なつき戦史室 2022/08/05 22:10

牟田口廉也将軍の「腹切り」問答

1944年8月、ビルマ。日本軍の行ったインパール作戦は大失敗に終わり、各師団は降りしきる雨のなか敗走を続けていた。第十五軍司令部の戦闘司令所もチンドウィン河付近のシュエジンまで後退し、粗末な小屋で前線と電報のやり取りをしていた。
ある日のこと、牟田口廉也将軍が藤原岩市情報参謀に思い切ったことを話しはじめた。以下は当時第十五軍司令部にいた中井悟四郎中尉の回想である。


こんなとき、牟田口司令官が、藤原参謀の机のところへやってきて、私たち部付将校の前でこんなことを言った。

「藤原、これだけの作戦に多くの部下を殺し、多くの兵器を失ったことは司令官としての責任上、私は腹を切ってお詫びしなければ、上御一人や、将兵の霊に相済まんと思っとるが、貴官の腹蔵なき意見を聞きたい」と、いとも弱弱しい口調で藤原参謀に話しかけた。

私たちは仕事の手を休め、この興味深い話に耳を傾けた。彼は本当に責任を感じ、心底からこんなことを言い出したものだろうか。自分の自害を人に相談する人があるだろうか。彼の言葉は形式的な辞句に過ぎないものではなかろうか。言葉の裏に隠された生への執着が言外にあふれているような疑いが誰しもの脳裏にピンときた。

藤原参謀はと見ると仕事の手を一瞬も留めようとはせず、作戦命令の起案の鉛筆を走らせながら司令官に一瞥すらくれようとせず、表情すら動かさず次のようなことを激しい口調で言われた。

「昔から死ぬ、死ぬと言った人に死んだためしがありません。司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら幕僚としての責任上一応形式的にも止めないわけには参りません。司令官としての責任を真実感じておられるなら黙って腹を切って下さい。誰も邪魔をしたり止めたりは致しません。心置きなく腹を切って下さい。今度の作戦の失敗はそれ以上の価値があります」と言って相も変わらず仕事を続けている。

取り付く島もなくなった司令官は「そうか、よくわかった」と消え入りそうな頼りない声でファッファッファッとどこか気の抜けた笑い声とも自嘲ともつかない声を残して参謀の机の前から去っていった。

私たちは何事もなかったように各自の仕事を再開しながら心のなかで、司令官は死ぬつもりは毛頭ないのだ。大勢将校のいる前で参謀に相談し参謀が切腹を思い止まるよう忠告する言葉を期待していたのだ。そしてこの寸劇により部付将校の口から司令部内外への宣伝価値を狙ったのに違いないのだ。ところが案に相違した参謀の言葉にこの演出は失敗に終わったのだ。卑怯卑怯という言葉がもっともこの場合の司令官の言動に適した言葉であった。

ウ号作戦進発前後のあの昂然たる自信ある態度や、四辺を睥睨していた眼光はどこに失ったのであろうか。一介の一老爺に過ぎない卑屈さをどこで拾ってきたのであろうか。司令官としての威信をなくしてしまった牟田口個人の赤裸々な弱さだけが残っているように私には思えた。盧溝橋の一発当時の部隊長、シンガポール攻略戦ブキテマ高地の勇将牟田口師団長の面影など少しも残っていない、自信を全くなくした人の躯に過ぎないのだ。意欲なき土像と化してしまったのである。

中井悟四郎『歩兵六十七連隊文集第二巻 純血の雄叫び(ビルマ敗戦史)』(六七会、一九六二年)八十八-八十九頁。現代の表現に合わせて適宜漢字を平たくし、現用漢字に直し、小分けに段落を区切った。

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