ゲーセンのオヤジなのにゲームが「嫌い」?

最近、たくさんの取材が舞い込むようになった。
ほぼ毎週、1件はこなしている。
ありがたい限りだ。


そこで毎回聞かれる質問がある。

「ゲームがお好きなんですね!」

これに対してのオヤカタの答えはこうだ。


「いや、特に好きというわけでは……」


簡潔に答えるとすると、こう答えることになる。


ゲームが好きかと問われると

別に好きでもなんでもない、というのが本心なんだ。

ゲーセンのオヤジなんだから、せめて嘘でも

「大好きです!!」

って答えてほしいという意見もわかる。


しかし、偽らざる本心は好きでもなんでもない、なんだ。


嘘つきたくないからね。
嘘をつけないわけじゃなくってさ、
こんなことで嘘をつきたくないんだな。


まあ、嘘が下手で明け透けなオヤカタではあるけれども、
ゲームが好きかどうかと聞かれて
嘘をついちまうと、ゲームに対して申し訳がない気がしてね。

ゲームには誠実でいたいんだ。

だから、別になんとも思わなければ、なんとも思わないと答える。

腹が減ったら飯を食う。
朝起きたら顔を洗う。

オヤカタにとってゲームとはそんなものだ。

好きとか嫌いとか、ないだろう?


オヤカタにとってスト2に至っては「嫌い」に傾いている。

起き抜けに顔洗うの、面倒だと思わないかい?

同じことだ。

面倒なんだ。嫌いなんだ。

それくらい、ゲームやスト2は日常なんだ。


学校に行く、仕事に行くと大差はない。


だから、「好きを仕事にできるなんて羨ましい!!」なんて

キラキラお目々でいわれた日には、
へそ曲がりの天邪鬼が顔を出して、

「別に好きでもないが」

といってしまうのである。

よくよく考えてみてほしい。

「毎朝顔を洗うなんて、顔を洗うのお好きなんですね!」

っていわれたら、「バカにされてんのかな」って思わない?(笑)
そういうことなのだ。
おわかりいただけただろうか? 皆の衆。


実際、ゲーセン仕事は大変だしね。
正直、惰性でできるほかの仕事のほうが楽だぜ。はるかに。


そもそも、だ。

ゲームが楽しいと思っているってことは、
自分の限界にぶつかって絶望とまではいかずとも、
落胆したことがないんじゃないか?


自分の無能っぷりにガッカリしたり、
これ以上は不可能だってくらい追い込んだり。

楽しいと思ってやってられる範囲で居続けているから、
楽しいんだよな。

楽しくない、嫌いだと思うまでやったことがあれば、
お花畑じゃいられないはずなんだ。


オヤカタは病気を言い訳にしないつもりだけれど、
それ以前に既に才能の限界を見た。
そしてさらに半身麻痺と片目の視力低下。
操作は10年前の7割ほどしかできない。
力を込めて、気合を入れて、やっと入力できる。
だから、咄嗟の操作ができないんだ。
いまは予測と準備でやりくりしているだけ。
リハビリの一環の域を出やしない。


じゃあ、なんで続けているんだ。
そんなに辛くて、嫌いなのに、どうしてやるんだ?


合理性のかけらもないけれども、
嫌いでも、やめるわけにはいかない。
そこに生き方というか、矜持があるからな。


それが傍目には好きに見えるのかもしれない。

そして、どんなに嫌っても、苦しんでも、
やめるわけにはいかないものこそが、


「本当に好きなもの」なんだろうな。


ただし、好きという言葉が一般的に持つ
ポジティブさは、まったくないと思ってほしい。


本当に好きなら、好きでいられるわけがねえんだな。

ゲーセンには、そういうものがたくさんある。

だからやめられねえんだろうな。



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    ゃまだ ID00911660
    わかりみがすぎて涙が…

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