも気を配り、多くのイタリア人が占めていた音楽の分野にドイツ音楽を意識してモーツァルトを宮廷音楽家として雇っていた。



サリエリとモーツァルトが具体的にいつ、どのように出会ったかは不明だが…



これでまでのイメージでは、この偉大な2人の作曲家は不仲で有名であった。






確かにモーツァルト自身も…



・モーツァルト「ウィーンで僕が高い地位に付けないのはサリエリが邪魔をしてるからだ!」







と語っていた(らしい)。




他にもモーツァルトの天才に怖れをなしたサリエリらのイタリア音楽貴族達が裏でモーツァルトの演奏会を妨害したため、収入が激減した…という噂もある。



そして、戯曲『アマデウス』(1979年)とその映画版(1984年)では、サリエリが「天才へ嫉妬した凡庸な作曲家」という風に描かれ、彼が「モーツァルトを毒殺した」ということになっている。





だが、これらの話も最近では「証拠がない・憶測である」という可能性がかなり強い。

モーツァルトの肖像画












「2人は不仲じゃねーよ」とする根拠




1 プラハの聖ヴィートゥス大聖堂の重要な祝賀行事の数々で、サリエリは自分の作品を一切使わず、中にはモーツァルトの作品を多数使用している。




2 サリエリはヴィーン劇場にモーツァルトを招待しており…



モーツァルトは、その時の模様を妻コンスタンツェへの手紙で伝えていた。



その手紙には「敵対心や憎悪でなく、ただ自分の作品を感嘆の言葉で祝福してくれたサリエリへの賛辞と感謝と親愛の心」がこもっていた。





3 モーツァルト、サリエリ、コルネッティの3人で共作もしている。



それは『オフィーリアの健康回復に寄せて』という曲で、「短期間声を失っていた女性歌手ナンシー・ストレースが舞台へ戻ってきたことを歓迎するため」に作られたものである。



この曲は、映画『アマデウス』のような「モーツァルトとサリエリが不仲だったという風説を否定するもの」として注目されている。



「本当に不仲なら一緒に歓迎の曲なんか作らんやろ!」という理屈ですね。



ちなみに「コルネッティ」は学者の間でも「誰だコイツ」状態な無名の作曲家。










「至高の神よ、サリエリを憐れみたまえ」

モーツァルト死後…



ウィーンの新聞は「彼は毒殺されたのではないか」と報じた。



1820年ごろになると、ウィーンでは、「“イタリアの作曲家ロッシーニを担ぐイタリア派”と“ドイツ民族のドイツ音楽を宣言するドイツ派”の論争・対立の中でサリエリがモーツァルトを毒殺した」という噂が流行。



サリエリはロッシーニからも「モーツァルトを本当に毒殺したのか?」と面と向かって尋ねられた。



また、弟子のモシェレスに自らの無実を訴えたが…かえってこれがモシェレスの疑念を呼び、彼の日記に「モーツァルトを毒殺したに違いない」と書かれてしまう結果に。



これらの噂・誹謗中傷により、サリエリは重度の抑うつ症となり、自分の喉を切ろうともした。




その後…1825年5月7日、74歳で死去…亡くなるまで噂に苦しんだという




時が経ち、当時の「サリエリがモーツァルトを毒殺した」などの噂をアイデアとして、『モーツァルトとサリエリ』(プーシキン)や『アマデウス』などの作品が作られた。



これらの作品によって、モーツァルトの影に隠れたサリエリの知名度は上昇した…だが、「サリエリがモーツァルトを…アマデウスを毒殺した」というイメージも広がってしまう。




そして2018年…Fate/GOにおいて「復讐者」として、再び名が知れ渡る事になる。

アントニオ・サリエリの「レクイエム」
https://www.youtube.com/embed/AO7xz7qTrlI







アントニオ・サリエリの故郷は・・・
パスタ大好きイタリア!










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SHA 2018年04月13日 00:36

モーツァルト「あーしんど…でも曲作らなきゃ…。」

・モーツァルト「あーしんど…でも曲作らなきゃ…。」

あのモーツァルトが体調を崩しながら作った曲…それが『レクイエム ニ短調
K.626』。



特に“怒りの日”と呼ばれる部分が有名。



CMや映画、ゲームなどでも使用される。
https://www.youtube.com/embed/Opwq0C0hjOg
モーツァルト《レクイエム》「怒りの日」カラヤン指揮/ベルリンフィル
(OperaTaiyaku オペラ対訳プロジェクト)





======





●謎の依頼主

オペラ「魔笛」の完成も近づいた1791年7月…見知らぬ男がモーツァルトを訪ねた。



その男は匿名の依頼主からのレクイエムの作曲を依頼し、高額な報酬の一部を前払いして帰っていった。



『魔笛』の初演後、レクイエムの作曲に取りかかるが、モーツァルトは体調を崩しがちに…





そして彼は台本作家ロレンツォ・ダ・ポンテに「僕は自分のレクイエムを書いているんだ…」というような手紙を送る。



そんな手紙を書いたりしてるせいで、「モーツァルトは灰色の服を着た使者に催促され、自身のレクイエムを作曲しているのだ!」という伝説が当時から現在まで広まることになる。



だが、最近の研究で「匿名の依頼者」がフランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵という田舎の領主であること、使者が伯爵の知人フランツ・アントン・ライトゲープという人物であることが明らかになった。





ヴァルゼック伯爵が1791年2月に若くして亡くなった妻の追悼のために、モーツァルトにレクイエムを作曲させたというのが真相だった。



●著作権的にはグレー

モーツァルト死後、貧乏のまま残された妻コンスタンツェは収入を得る手段としてこのレクイエムを完成させようとした。



弟子たちによって完成したレクイエムの楽譜は、依頼人のヴァルゼック伯爵に引き渡され、コンスタンツェは作曲料の残りを得た。



そしてヴァルゼック伯爵は、レクイエムを自分の作品として、ウィーンのノイクロスター教会において自身の指揮で演奏。



このヴァルゼック伯爵はアマチュア音楽家で、「有名作曲家に匿名で作品を作らせ、それを自分で写譜した上で自らの名義で発表する」という著作権的にグレーな行為を行っていた。



一方、コンスタンツェは手元に残した写譜から亡夫の作品としてレクイエムを出版…これに対して、ヴァルゼック伯爵は「俺の作品や!」とコンスタンツェに抗議した、という説がある…。

そんなモヤモヤするエピソードもあるけど、ともかくこのレクイエムは今も名曲として人々に語り継がれている。









「怒りの日」と言えば――
クラウザー、ギルデンスタン、ハイドリヒ、ロト7、ペルソナ
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SHA 2018年04月09日 17:27

モーツァルト「怒った?」⇒サリエリ「怒ってないよ」

アントニオ・サリエリとヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト…





この偉大な2人の作曲家は不仲で有名である。



確かにモーツァルト自身も…



・モーツァルト「ウィーンで僕が高い地位に付けないのはサリエリが邪魔をしてるからだ!」



と語っていたそうな。



他にもモーツァルトの天才に怖れをなしたサリエリらのイタリア音楽貴族達が裏でモーツァルトの演奏会を妨害したため、収入が激減した…という噂もある。



そして、戯曲『アマデウス』(1979年)とその映画版(1984年)では、サリエリが「天才へ嫉妬した凡庸な作曲家」という風に描かれおり、彼が「モーツァルトを毒殺した」ということになっている。




この嫌そうな顔を見よ!



だが、これらの話は最近では「証拠がない・憶測である」という可能性がかなり強い。


●「2人は不仲じゃねーよ」とする根拠



サリエリが使えていた神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世は文化発展に気を配り、多くのイタリア人が占めていた音楽の分野にドイツ音楽を意識してモーツァルトを宮廷音楽家として雇っていた。



サリエリとモーツァルトが具体的にいつ、どのように出会ったかは不明だが…



この2人の仲は決して、悪くはなかったようである↓




プラハの聖ヴィートゥス大聖堂の重要な祝賀行事の数々で、サリエリは自分の作品を一切使わず、モーツァルトの作品を多数使用している。




サリエリはヴィーン劇場にモーツァルトを招待しており…
モーツァルトは、その時の模様を妻コンスタンツェへの手紙で伝えていた。



そこには「敵対心や憎悪でなく、ただ自分の作品を感嘆の言葉で祝福してくれたサリエリへの賛辞と感謝と親愛の心」がこもっていた。




さらにモーツァルト、サリエリ、コルネッティの3人で共作もしている。



それは『オフィーリアの健康回復に寄せて』という曲で、イギリス人のソプラノ女性歌手ナンシー・ストレースの健康回復をたたえ、短期間声を失っていた彼女が舞台へ戻ってきたことを歓迎するために作られたものである。



ストレース夫人はモーツァルトとサリエリの作品の歌唱で知られていた。



題名の「オフィーリア」とは、サリエリのオペラ『La grotta di Trofonio』でストレースが歌うはずの役だったが、彼女の病気のため延期となっていた。



秋に作曲されたこの曲は、彼女の演技を待ちわびる気持ちを込めて、オフィーリアを引用したのだ。



この作品は、映画『アマデウス』のような「モーツァルトとサリエリが不仲だったという風説を否定するもの」として注目されている。



「本当に不仲なら一緒に歓迎の曲なんか作らんやろ!」という理屈ですね。



ちなみに「コルネッティ」は学者の間でも「誰だコイツ」状態な無名の作曲家。




●結論



戯曲と映画を作った奴、噂を流した奴、それを広げた奴、それを信じた奴――

・イタリア「シーネ!」



・ドイツ「それは極論。」





・フランス「このタイミングでサリエリの記事…?さてはまた日本人が偉人を女体化させたなww?」



・イタリア「とにかく、サリエリはモーツァルトを毒殺してないし、不仲でもない!サリエリ氏の悪評は、映画などの創作よる風評被害なんや!」





[

・某国の元総統「儂らが悪く描かれるのも、風評被害だ! 無辜の怪物になるぞ!チキショーメェ!」](http://stylish1history.b.dlsite.net/archives/64706631.html "UFO作ったり、ゾンビ作ったり、月に基地作ったり、聖杯探したり、麻雀したり、「柱の男」を蘇生したり、チョビ髭が現代転生したり、チョビ髭がキレ芸したり・・・")

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SHA 2018年04月07日 21:08

アタランテ「私のパーティー弱すぎ…?」

―――これはぶっ飛んだギリシア神話の日常の物語である―――






あるとき…カリュドーン王オイネウスはその年の豊作を祝い、多くの神々に捧げものをした。



だが、どういうわけか女神アルテミスへの供物だけ忘れてしまう。



・オイネウス「サーセンw女神さまwwなんか忘れちゃいましたww」



・アルテミス「お前の街に巨大な猪をぶち込んでズタズタにしてやるよ。」



・オイネウス「え?」



オイネウスにブッチギレたアルテミスは、巨大な猪をカリュドーンに送り込んだ。



猪は田畑を、家畜を、人々を破壊しつくした。



そんなわけで、この猪を退治するために、オイネウスはギリシア中の勇士たちを集めた。



これに参加した紅一点がアタランテ…だが、彼女も本来アルテミスの信奉者なのであった…



「捧げもの忘れたぐらいで…」って思うかもしれないけど、これぐらいギリシア神話じゃ日常茶飯事だぜ!





●狩りは男のもの?



っというわけで、猪退治が始まるのだが…



仲間のアンカイオスとケーペウスが女性のアタランテに対し「女が狩りすんな、邪魔。」と、今なら大炎上間違いなしの発言をした。



そして言い返したアタランテ…ではなく、反論したのはオイネウスの息子メレアグロスである。



メレアグロスは「文句あるなら狩りを止めるよ!」と2人に反論し、アタランテの参加を強引に認めさせた。



…これは別にメレアグロスが「男女平等を目指していた」わけではなく…「単純にアタランテに一目ぼれしたから」である。



まあ、メレアグロスには奥さんがいるんですけどねー!



不倫もギリシア神話じゃ日常茶飯事だぜ!






猪狩り



さあ、いよいよ猪狩りだァ!



・メレアグロス「みんな!作戦通りにな!」



・アタランテ「猪はどこへ…。」



・ケンタウロス「あ!女の子だ!犯そーう!」



ケンタウロス2人がアタランテを犯そうとする⇒アタランテはこの2人を射殺す。






・ネストール「猪だー!逃げろー!」



「人間の3倍の寿命があるネストール」が猪に襲われ、木の上に逃げる。



・イアソン「槍だ!槍を投げろ!」



今度はイアソンとイピクレスが槍を猪に投げる!



だが、肩にかすり傷を負わせた程度だった!






・テラモーン「とつげきぃー!」



次はテラモーンとペーレウスが突っ込んだー!



だが、テラモーンが木の根につまずいてしまったぞー!



・テラモーン「ぎゃあああああ!?」



・ペーレウス「だ、大丈夫か!?い、今起こすから…!」



テラモーンを起こそうとするペーレウス!



そこへ猪の突進だー!



・テラモーン「きゃああああ!?」



・アタランテ「何やってんだ!」



すかさず、アタランテが矢を放つ!



矢は猪の耳のうしろに刺さり、猪は逃げだした…。






数分後・・・



再び猪の突進だー!



・アンカイオス「フッ!女に猪が退治できるものか。俺の腕前を見るがいい!」



勇敢なアンカイオスは猪の前に立ちはだかり、斧を振り下ろした!



・アタランテ「あ…!危な――」



アンカイオスは腹を突かれて死んだ。



・ペーレウス「うわあぁぁああぁ!?」



パニくったペーレウスが槍を投げる!



だが、槍は仲間のエウリュティオーンに当たる⇒エウリュティオーン死亡。



・エウリュティオーン「ごふぅ!」



・ペーレウス「す、すまん!」



・アムピアラーオス「こ、これでも食らえ!」



そのとき!アムピアラーオスの矢が猪の眼を射抜く!やっとマシな仕事をしたか



・メレアグロス「い、いい、い、今だ!槍を投げよ!」



そして、テーセウスとメレアグロスが槍を投げた!



テーセウスの槍は外れたが、メレアグロスの槍は猪の脇腹を貫いた!



痛手と刺さった槍のために猪がぐるぐる回る!



そこへ、メレアグロスが手槍でとどめを刺す!



…こうして、ようやく猪は退治された。






・メレアグロス「はぁはぁはぁ…!疲れた…」



・ペーレウス「…じ、事故だ…アレは事故なんだ…。」



・アムピアラーオス 「見た?私の弓矢の技を?」



・ネストール「……終わったァ!?(木の上から)」

・アタランテ「私のパーティー弱すぎ…!?」



「コイツら弱くね?」と思ったそこのお前!
アメリカ軍に入らないか!?




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