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なつき戦史室 2022年07月27日 21:43

イギリス軍の1944年に向けたビルマ作戦構想についてのメモ

1943年中盤に東南アジア戦域司令官として英海軍のマウントバッテンが就任。当初、イギリス軍はアンダマン、スマトラ、アキャブ等に水陸両用作戦をやるつもりでいた。しかし、欧州戦線で上陸作戦用の船舶がいるからと次々に取られていき、さらにスターリンが早く二次戦場(オーバーロード作戦)をつくってくれとせかすので、東南アジア戦域司令部の持っていた上陸作戦用資材の多くを欧州に取られる。
太平洋方面を主戦場とする戦略も鑑み、マウントバッテンは北ビルマのレド公路開放を主作戦とし、インパールの英第四軍団による牽制作戦、ウィンゲート空挺団による後方かく乱をやることに決めた。これが1944年初頭。
つまりビルマ全土奪還は諦めている。
レド公路開放はアメリカ側が強く主張するところで、中国軍への物資輸送を促進することで日本陸軍の戦力を中国大陸に貼り付けにしたままにする狙いがある。

不思議なことに、戦史叢書(不破博、元ビルマ方面軍参謀)ではこの過程を正確に書いていない。英公刊戦史、印パ公刊戦史、スリム回想録、マウントバッテン報告は部内で翻訳されていたので読んでいたはず。出典にもあるし。
一方、陸戦史集インパール作戦の巻(吉川正治、元南方軍参謀)は、要領よくまとめている。「一意インパール作戦に邁進し、英第四軍団の牽制に引っかかる結果となる(注1)」とまでさらっと書いている。
ただ、戦史叢書は統制前進説を否定して、陸戦史集は統制前進説をそのまま書いてたりするので理解に苦しむ。どういう力学が働いていたのか私にはわからない。

※統制前進説は「インパール作戦初期、33師団はわざと前進を遅らせた」とする説。『大東亜戦争全史』でビルマ編を担当した藤原岩市のねつ造。



注1 『陸戦史集 インパール作戦 上巻』九十二頁。


参考文献
『戦史叢書 インパール作戦』
陸戦史研究普及会編『陸戦史集 インパール作戦 上巻』原書房、1969年。
磯部卓男『インパール作戦』
丸山静雄『インパール作戦従軍記』
英公刊戦史
印パ公刊戦史

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