Koh@トランセル 2019/06/08 08:29

親孝行したら、やりたいことがハッキリしてきました。

おはようございます。
Kohです。


今日は久しぶりに実家に帰っていて、そこからの更新になります。
久しぶりに親と話をしてみると、色々思うところがあるものですね。

今回は特に長文になっております。
ご了承ください。

始めるのが難しい。

僕の母親は、去年初めてスマホを使い始めたガジェット初心者です。

長くガラケーを使い続けていたのは、PCの起動も出来ないくらい機械が苦手な人だったから。「スマホは難しくてめんどくさそう」という思いが強かったらしいです。

それが、久しぶりに話を聞いてみると「スマホってすごいね」と。
いくつかのアプリを試して、必要最低限に使いこなしておりました。

それだけでも、すごい進歩ですよね。

そんな母親の悩み

そんな中話題に上がったのが、「目が乾いてスマホを長時間見られない」という悩み。ドライアイと老眼で、近くを見続けるのがしんどいのだそう。

特に、フリックで入力するのが辛いらしい。

まあ確かに、5cm四方の細かい作業をやりたくないのは分かります。

そこで、音声入力を試してみるように勧めました。
今では割と一般的な機能。街中でも使ってる人をたまに見かけるものです。

ですが、彼女はこの機能を知らずにいました。


・・・実際使ってみてもらうと大成功。
見事に言った言葉が打ち込まれていきます。


多分、”とんでもない技術を体験した”というのが強いんでしょうね。
大きな声で、子どものようにはしゃいで喜んでおりました。

親孝行はしとくといいものです。

そこから得た教訓

僕は別に、親孝行の話をしたいわけじゃないですよ。
この経験から得た教訓があって、それをここで伝えようとしています。

●漠然とした「難しい」というイメージが正しいとは限らない。

●新しいことで上達するためには、細部を見る必要がある。

●知識を得ることで負担は減らせる。

●わからない時はとりあえず真似てみる


●漠然とした「難しい」というイメージが正しいとは限らない。
●新しいことを初めて上達するためには、細部を見る必要がある。
●知識を得ることで負担は減らせる。
●わからない時はとりあえず真似てみる

漠然とした「難しい」というイメージが正しいとは限らない。

今では通信会社もガラケーの数を絞っているけれど、相変わらずスマホを使いたがらない人はいます。特に歳をとるにつれて。

で、そういう人たちの中には2種類いるのだろうと思います。

・「難しくて自分にはできない」タイプ
・「自分には難しいことをする余裕がない」タイプ

前者は、1か0で物事を考えてしまう良くない考え方の人。
後者は、良いところに目を向けられない人。

1か0か

いわゆる老害になる(歳を経るごとに考えが凝り固まってしまう)のは良くないこと。

それは他人を見てると思うことがあるけれど、「自分がどうか」と問い直してみると意外と似た考えに陥っているときがあることに気付きます。

1か0かなんて、まさに少し前の僕でしたからね。

行動しないと始まらないのだけれど、そもそも行動できない。
そんなどうにもならない状態です。
(この後詳しく解説します。)

良いところに目を向けられない

多分皆さん知っての通り

・スマホは最低限「電話とメール、LINEが使えれば機能する」もの。
・そこに、大量のオプション(アプリでの機能拡張)が付いてきます

普通の電話に比べれば、使わない理由がないくらい便利。
でもその便利さ、良い面には目がいきません。


理由は2つ。
「スマホを使わない」という目的を達成する(自己イメージを守る)ために、悪い面ばかり目につくようになる(要するに変わりたくない)のか、単に知識がないのか。

「それってどうなの?」って話ですよね。
僕はそうなりたくないけど、そうなってる自分を見つけて悲しくなることがあります。


新しいことを初めて上達するためには、細部を見る必要がある。

細かく見るのって疲れます。

その負担を減らす方法として「それを自分なりに定義しなおしてみる」と言うのがあります。

ヘリコプターで上空から森を見ていてもカブトムシが見つからないのと同じ。
大きなものを漠然と見ているだけだと、どこから手を付けていいかすらわかりません。


だから、自分の持ってる情報や捉え方で、小さなところからアプローチを続けるのが一番手っ取り早いんです。これは、以前紹介した「人は教えると弱くなる」に通じる部分もあるんでしょう。


人がそれをどう使ってるかとか、世間でどういわれてるかとか気にせずに、とりあえず自分なりに情報を集めてみる。

一つ一つの情報を組み合わせて、自分なりの見方を作る。

その情報を使って、自分なりに出来ることをやってみる。


このプロセスを踏まないと、新しいことに挑戦するなんてできません。

僕の場合、イラストは「それっぽく見える錯視をつくること」だと思ってます。
そのために、まず人っぽく見えるものを描けるようにならないといけない。
そんな感じ。

知識を得ることで負担は減らせる

何でもそうだけど、知らないと実行できません。

逆に言えば、知ってれば大抵のことはできます。

僕の母がフリックで悩んでいたのも、音声入力を知らなかったから。
知ってたら、そもそも悩んですらいなかったかもしれません。

だから、どこかで知識を得ることは大事。
なかでも、自分に必要な知識を得ることは重要。
僕はそう思ってます。

わからない時はとりあえず真似てみる。

実のところ、僕はあまり音声入力を使ったことがありません。
別にフリックで困ってないので。

使ってる人が身近にいて、その人を真似るよう勧めただけです。


そんなふうに、具体的な方法が分からないなら誰かの行動を真似してみればいいんです。
相手の真意は分からなくても、そこで自分なりの情報を手に入れることができる。

大事なのは行動する(為に何をすればいいか知る)こと
天才の真意は分からなくても、真似をしていると嫌でも情報が入ってきて、自分なりの捉え方が出来るようになっていきます。

後は、試行錯誤してそれをいい方向に変えていけばいい。

「始める」から「続ける」に移ることが出来るようになります。

まとめ

こんな感じで、小難しいことを考えておりました。
だから人と話すのが苦手なんでしょうね・・・。

まあ、こういうのは好きなんでそれはそれで良いんですけど。

あ、ここまで書いてきた今考えがまとまったので、忘れないうちに心境をメモしておきます。



今の僕はどちらかと言うと、「作り手を応援する縁の下の力持ち」的な存在になりたいと思っています。

情緒をイメージするのが苦手だから話は作れないし、妄想するのも得意じゃない。
だから、マンガなり、CG集なり、音声作品なりで誰が形にしてくれるのを待っている側の人間です。

でも、だからといって買い支える”待ちの姿勢”でいるだけじゃなく、「新しい作り手を増やすこと、作り手のモチベーションを維持することで同人界隈に貢献できるんじゃないか?」という考えを持っています。

Ci-enでイラストの練習過程を上げ始めたのもそのため。
試行錯誤してる姿を見せられると思ったからです。


僕自身、初めて作った音声作品で人生観がガラッと変わりました。
1か0かで考えることは少なくなり、いろんなことに挑戦できるようになりました。

だから、過去の自分と同じように燻ってる人がいるなら、風を送って火を起こしてあげたいと思っています。

そんな意思表示でした。

今回、特に長文になってしまった。すみません。
これからは小難しくなく発言できるように、要約する力を鍛えたいな。
あと、字が詰まってて見づらいだろうから挿絵自作したい。
しばらくしたら更新するかもしれません。


・・・ということで、最後まで読んで下さりありがとうございました。
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それではまた明日。

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