ゲーセン文化は大切!なんだけれど……

ゲーセン文化は大切だけどさ


正直、ゲーセン文化と口にしたとき、
「文化」なんだから守られて当然。
維持されて当たり前だ。

「だからお前も支援しろ」


って感じの、居丈高っつーの?
つまりはエラソーな感じがして、内心、口にしたくないんだ。


オヤカタはゲーセンは文化だと思う。
でも、文化っていっても、それはなんか高尚なものじゃなくってさ。
街の中華料理屋とか大衆食堂みたいな感じであって、
お高く留まるようなモンじゃないと思うんだよね。


で、だからゲーセン文化って言葉を口にするとき、
嘘をついているようで嫌なんだ。

普段から大言壮語で嘘ついてるんだけど、
(ここに秋葉原をつくるぞ、とかさ)
本当のところを隠して嘘をつくのは嫌だなって思ってて。
おそらく嘘ですよって宣言して口にするミニハバラ計画と、
ともすれば本気に聞こえるゲーセンは文化発言は
同列にしちゃいけねー気がするんだな。


というのも、ゲーセンってのは居場所なんだよね。
中年男女の居場所だよ。
最近はサードプレイスとかいう、かっこいい呼び方もある。
家と職場(学校)以外の第三の場所って意味だ。

そんな居場所がなくなるのは嫌だよねって話なんだよね。
ただそれだけのこと。


なのに、文化とかいっちゃうとさ。
さもこの世の全員にとって役に立つみたいな響きになるでしょ。

これがどうもしっくりこない。
一部の人間の私利私欲のための居場所なわけだからさ。

楽しいだけじゃない、ワクワクして、苦しんで、
それを時間と場所で共有する。
そういう欲望を満たす場所なんだ。
だからゲーセンを残したいっていうことなんだけど、

文化だから残せ、残すべき、

っていっちゃうと、本当のところがすり替わってないか?
と思うんだ。


どこか他人行儀で、隙間風が吹く感じがする。
やっぱ嘘ついてるからかな?
文化といっておけば、大人を説得しやすいとか、
そういう処世術みたいなね。

だから、文化っていっちゃうと、
ゲーセンのアツさやイカれ具合が吹っ飛ぶ。
世間に認められて文化として残ったとしても、
熱を失った、小綺麗に加工された文化としてのゲーセンが
残ったんじゃ意味ないと思うんだ。

ゲーセンは博物館じゃ困るんだ。
だったら、もっとオブラートに包んだり、
高級百貨店の包装紙にくるんだりせずに、
本当のところをぶつけよう。


中年の憩いの場を残したい!
そして、そのうち中年になるガキンチョたちにも残しておきたい!
ロクな場所じゃないけど、そういうのも必要だろうから、
申し訳ないけど、手伝ってくれ!!


っていうほうがスッキリすると思ってさ。


中高年がアツくなれてこそのゲーセン。
そのために必要なのは、社会的に認められるための変容じゃなくって、
これからも受け継ぎたくなるような熱量と楽しさだよ。


だからみんなには、
変にカッコつけないでさ、ゲーセンおもしれーぞ!!
ってアピールし続けて欲しいんだ。
だって昔はそれでやってこれたんだから。
時代もあるけど、熱量だ。

あのころのアツさをひとりひとりが取り戻せば、
文化なんて言葉を引っ張り出さなくったって、
ゲーセンは残っていくさ。

きっとね。


(物理的な寿命は勘案しねーでおこう)

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