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その他の国の記事(11)

SHA 2019年02月24日 21:46

台湾と中国海軍

―――――――――

・アメリカ「台湾と中国の歴史・関係性を知りたい。」
・イギリス「そんじゃ、今東アジアで最も熱い中国海軍を中心に、台湾と中国について解説してみるぜ。」

現在の中国の海軍「中国人民解放軍海軍」は、1949年に人民解放軍の中で艦艇を装備していた部隊が「解放軍海軍」として独立し、発足。



当初は、「旧日本海軍の砲艦・海防艦」や
ソ連からの魚雷艇やジェット戦闘機を使用していた。



日中戦争後…中国国民党(中華民国)との内戦である「第二次国共内戦」が勃発。



この国共内戦において、国民党軍は陸戦で敗北し、台湾へ逃れることになったが…



国民党軍は、旧日本海軍のものとアメリカからの駆逐艦を保有しており、
中国周辺海域の制海権を保っていた。



また、朝鮮戦争の勃発後は、
アメリカ海軍の艦隊が黄海や台湾海峡で活動するようになった。



「強い軍艦ないとマジでやばぁい」と考えた共産党は、ソ連から駆逐艦を購入。



「鞍山級(アンシャンキュウ)」と名付けられた4隻の駆逐艦は、「北京を含む中国東北部の沿岸への敵艦隊の侵入を阻止する」という重要な役割を担った。









こんな感じで、共産主義の影響拡大を図るソ連が中国共産党を支援し…



それを阻止するため、アメリカが中華民国を支援していた。




そんなこんなで…中華民国との島の攻略戦では、勝利する事も多かった解放軍だが…



1985年の「金門砲戦」では、中華民国側がアメリカ製の「サイドワインダー空対空ミサイル」を用い、解放軍の戦闘機11機を撃墜するなど、反撃にあう事もあった。



この金門砲戦を最後に、共産党と中華民国との間に戦いは起きていないが…
停戦協定や平和条約の締結は無かった。




1996年…台湾(中華民国)の総統選挙で民主派の「李登輝(り とうき)」が
優勢になると…



台湾の独立に強く反対する中国は、これをけん制するため、
ミサイル演習を台湾近海で行う。
この事件は「第三次台湾海峡危機」などと呼ばれる。



これに対し、アメリカは「空母ニミッツ」や
「インディペンデンス」などの機動部隊を派遣。



この軍事行動の結果、中国は「アメリカ軍やばくね?」と感じたようで…
アメリカとの交渉が行われた。
交渉の結果、中国は軍事演習を停止。
アメリカは部隊を撤退させる。



この事件の後、中国海軍は「アメリカ海軍のヤバさが『言葉』でなく『心』で理解できた!」と考え始め、アメリカに対抗する形で軍備増強を加速。



ロシアから駆逐艦、ウクライナから空母…などを購入した。


・パキスタン「このウクライナの空母が後の“遼寧(りょうねい)”になるわけか。」
・中国「ウム。」
・パキスタン「話は変わるけど―――」
・中国「空母は売らないから。」
・パキスタン「(´゚ω゚`)ショボッ」








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今後の活動のため、購入をお願いします↓





空母はないけど、「これ」は売ってる。









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SHA 2018年07月26日 00:54

シグルド【物語の途中で主役が死亡】







今回は北欧神話などに登場する「シグルド(シグルス)」を紹介するよ。





シグルドは、ドイツの叙事詩『ニーベルゲンの歌』に登場するジークフリートと同じ起源とされているよ。



さて…シグルドの物語は色んな説があって…



内容も年代、資料などによってバラバラで良く分からなかったのですが…



とりあえず、主にウィキペディア(英語版など)を参考にしました。






第一章「ドラゴン退治」

シグルドは「王様シグムンド(父)」と「ヒョルディース(母)」の息子。








生まれた時には、パパのシグムンドは亡くなっており、鍛冶屋で養父の「レギン」に育てられたよ。



ある日、シグルドはレギンに――



「お前、王の息子のクセにあまり金持ってなくね?



「“ファフニール”ってドラゴンが金(財宝)持ってるから、殺して奪えば?



…と言われる。



「それ、ほぼ強盗じゃね?」と思ったシグルドだが、パパの形見「名剣グラム」を手に、とりあえずファフニールを倒す旅に出た。








その前に、シグルドは「あいつ金に目がくらんで、父親の仇を討たないつもりだぜww」と思われたくなかったので…




シグルドは「父親の仇をぶっ殺す宣言」をしたよ。



実は、シグルドのパパであるシグムントは、フンディング一族の「リュングヴィ王」との戦いで亡くなっていたのだ!



そんなわけで、ファフニールを倒す旅の途中、パパの仇のフンディング一族を皆殺しにして、街も燃やしたよ。



そしてファフニールもぶっ殺すよ。





ファフニールは死に際に「俺の財宝は呪われているから、持っていっちゃダメだよ」とシグルドに言うが、彼は無視。



シグルドはファフニールの棲み家に入ると…たくさんの黄金と、相手を恐れさせる力があるエーギルの兜、黄金でできた甲冑、そして剣フロッティを見つけたという。



ドラゴン退治が終わって、財宝を手に入れた時…養父レギンが…



「ファフニールの心臓食べた~い」



とか言ってきたので「塩焼き、タレ、そのまま、どっちなの?」という疑問は残るけど…ともかくファフニールの心臓を焼いて食べることに。



調理中にシグルドは心臓から流れ出した血を口にした…すると、魔力で「賢さと動物と会話する力」を得たのである。



そしてシグルドは、とある鳥の声を聞く――



「レギンはファフニールの弟で、財宝を独り占めするためにお前を利用したんだピヨ!お前も殺すつもりなんだピヨ!」



――――――



そう…かつて、ファフニールは「父のフレイズマル」を殺し、財宝を兄弟たちに分けず独占していた…



そして今、その兄弟であるレギンが、シグルドにファフニールを殺させ、今度は自分が財宝を独占しようとしていたのだ!





――――――



というわけでシグルズは、寝ているすきにレギンを殺害。



財宝を手に入れ、再び旅に出たのだった…。



しかし、この後…悲しい運命がシグルドを待ち受けていたのであった…。




第二章 ブリュンヒルデ



シグルドが旅を続けていると…山の上の燃え盛る炎の中で眠っていた「戦乙女ブリュンヒルデ」と出会う。



何でそんなヤバいとこで眠っていたかというと…



かつてブリュンヒルデは、戦死した兵士を「主神オーディン」の住むヴァルハラへ導くワルキューレであった。



しかし、「とある戦い(作品によって説明が異なる)」において、オーディンの命令に逆らい、一方のみを勝たせてしまう。



オーディンは激おこで、彼女から神性を奪い、「恐れることを知らない男と結婚する」という呪い的なものをかけ、燃え盛る炎の中で眠らされてしまう。



『ニーベルングの指輪』だと、「火を放ったのはブリュンヒルデの意思」で「神であるオーディンよりも自由な男だけが求婚する」ということになっているよ。








何やかんやで、ブリュンヒルデは眼を覚まし、2人は恋におち、結婚を誓う。





第三章 大体、クリームヒルトのせい



愛し合う2人の前に!



「王妃クリームヒルト」襲来!






自分の娘とシグルドを結婚させたい「王妃クリームヒルト」の陰謀により、シグルドは忘れ薬を飲まされる!



そんなこんなで、シグルドは「グズルーン王女」と結婚。



一方、ブリュンヒルデは「グンナル王子」と結婚してしまう!





後にシグルドは、ブリュンヒルデとの愛のメモリーを思い出すが、時すでに遅しであった!



ところがである!



ブリュンヒルデはグズルーンと口論した時に――



「シグルズはお母様に忘れ薬を飲まされていたのよ!オホホホ!」



と告げられる。





ショックを受けて部屋に引きこもるブリュンヒルデ!



そこへ、シグルドがやってきた…



シグルドは「全てを捨てて、俺と一緒になっちゃおうぜ☆」と告白!



少女マンガとかなら、ここで愛の逃避行が始まるが…



ブリュンヒルデは「不倫になっちゃうわよ!もう遅いわよ!」と言い放ち拒絶!



そして!ブリュンヒルデと結婚していたグンナル王子が、この出来事を知ってしまう!



「僕の愛するブリュンヒルデが獲られちゃう!」



焦るグンナル!下す男の決断!



グンテルはシグルドを謀殺。





愛する人を失ったブリュンヒルデは自害し、シグルドと共に火葬された。













第四章 そして、誰もいなくなった



その後、グズルーンは「フン族のアッティラ」と再婚。



2人はいつまでも幸せになりましたとさ。



ところがである!



アッティラは黄金欲しさにグンテルを謀殺。



夫と兄を失ったグズルーンは悲しみと憎しみをこめてアッティラの館に放火し、殺害。



そしてその後、「ヨーナクル王」と再々婚し、3人の息子をもうける。



さらに、グズルーンとシグルドの娘「スヴァンヒルド」はゴート族の王「エルマナリク」と結婚。



皆はいつまでも幸せに暮らしましたとさ。

ところがである!



エルマナリクはスヴァンヒルドの不貞を疑い、馬でひき殺した





グズルーンは息子達に「娘の仇を討てぇい!」と命じたけど、返り討ちにあって全員死んでしまうのだった…。


――END――

まあ、アーサー王伝説も
結構ぶっ飛んだ話だしね



――――――





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SHA 2018年04月17日 04:00

【「神の子殺し」の濡れ衣 】アントニオ・サリエリ


アントニオ・サリエリ





1750年8月18日 - 1825年5月7日








アントニオ・サリエリは18、19世紀のイタリアの作曲家。



18世紀の後半から末にかけて、アメリカ独立革命・フランス革命といったドンパチ賑やかなイベントが起きている時代で活躍。



日本では、田沼意次が老中になったりしている時代ですね。



サリエリは幼少のころからチェンバロ、声楽、ヴァイオリンといった音楽教育を受けて育つ。



だが、両親を早い内に亡くし、他の子供達と共に惨めな境遇に陥る。



その後…彼はヴェネツィアに住み、1766年に宮廷音楽家フローリアン・レオポルト・ガスマンとともにウィーンの宮廷へと招かれた。

サリエリの肖像画














宮廷楽長






そこでサリエリは音楽家としての才能を存分に発揮する。





1788年、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世より「宮廷楽長」に任命され、亡くなる直前の1824年までその地位にあった。




この宮廷楽長は音楽家として最高の地位・名誉であったが、クソ忙しい役職でもあった…



1 諸侯たちの娯楽・宴席のための作曲・指揮



2 宮廷楽団の運営



3 楽団員の生活の管理



4 諸侯の子女の音楽教師



などなど…色んな仕事があったのである。




1817年、サリエリは「ウィーン楽友協会音楽院」の指導者に就任。



この音楽院は後に「ウィーン国立音楽大学」と改称され、現在でも多数の世界的指揮者を輩出している。




また、「ニューイヤーコンサート」で有名なウィーン楽友協会の黄金ホールの設計、特に空間性、音響効果の設計にも携わる。




さらに、あのベートーヴェン、シューベルト、リストらを育てた名教育家でもあった。



弟子からは一切謝礼を取らず、才能ある・生活に困る弟子には支援を惜しまなかった。




またまた、職を失って困窮する音楽家やその遺族の為に、互助会を組織し、慈善コンサートを毎年開催し、有力諸侯に困窮者への支援の手紙を書くなどしている。




この音楽に関する多才さこそ、サリエリの素晴らしさであろう。




だが、後世において彼の偉業は「神の子・ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」の影に隠れることになる。





神の子とサリエリ

サリエリが使えていた皇帝ヨーゼフ2世は文化発展にも気を配り、多くのイタリア人が占めていた音楽の分野にドイツ音楽を意識してモーツァルトを宮廷音楽家として雇っていた。



サリエリとモーツァルトが具体的にいつ、どのように出会ったかは不明だが…



これでまでのイメージでは、この偉大な2人の作曲家は不仲で有名であった。






確かにモーツァルト自身も…



・モーツァルト「ウィーンで僕が高い地位に付けないのはサリエリが邪魔をしてるからだ!」







と語っていた(らしい)。




他にもモーツァルトの天才に怖れをなしたサリエリらのイタリア音楽貴族達が裏でモーツァルトの演奏会を妨害したため、収入が激減した…という噂もある。



そして、戯曲『アマデウス』(1979年)とその映画版(1984年)では、サリエリが「天才へ嫉妬した凡庸な作曲家」という風に描かれ、彼が「モーツァルトを毒殺した」ということになっている。





だが、これらの話も最近では「証拠がない・憶測である」という可能性がかなり強い。

モーツァルトの肖像画












「2人は不仲じゃねーよ」とする根拠




1 プラハの聖ヴィートゥス大聖堂の重要な祝賀行事の数々で、サリエリは自分の作品を一切使わず、中にはモーツァルトの作品を多数使用している。




2 サリエリはヴィーン劇場にモーツァルトを招待しており…



モーツァルトは、その時の模様を妻コンスタンツェへの手紙で伝えていた。



その手紙には「敵対心や憎悪でなく、ただ自分の作品を感嘆の言葉で祝福してくれたサリエリへの賛辞と感謝と親愛の心」がこもっていた。





3 モーツァルト、サリエリ、コルネッティの3人で共作もしている。



それは『オフィーリアの健康回復に寄せて』という曲で、「短期間声を失っていた女性歌手ナンシー・ストレースが舞台へ戻ってきたことを歓迎するため」に作られたものである。



この曲は、映画『アマデウス』のような「モーツァルトとサリエリが不仲だったという風説を否定するもの」として注目されている。



「本当に不仲なら一緒に歓迎の曲なんか作らんやろ!」という理屈ですね。



ちなみに「コルネッティ」は学者の間でも「誰だコイツ」状態な無名の作曲家。










「至高の神よ、サリエリを憐れみたまえ」

モーツァルト死後…



ウィーンの新聞は「彼は毒殺されたのではないか」と報じた。



1820年ごろになると、ウィーンでは、「“イタリアの作曲家ロッシーニを担ぐイタリア派”と“ドイツ民族のドイツ音楽を宣言するドイツ派”の論争・対立の中でサリエリがモーツァルトを毒殺した」という噂が流行。



サリエリはロッシーニからも「モーツァルトを本当に毒殺したのか?」と面と向かって尋ねられた。



また、弟子のモシェレスに自らの無実を訴えたが…かえってこれがモシェレスの疑念を呼び、彼の日記に「モーツァルトを毒殺したに違いない」と書かれてしまう結果に。



これらの噂・誹謗中傷により、サリエリは重度の抑うつ症となり、自分の喉を切ろうともした。




その後…1825年5月7日、74歳で死去…亡くなるまで噂に苦しんだという




時が経ち、当時の「サリエリがモーツァルトを毒殺した」などの噂をアイデアとして、『モーツァルトとサリエリ』(プーシキン)や『アマデウス』などの作品が作られた。



これらの作品によって、モーツァルトの影に隠れたサリエリの知名度は上昇した…だが、「サリエリがモーツァルトを…アマデウスを毒殺した」というイメージも広がってしまう。




そして2018年…Fate/GOにおいて「復讐者」として、再び名が知れ渡る事になる。

アントニオ・サリエリの「レクイエム」
https://www.youtube.com/embed/AO7xz7qTrlI







アントニオ・サリエリの故郷は・・・
パスタ大好きイタリア!










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SHA 2018年04月13日 00:36

モーツァルト「あーしんど…でも曲作らなきゃ…。」

・モーツァルト「あーしんど…でも曲作らなきゃ…。」

あのモーツァルトが体調を崩しながら作った曲…それが『レクイエム ニ短調
K.626』。



特に“怒りの日”と呼ばれる部分が有名。



CMや映画、ゲームなどでも使用される。
https://www.youtube.com/embed/Opwq0C0hjOg
モーツァルト《レクイエム》「怒りの日」カラヤン指揮/ベルリンフィル
(OperaTaiyaku オペラ対訳プロジェクト)





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●謎の依頼主

オペラ「魔笛」の完成も近づいた1791年7月…見知らぬ男がモーツァルトを訪ねた。



その男は匿名の依頼主からのレクイエムの作曲を依頼し、高額な報酬の一部を前払いして帰っていった。



『魔笛』の初演後、レクイエムの作曲に取りかかるが、モーツァルトは体調を崩しがちに…





そして彼は台本作家ロレンツォ・ダ・ポンテに「僕は自分のレクイエムを書いているんだ…」というような手紙を送る。



そんな手紙を書いたりしてるせいで、「モーツァルトは灰色の服を着た使者に催促され、自身のレクイエムを作曲しているのだ!」という伝説が当時から現在まで広まることになる。



だが、最近の研究で「匿名の依頼者」がフランツ・フォン・ヴァルゼック伯爵という田舎の領主であること、使者が伯爵の知人フランツ・アントン・ライトゲープという人物であることが明らかになった。





ヴァルゼック伯爵が1791年2月に若くして亡くなった妻の追悼のために、モーツァルトにレクイエムを作曲させたというのが真相だった。



●著作権的にはグレー

モーツァルト死後、貧乏のまま残された妻コンスタンツェは収入を得る手段としてこのレクイエムを完成させようとした。



弟子たちによって完成したレクイエムの楽譜は、依頼人のヴァルゼック伯爵に引き渡され、コンスタンツェは作曲料の残りを得た。



そしてヴァルゼック伯爵は、レクイエムを自分の作品として、ウィーンのノイクロスター教会において自身の指揮で演奏。



このヴァルゼック伯爵はアマチュア音楽家で、「有名作曲家に匿名で作品を作らせ、それを自分で写譜した上で自らの名義で発表する」という著作権的にグレーな行為を行っていた。



一方、コンスタンツェは手元に残した写譜から亡夫の作品としてレクイエムを出版…これに対して、ヴァルゼック伯爵は「俺の作品や!」とコンスタンツェに抗議した、という説がある…。

そんなモヤモヤするエピソードもあるけど、ともかくこのレクイエムは今も名曲として人々に語り継がれている。









「怒りの日」と言えば――
クラウザー、ギルデンスタン、ハイドリヒ、ロト7、ペルソナ
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SHA 2018年04月09日 17:27

モーツァルト「怒った?」⇒サリエリ「怒ってないよ」

アントニオ・サリエリとヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト…





この偉大な2人の作曲家は不仲で有名である。



確かにモーツァルト自身も…



・モーツァルト「ウィーンで僕が高い地位に付けないのはサリエリが邪魔をしてるからだ!」



と語っていたそうな。



他にもモーツァルトの天才に怖れをなしたサリエリらのイタリア音楽貴族達が裏でモーツァルトの演奏会を妨害したため、収入が激減した…という噂もある。



そして、戯曲『アマデウス』(1979年)とその映画版(1984年)では、サリエリが「天才へ嫉妬した凡庸な作曲家」という風に描かれおり、彼が「モーツァルトを毒殺した」ということになっている。




この嫌そうな顔を見よ!



だが、これらの話は最近では「証拠がない・憶測である」という可能性がかなり強い。


●「2人は不仲じゃねーよ」とする根拠



サリエリが使えていた神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世は文化発展に気を配り、多くのイタリア人が占めていた音楽の分野にドイツ音楽を意識してモーツァルトを宮廷音楽家として雇っていた。



サリエリとモーツァルトが具体的にいつ、どのように出会ったかは不明だが…



この2人の仲は決して、悪くはなかったようである↓




プラハの聖ヴィートゥス大聖堂の重要な祝賀行事の数々で、サリエリは自分の作品を一切使わず、モーツァルトの作品を多数使用している。




サリエリはヴィーン劇場にモーツァルトを招待しており…
モーツァルトは、その時の模様を妻コンスタンツェへの手紙で伝えていた。



そこには「敵対心や憎悪でなく、ただ自分の作品を感嘆の言葉で祝福してくれたサリエリへの賛辞と感謝と親愛の心」がこもっていた。




さらにモーツァルト、サリエリ、コルネッティの3人で共作もしている。



それは『オフィーリアの健康回復に寄せて』という曲で、イギリス人のソプラノ女性歌手ナンシー・ストレースの健康回復をたたえ、短期間声を失っていた彼女が舞台へ戻ってきたことを歓迎するために作られたものである。



ストレース夫人はモーツァルトとサリエリの作品の歌唱で知られていた。



題名の「オフィーリア」とは、サリエリのオペラ『La grotta di Trofonio』でストレースが歌うはずの役だったが、彼女の病気のため延期となっていた。



秋に作曲されたこの曲は、彼女の演技を待ちわびる気持ちを込めて、オフィーリアを引用したのだ。



この作品は、映画『アマデウス』のような「モーツァルトとサリエリが不仲だったという風説を否定するもの」として注目されている。



「本当に不仲なら一緒に歓迎の曲なんか作らんやろ!」という理屈ですね。



ちなみに「コルネッティ」は学者の間でも「誰だコイツ」状態な無名の作曲家。




●結論



戯曲と映画を作った奴、噂を流した奴、それを広げた奴、それを信じた奴――

・イタリア「シーネ!」



・ドイツ「それは極論。」





・フランス「このタイミングでサリエリの記事…?さてはまた日本人が偉人を女体化させたなww?」



・イタリア「とにかく、サリエリはモーツァルトを毒殺してないし、不仲でもない!サリエリ氏の悪評は、映画などの創作よる風評被害なんや!」





[

・某国の元総統「儂らが悪く描かれるのも、風評被害だ! 無辜の怪物になるぞ!チキショーメェ!」](http://stylish1history.b.dlsite.net/archives/64706631.html "UFO作ったり、ゾンビ作ったり、月に基地作ったり、聖杯探したり、麻雀したり、「柱の男」を蘇生したり、チョビ髭が現代転生したり、チョビ髭がキレ芸したり・・・")

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