ゲームに憑依する
元ジャンプ編集者の鳥嶋さんのインタビューで自分で良さを見抜けなかったのはポケモンだ、みたいなことを言ってて、じゃあポケモンの良さって何だろうって考えていました。
俺の屍を越えてゆけの舛田さんは本で祖母が孫が来た時泣いて喜んでいたことをゲームにしたとか。自分の血筋が残っている生命の本能的なものだとか言ってた気がする。
それで鳥嶋さんのインタビューの中に、ゲームの良さは自分で操作できることだと言ってた気がするのだ。
自分で操作できる。人間の本能的なもの。そんなことを考えながら、じゃあポケモンで遊んでる時の感情って何かなーって考えてみたら『応援』だと思うんですよね。
がんばれ!がんばれ!って。相手に負けるな!耐えろ!とか。そんなこと考えていた気がするんですよ。
それでこの『応援』で自分が一番記憶に強く残っているものは何だろう。って思い出していたらそれはシドニーオリンピックの高橋尚子選手が走っているときすごい応援していたんですよ.
それで高橋選手がゴールテープを切った時すごいうれしかった。
それから日本代表戦とかだと応援して勝てばうれしいし、負ければ悔しい。まるで自分がやってるように。
おそらくだけれど、応援してる時、憑依してるんじゃないかと思ったんですよね。
だからオリンピックで金メダルとったら自分が金メダルとったように感じるし、国別代表戦で勝てばまるで自分が国の代表になって勝ったように感じる。ポケモンもこれと同じだと思うんでさすよ。
つまりヒトカゲでジムリーダーのタケシ相手に火のこで戦ってる時も自分が戦ってるように感じていたりしてるんですよね。
これは別のゲームでも同じでどうロールプレイするかみたいな話になると思うんですよね。善人プレイするか、悪人プレイするかみたいな選択肢がある時、「自分だったらどうするか」。
僕らはゲームのキャラに憑依している。