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思考の記事(8)

ぼんやりクラブ

【読後の思考】壁の穴 (『ちぐはぐな部品』より/著者:星新一)

※一応ネタバレ注意






ちぐはぐな部品

壁の穴

大雑把な内容

青年がアパートの自室内で心当たりのない「不思議なナイフ」を発見。
試しに壁を突き刺すと、簡単に壁をくり抜くことができた。
できた穴から隣室を覗くものの、そこには建物の構造上ありえない空間が広がっており、青年は様々な風景を目にすることとなる。
どれもこれも美しく素晴らしい景色なので、見れば見るほど自分が哀れに思えてくる。
最終的に、自分の心臓にナイフを突き刺してしまうが、痛みはない。
身体のなかにできた空間に消えたのか、以来ナイフが現れることはなかった。

マルコヴィッチの穴を思い出した。
あとは動く城の「扉」。ハウルの。

知らない世界を覗き見るという行為が好きなので、コンセプト自体に面白さを感じる。

作品ではなくても、たとえば心霊スポット凸する動画みたいな、

・自分じゃ絶対行かないような場所
・自分がその場にいるかのような主観っぽい映像

のような要素あると見ていて楽しい。
秘境や廃墟へ潜る込むような映像もワクワクする。

創作において、こういったテーマだと監視カメラに魅力を感じる。

ホラー作品であれば、監視し続けることで「そこに何かとんでもないものが映るのではないか?」ミステリー作品であれば「対象人物が普段見せない素の一面を垣間みれるのではないか?」といった期待感がある。
また、状況の変化や行動パターンから次第に事実が露呈していったり、登場人物の推測から真実が導き出されていく、といった謎が解かれていく過程にも惹きつけられる。


そんな監視カメラが活躍する映画だと、「グッド・ネイバー」がオススメです。


カメラが捉える映像は、演出や編集のない「ありのままの」日常風景。
だからこそ、リアリティを感じる。

よくあるTV番組の「カメラが捉えた衝撃映像!(心霊・UMA系)」みたいなのはバリバリ編集しているだろうけど、「街中に設置された監視カメラに偶然映っていた犯罪者がとっていた行動(犯罪前後それぞれ)」みたいな実際の映像を見ると少し不気味に感じたりする。さらにいえば、TVではなくネットに素人があげている映像程、怖いものはない。
海外の得体の知れないやつ。情報がないほど怖い。

グッド・ネイバー」は怖くないけれど、うまく日常風景を取り込んでおり、そこにリアリティを感じられる作品なのでお気に入りです。

ちぐはぐな部品、読了。

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【読後の思考】神 (『ちぐはぐな部品』より/著者:星新一)

※一応ネタバレ注意






ちぐはぐな部品

超大雑把な内容

ある会社の男が信仰心を集めるために博士に依頼して、「神」を作らせる。
その方法は、世界各地の神に関する情報を収集し、高機能なコンピュータへ蓄積させていく、というものだった。
大量のデータに基づく情報は徐々に本物へと近づき、やがてコンピュータは「神そのもの」となる。神となったコンピュータは消えて、目に見えなくなってしまう。

それを真似続けると、やがてそれは「本物」となる。
(ルパンのCVが山田康雄からクリカンになったように)

この話を読んで【雑記】欝展開について思うことの最後に書いたことを思い出した。

最近、というか、前々からネット上で流行ってる感じの短編ホラーノベルをを作りたいと思っていたのですが、ガチで作るなら、本当に恐ろしいものをインプットしていかなければ良い作品が作れないと思い、半ば諦めています。
なぜなら、怖いからです。
恐怖を研究していくということは、すなわち真実に近づいていくということです。
多分、その行為はやがて禁忌に触れるので、できないです。

ここに書いたように、それに近づけば近づくほど、本当にそうなってしまう、ということは実際にあると思います。
ホラー系の制作物なんかで本当に呪われたり、霊現現象が起きたりした、といった話は調べると結構でてきます。

また、人間が怖い系の方向でいえば、

「お前は知りすぎた」
――そして彼は二度と戻ってこなかった……。BADEND

こういうことが創作の世界だけでなく、現実でも確実に起きていると思います。
深く関わりすぎたことで生じた、何か恐ろしいことが。『表立ってない』だけで……。
ことに「ホラー・オカルト」系で踏み込みすぎるのは個人的に怖いなと感じます。

身の安全を確保しつつも、その領域に足を伸ばし、非日常的なスリルを味わえるからこそ、ネットで見る体験談やそれらを題材にした創作物は素晴らしいですよね。


現実世界では、画家が一生懸命模写を続けた結果、本人にその技量を認められる…みたいに職人やアーティストが「本物」に限りなく近づいたり「本物」になってしまったりと、すごく夢のある話を国内外問わず耳にすることがあります。

創作ならば「自覚はないものの、何かを繰り返し続けてるうちに狂人や犯罪者となってしまっていた」といったミステリーや猟奇的なストーリーが似合うな~と個人的に思いました。

まだ途中ですが、前回から読み進めたなかで引っかかったテーマでした。

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【読後の思考】『廃屋の住人』著者:袈裟丸周造

廃屋の住人 著者:袈裟丸周造


※ほんのりネタバレ含みます








昔、ちらっとヤングジャンプ?で見かけたことがあり、ふと続きが気になったので電子書籍版で購入。ラクガキの不気味さが強く印象に残っていた。

読んでいて思ったことは、創作における「子供」の役割についてだった。

家に帰ってきた幼い子供へ何気なく一日の出来事を尋ねる母親。
そして、返ってきたその内容に、ぎょっとする。
当人は無知であり純粋なので、その状況がいかに「オカシイ」のか理解できずにいる。
平然と答えるのだが、大人が聞くと不安や恐怖を感じたりして、「ああ、よかった」と我が子の無事を安堵する……そんな状況が生まれてもなんら不思議じゃない。

あからさまな異常事態であれば、流石に子供も危険を察知するけれど、それが「どれくらい異常なことなのか?」を判断するにはまだまだ幼かったりする。

そういった存在なので、創作においては「平常」が「異常」に代わる引き金として子供を使うことがあるよなぁ、などと考えていた。
「日常」と「非日常」との架け橋のような役割ともいえる。

たとえば、大人だけの世界で何かが起こるとする。
その場合は、大人の人生経験からの推測や判断力で、その異常事態の早期発見がなされやすい。何より「世の中そういった異常が起きてもなんら不思議ではない」という認識があるので、自分たちが常に異常と隣合わせで生きていることを自ら理解している。だから、どんなことが起きたのか?その程度はいかほどか?と異常を察知し何かしら対応をとれる可能性が高い。

しかし、そこに「子供」という要素が入ると、どうなるか?

子供の存在が、「大人」と「異常」の間に挟まる「ワンクッション」と成り得る。

異常 ← 大人「異常あり!」
異常 ← 子供「?」 ← 大人「……」「異常なし!」

大人の世界で起きてもすぐに見つかってしまう異常だが、しかし、大人の世界の内部に存在する「子供の世界」であれば、うまく潜伏できてしまう

子供たちは大人に比べて異常に対しての意識が低い。
そもそも、それが異常なのかどうかを判別できない。
できないので、何事も起こらない。
何事も起こらないのだから、平常である。
平常な子供の世界をみて、まさかそこに「異常が潜伏している」などと大人たちは夢にも思わない。

そういった前提があるので「大人たち」と大人たち視点で物語を読み進める「読者たち」は予想を裏切られる形となる。結果、その存在を知ったときの衝撃は大きい
今回の 廃屋の住人にもそういった描写がちらほらあった。


もちろん、子供が「隣で死体が転がっていても平然としているNPC」みたいに鈍感な存在だとは決して思っていない。作品によっては大人が馬鹿ばっかで完全に立場が逆、というものもあるはず。無論、大人だって子供のことを気にかけるから、上のたとえは現実的ではない。

これはステレオタイプを利用して読者をだますトリックと言っていいんじゃないかと思う。(だますというのか、なんというのか…)

「子供ってこうだよね」「子供がそうなわけないよね~」という一般常識の影にタネを仕掛ける手法。ミステリー作品では定番だと思う。

リアルよりの世界観だとこういった子供の役割もあるな~と感じた作品だった。

作品の評価については、まぁ、えー、どうだろ。
人によってけっこう変わってくるかもしれない。

雰囲気が好き。

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【読後の思考】凍った時間 (『ちぐはぐな部品』より/著者:星新一)

※一応ネタバレ注意












ちぐはぐな部品

凍った時間

大雑把な内容

特殊な放射能を浴びてしまい、全身サイボーグになってしまった主人公。
人々からは奇異の目で見られるので地下にこもって生活していた。
ある日、唯一の楽しみであり、外界との接点であったTVが停止。
気になって、地上に上がると人々が倒れている。動いている人間はどこにもいない。

人目を気にしない自由を感じるも、町は死んでいる。
主人公は孤独を感じる。

そこに気密服を着た人間が現れる。同じ仲間扱いされるが、彼らは人々を眠らせるガスを開発しクーデターを起こしていたのだった。主人公はブチギレでその主犯格である博士を銃で撃つ。

二時間後、ガスの効果は消えて、人々は眠りからさめる。
開発者が死んだので、仲間たちは陰謀を企てる気力を失った。

やがて、人々が目を覚まし、立ち上がる。
きょとんとしていたが、次第にその視線は主人公のもとへ注がれる。

主人公は再び地下へ戻る。


なんとなく、『どろろ』の百鬼丸を彷彿とさせた。
村に住む妖怪(だっけ?)に苦しむ人々を百鬼丸たちがやっつけるんだけど、恩人にも関わらず「不気味だ」って理由で爪弾きされ村を追い出される、この一連の流れを思い出した。

それから、TVが地上世界と地下世界をつないでいるという点にに創作的な魅力を感じた。それに近しいものといえば私のなかでは「監獄(牢屋)」がそう。固く扉を閉ざされた独房に唯一ある小窓、なんかにも心惹かれるものがある。
『男には何もなかったが、その小窓から差す光だけが、唯一自分と外界とをつなげる存在であった』のようなシュチュエーション。※完全に創作世界における監獄だけど

隔絶された環境にあるものでいえば「無人島」もそう。
たったひとりで生活しているうちに物事の見え方が変わっくる、みたいな。

「身の回りに物が・情報が溢れまくっている世の中だから意識が分散しがちだけど、視野をきゅっと狭めて何か一つのものだけに意識を集中させると、いつもとは違った視点で物事が見られるよね。その見え方が新鮮だったり奇抜だったりして面白いよね」
…っていう考え方が自分にあるので、そういったものに魅力を感じるのだと思う。

半径3m以内に大切なものは全部ある by.宮崎駿
※若干ニュアンスが違うかも知れない

一見何もいないようなそのへんにある草地にしゃがみこんで、じぃ~~っと眺めみると、実は色んな虫が潜んでいたりして驚くことありますよね。子供の頃はそうじゃなかったのに。

そういう視点を忘れないようする。
そこから得たものを創作に活かしたい。

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