恩田陸の『蜜蜂と遠雷』を読んで感じたこと

単行本の発刊は2016年。
たぶん、まだ出たばかりの頃に買ったと思います。だから私がそれを手にしたのは今からおよそ3年前。
なのに、長らくのあいだ私の家で『蜜蜂と遠雷』は本棚の肥やしになっていました。

Ci-enで私の記事をご覧の方はすでにご存じかもしれませんが、引っ越して以来私が3ヶ月にわたって続けてきた死闘"the Mold War"のさなか、実は『蜜蜂と遠雷』もその戦火にさらされていました。

私が『蜜蜂と遠雷』を積読として温め続けているうちに、世間では文庫版が刊行され、あまつさえ映画版が上映されようとしていました。
2019年秋、私が『天気の子』を見に映画館へ行ったとき、『蜜蜂と遠雷』が同年10月4日に上映開始されることを知ったのです。

私は、焦りました。
ハードカバーは持ち歩きづらくて読み始めることもままなりません。刻々と上映開始が近づく中、『蜜蜂と遠雷』はその本を開くことすらしないまま、文庫本のほうばかりページが進んでいました。
でもこのまま『蜜蜂と遠雷』を読み終わらずにいると、映画版の上映が終了してしまうかもしれない。
もういっそのことすでに刊行済みの文庫版を買ってしまおうか。でもハードカバーを何年も前から持ってるんだからまた同じのを買うなんてもったいない。上下巻で2冊あるし。

そして10月4日、ついに私は意を決し、映画版の上映開始とともに『蜜蜂と遠雷』を読み始める日々を歩み始めたのです。ハードカバーのほうを持ちながら。

10月15日までに56P読み、10月17日までに100P読み、10月19日までに156P読みました。
最後の一日では全部で残り350Pを一気に読み、10月20日に読破しました。

直木賞&本屋大賞W受賞は伊達じゃない

先にはっきり申し上げておきますと、私はこの本を読み始めた当初から言語化困難な衝撃を受け続け、「わけ分かんない。何これ。すごすぎ。どーなってんの」と語彙力皆無な感想を垂れ流していました。

今でも私の中でこの小説が間違いなくすごいというのは疑念を挟む余地もないことですが、それがなぜ、どのようにすごいのか、確信を持って申し上げることができません。

それでも可能な限りそれを説明してみようと思います。
これは私が『蜜蜂と遠雷』を読み終わって三日後、文庫版下巻の巻末の解説以外は読書メーターもAmazonレビューも何も見ずに、映画版を見る前にナチュラルな気持ちで記すものです。

結末に近づくにつれ、これは群像劇じゃないと思った

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やっぱりこの人が主人公っていうのは一人決まっていて……

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