ニル 2022/06/15 22:32

理想と完成についての話

レベルに合わせた制作をしろ

ツクール界隈でこと初心者に対してよく言われる事に、

レベルに合わせた制作をしろ。というものがあります。
理性的にはそれが妥当だと思う反面、感情的には好きじゃなくて。

これを言う人って多分、ゲームの完成 と 理想のゲームの現実化 という天秤で、
前者に傾く人だと思うんですよね。

完成したものを皆に発表したいとか、
それで称賛を得たい、とか。

当然の欲求ですし、理解も共感も出来る一方で、

理想を現実 にする事が目標で目的である場合、
そもそも完成させる為に妥協するというのは、
妥協した時点で目的が果たせなくなるんですよね。

自分は明確に後者。
理想を現実にするという方が欲求として強いので、
なんで他人に理想を諦めろと言われなければならんのだ。
……という気持ちが湧いてきます。

いや、俺自身は言われたこと無いんですけどね?
言われている人を見かけると、限界を決めつけられているのを見るようで、
なーんかもやっとするんですよね。
いやまぁ、後述する回答者側の時間的損失の可能性とかも考えると
それが妥当だってのは分かってるんですけどね。

完成しないと意味がない

これも割と見るんですが、そんなことはないと思ってて。
じゃあ、例えば小さかった頃に大好きで、だけどクリアできなかったゲームなんかは、
時間の無駄で意味もないのかって言われたら、それは絶対違うと思うんですよ。

例え発表できずとも。世にでなくとも。掛けた時間は思い出として残ります。
経験は何かしらの糧になります。

今製作中のゲームが完成しなかったとしても、
楽しく作っていた時間は消えませんし、0から学んだスクリプトは技術として残ります。
絵を描き始めたことだって、これも経験が無くなるわけでもありません。
ストーリーを考えることだって、今後また創作活動をしたくなった時には経験として残るでしょう。

そう、無駄なことなんて無いんですよ。
効率的だったかどうかは置いときますが。

理想を求めて妥協しないのであれば

理想を求めて妥協しないって選択肢を選ぶ人は、
個人的にはシンパシーを感じて好ましいんです。

ただ、その実現に常に誰かが協力してくれる訳ではありませんし、
誰かから手を差し伸べられる回数には限度があります。
俺自身、シンパシーだけで無償で何度も助けるような人でもありません。
無論、本当に好ましい人なら別ですけど。

妥協しないという選択を選ぶのなら、結局は地力が要求されます。
足りなければ、地力を上げるか、お金を使うか。誰かに頼るか。

誰かに頼るという選択肢は、先も言ったように回数制です。
フォーラムなり掲示板なり。努力の跡が見えずに
○○○してほしい、助けてほしい、作って欲しいというのばかりが見えれば、
この人は自分たちを手足として使っているだけだと、誰も手伝わなくなるでしょう。

散々手伝った挙げ句、誰も手伝ってくれなくなった段階で制作は頓挫。
世に出ること無く……なんてのは、手伝った側も不憫ですね。

ただ、それまで誰かの協力もあってだとしても、
理想を追えていたなら尚更、それが崩れることでゲーム制作が
頓挫する可能性は極めて高そうです。うーん、当然の帰結。

だからこそレベルに合わせた目標を立てろと
常々言われている訳ではありますが、
そう言われても妥協しない事を選び、
これからも選び続けるつもりで完成を目指すなら、

理想のラインまで地力を引き上げるかお金を使うしか選択肢は残らないと、
個人的には思ったりします。


それでも、もし自分の理想を追い続ける事が出来、
結果理想を叶えたならば。

それは間違いなく素晴らしいゲームになると思うんですよね。
俺はそういうゲームをプレイしてみたいし、
妥協せずに努力を惜しまず進める人は応援したい。そう思います。



……みたいな事を質問の回答と共にフォーラムに書こうか凄い迷ったんですが、
流石にスレチかなって。それでci-enへの記事として膨らませて、
久々に思いの丈を綴ってみたわけであります。


俺も今のところ理想を追えて制作も続いていますが、
なーんか速度が足りないなぁと。
立ち絵や顔グラという悩みのタネがついて回るのが
制作速度に悪影響を及ぼしていると感じ始めたので、
一旦制作の方法を変えて、その辺はもう未設定ですっ飛ばして
ストーリーの完結まで一気に持っていこうかな……と。ちょっと思ったりしています。

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