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2020年 03月の記事(3)

SHA 2020年03月29日 16:14

駆逐艦島風です。スピードなら誰にも負けません。速きこと、島風の如し、です!

すっごーい!速い駆逐艦作ろうぜ

後の「島風型駆逐艦」の登場まで、日本海軍の駆逐艦の速力は、1920年(大正9年)に「峯風型駆逐艦の島風(初代)」が打ち立てた、40.698ノットが最高速度であった。
その後、武装や船体を強化しつつ…航続力を延長する方向で進化していった。
しかし、仮想敵のアメリカ海軍が、「新型駆逐艦の速力向上(公試状態38ノット以上)を目指している」という情報を入手。
これにより…日本海軍は、「そいつら超える高速駆逐艦作ってやろうぜ!」って感じになった。
そんなこんなで…日本海軍は、水雷決戦を目的とする「艦隊型駆逐艦の最高峰」を目指し、高速・強雷装の駆逐艦として「島風型」を建造した。

1941年のマル5計画では、島風型16隻の建造計画もあった。
だが、機関の製作が量産に向かないことや、対空・対潜能力をもった「松型駆逐艦」の量産がはじまったこと…大型の駆逐艦は、防空能力に優れた「秋月型駆逐艦」の建造が優先されたこと…
戦局が悪化した…などの理由により、島風型駆逐艦は結局「島風1隻のみ」に終わった。

最高速力は40.3ノットで、試験では40.90ノットも記録していた。
これは、魚雷艇を除いた艦艇の最高記録である
ただし、試験での排水量は「燃料などの消耗品を2/3搭載した状態」でなく、より軽い1/2状態であった。


仲間を救いに

1941年8月に起工した「駆逐艦・島風」は、 1943年5月10日に竣工。
竣工後、島風は訓練部隊の「第十一水雷戦隊」に編成される。
第十一水雷戦隊は、新しく竣工した駆逐艦や、修理などで乗組員の多くが交代した駆逐艦を訓練させるために創設された部隊であり、第一艦隊に属していた。
1943年6月頃…第一水雷戦隊司令官「木村昌福」少将の要望で、北方作戦に投入される事が決まる。

当時、北太平洋の「アリューシャン方面の戦い」における日本軍は、窮地に立たされていた。
このため、日本軍はアリューシャン列島のキスカ島からの撤退を決定。
ところが、潜水艦による撤退作戦は失敗…代わりに、第五艦隊の水上部隊による一挙撤収作戦が立案。
6月中旬…新任の第一水雷戦隊司令官・木村少将は、第五艦隊長官を訪問し、キスカ島撤収作戦について協議をおこなう。
この席上で、木村は「レーダーを装備した新鋭駆逐艦・島風」の派遣を求めた。

7月5日、島風を含む水雷戦隊は、千島列島の幌筵島(ばらむしるとう)に到着。
島風と、「軽巡洋艦・阿武隈、木曾」がレーダーを装備していたが、島風の電探も、見張り警戒用に使用できる程度だった。
また、参加した巡洋艦・駆逐艦は、アメリカ艦艇と誤認させるための迷彩とカモフラージュを行った。


「帰れば、また来られるからな」

7月10日…キスカ島への第一次撤収作戦が開始される。
しかし、キスカ島に近づくにつれ、霧が晴れてきたため突入を断念。
その後も13、14、15日と決行したが…全て途中で霧が晴れてしまい、突入を断念した。
この慎重な木村の行動は、この年の3月初旬に参加した「ビスマルク海海戦」の敵空襲を受けた経験から来ている…と言われる。
「上空援護のない状態での空襲は、水雷戦隊にとって致命的だ…」ということを、木村は嫌というほど知っていた…とされる。
燃料の残量も少なくなってきたことから、木村は15日午前8時20分に、一旦突入を諦め、幌筵島(ばらむしるとう)へ帰投命令を発した。
「帰れば、また来られるからな」と言い残しての命令だった、と言われる。

キスカ島からの撤退は、第五艦隊司令部にとって不満であり…後日、五艦隊参謀が軍令部に「第一次の際は、水雷戦隊に肝なし」と述べている。
さらに連合艦隊司令部、大本営からも「何故、突入しなかった」、「今すぐキスカ湾へ突入せよ」といった、非難を浴びることとなった。
一方の第一水雷戦隊側は、木村司令官の処置を「妥当」とみており、両者の間には温度差があった。
撤退決断時にも、島風艦長の「広瀬弘」は、木村司令官に対し、「本日をおいて決行の日なし、ご決断を待つに」と意見具申している。


奇跡の作戦

7月22日、幌筵島の気象台が「7月25日以降、キスカ島周辺に確実に霧が発生する」との予報を出した。
同日夜、撤収部隊は幌筵島を再出撃。
7月26日17時44分、濃霧により5隻(国後、阿武隈、初霜、若葉、長波)が関係する多重衝突事故が起きた。
単縦陣5番手を航行していた島風は、右側に避けて、難を逃れている。
7月29日、撤収部隊はキスカ島に突入。
13時40分に第一、第二輸送隊ともキスカ入港に成功、14時30分には出港して、撤収に成功。
撤収人員は…海軍2518名・陸軍2669名・遺骨30柱・合計5183名、もしくは5187名であった。

その日の夕方…
撤収部隊は、浮上航行中のアメリカ海軍の潜水艦と、近距離でばったり遭遇。
だが、各艦とも偽装工作をおこなっていたため、アメリカ潜水艦は撤収部隊を「味方のアメリカ艦隊」と誤認。
両者とも、そのまま素通りして行ったという…。
この作戦は、キスカ島を包囲していた連合軍に全く気づかれずに、日本軍が無傷で守備隊全員の撤収に成功したことから「奇跡の作戦」と呼ばれている。


多号作戦

キスカ島撤収作戦後…しばらくは、日本での訓練やテストなどに追われ、南方へ進出するのは1943年9月15日になってからだった。
当時、ソロモン方面では、熾烈な戦闘の連続だったが…
艦隊を組みづらい島風は最前線には投入されず、船団護衛として、内地とラバウル・トラックを往復して過ごしている。
レイテ沖海戦では、沈んでいく「戦艦・武蔵」の救援任務を行うも…
島風が40ノットの高速力を発揮し、魚雷戦をする機会はついに訪れなかった。

レイテ沖海戦後…沈没した「軽巡洋艦・能代」に代わって、島風は第二水雷戦隊の旗艦となる。
そして、レイテ島への増援輸送作戦である「第三次多号作戦」に参加。
第三次作戦の輸送部隊は、低速で中古の輸送船5隻を中心としていた。
これに第二水雷戦隊の司令官「早川幹夫」少将は、低速船団を高速艦で護衛することに疑念を抱いて、反論。
しかし…南西方面艦隊の司令長官「大川内傳七」中将に大本営海軍部、連合艦隊司令部のバックアップ、さらに「これは天皇陛下のご命令である」との「勅命」を持ち出され、観念した。


島風の最期

編成に不安が残ったまま、1944年11月9日、第三次輸送船団がマニラを出撃。
しかし…11月11日、「日本の戦艦部隊がレイテに向け進撃中」との情報により、燃料補給を中断し、引き返してきたアメリカ海軍「第38任務部隊」の艦載機の攻撃に遭う。
アメリカ軍機は戦艦部隊を発見できなかったが、代わりに、島風の第三次輸送船団を発見したのだった。
こうして、13隻のアメリカ空母から、攻撃機347機が発進。
島風座乗の早川少将は、このアメリカ軍機の攻撃を受けて、輸送船に「早急に湾内に突入して揚陸作業を行うよう」命令。
さらに、駆逐艦には煙幕を張らせた。
対空戦闘に際して、島風は誘爆を防ぐため、魚雷を投棄。
狭い湾内での戦闘だったが、その速力と的確な操艦により、爆弾や魚雷の直撃こそ受けなかった。
しかし、多数の至近弾と、機銃掃射により、船体に多数の小破孔が発生して浸水。

島風の救援に接近しようとした「駆逐艦・朝霜」は、アメリカ軍機の機銃掃射のため、接近を断念。
また、島風の松原先任参謀より「帰れ」の命令があり、朝霜は退避。
そして、1944年11月11日…午後5時30分、島風は後部附近の爆発により沈没。
一連の対空戦闘で「朝霜」をのぞく、護衛部隊「島風、浜波、若月、長波、掃海艇30号」、輸送船団「三笠丸、泰山丸、西豊丸、天昭丸」は全滅した。
戦後の1965年(昭和40年)。
呉市長迫町の旧海軍墓地に、島風の戦没者慰霊碑が建立された。
慰霊碑は、島風が高速の駆逐艦であったことにちなみ、軍艦の艦橋をかたどっている。


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SHA 2020年03月25日 17:00

最新空母についてる例のアレ…電磁式カタパルト

今回は、最新空母についてる例のアレ…電磁式カタパルトを解説してみるよ。

「電磁式カタパルト」とは…

アメリカ海軍とイギリス海軍が共同開発した、リニアモーターによって空母から固定翼機を発射するシステムのこと。
アメリカの最新空母「ジェラルド・R・フォード級航空母艦」に採用された。
前級の「ニミッツ級航空母艦」の蒸気カタパルトに比べて、維持管理がしやすくなっている。

エネルギー効率が70%と高く、重量容積もほぼ半分なので、艦の重心・容積に与える影響が少ない。
これまでの蒸気パイプが不要となり…ダメージコントロールでも有利となる。
射出可能な重量の範囲も広がり、軽い無人機から、燃料弾薬を満載した有人機まで対応できちゃう。

欠点もあって、原子力など…消費電力を賄える発電能力を持つ電源が必要。
電源が故障した場合、使用する事ができない。
他にも、電磁式カタパルトは技術的に難度が高く、開発が遅れたり、コストが高くなったりするよ。
計画当初では、この電磁式カタパルトをニミッツ級の「10番艦ジョージ・H・W・ブッシュ」に採用する予定だったけど…
開発が間に合わなかったため、従来の蒸気式カタパルトが搭載された。

イギリスの場合…

アメリカの他に、イギリスも電磁式カタパルトの実装を進めていたよ。
イギリス海軍では、クイーン・エリザベス級航空母艦での採用を検討しており、「EMCAT(Electro Magnetic Catapult)」と呼ばれる電磁カタパルトの開発が進められていた。
2010年10月、イギリス政府は、クイーン・エリザベス級にカタパルトを搭載し、艦載機型の「戦闘機F-35C」を購入すると発表。
しかし、2012年5月にF-35Cのコストが当初の見積もりより増加したことから…
最終的に「短距離離陸垂直着陸機・STOVL機」である「F-35B」が採用され、これにより…カタパルトの搭載自体が見送られた。


中国の場合…

「1990年代初めに、蒸気カタパルトと電磁カタパルトの開発作業を行っている」…と、いくつかの外国メディアが指摘している。
オーストラリアの退役空母「メルボルン」をスクラップとして購入し、備え付けられていた蒸気カタパルトを回収・研究した…とされる。
また、アメリカの防衛産業企業「L-3 コミュニケーションズ」の子会社「Power Paragon」のエンジニアで、中国系アメリカ人のチ・マクにより、電磁式カタパルトの技術を入手した…とも言われている。

2015年9月上旬には、中国の基地に電磁カタパルトと蒸気カタパルトと推測されるものの設置が開始された。
同年11月に開催された中国国際工業博覧会では、中国工程院による電磁式カタパルトの模型が公開される。
2016年10月になると、中国軍の無人機を電磁式カタパルトに設置しているのも、確認されている。

アメリカ海軍のような…空母への搭載は、まだみたいだね。
でも、時間の問題かな?そのうち、アメリカも追い抜くぐらいのすっごーい!カタパルト作ったりして…

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Youtubeの動画を同人誌にしたやつhttps://www.dlsite.com/home/work/=/product_id/RJ247893.html

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SHA 2020年03月02日 16:00

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