なつき戦史室 2023/12/31 18:46

二〇二三年の戦史感想

今年は去年にも負けず劣らず本を読んでいない。困った。生活の環境が変わり、腰痛に悩まされ、歯の痛みに悩まされ続けた。それでも、読んだものが多少あるので紹介したい。



一、hajimemasite「浸透戦術という幻」

わたしは十年間ぐらい第一次世界大戦史を調べていたので、浸透戦術(注1)という言葉には格別の思いがある。浸透戦術は、ドイツ軍の常勝戦法のように雑に語られているが、対手である英仏軍も似たような戦術を大戦後半に採用していた。

第一次大戦の西部戦線史は、旧来型の散兵線の戦いから、現代戦に連なる第二次大戦型の戦術の変化の歴史だ。これは第一次大戦を調べていけば自然とわかる。

第二次大戦の歴史から第一次大戦を見てはいけない。英仏軍、とくにフランス軍は第一次大戦前の用兵思想の迷走から壮絶な変化を遂げた。膨大な戦死者を捧げてドイツ軍と張り合い続けた。大戦末期にはイギリス軍とフランス軍は列強軍事界の最先端を走るようになっていた(注2)。

わたしも「ドイツ軍だけが最先端を走っていたわけではないよ」というのをいつか書きたかったのだが、英語が苦手なので書けないでいた。そんなとき@hajimemasiteさんが完ぺきな内容で書いてくれた。それもわたしが構想していたとおりの内容で。

一九一八年の戦いはそれまでの作戦・戦術の変化の総決算だった。ドイツ軍は浸透戦術なるものを使っていたわけでなく、当時最先端の戦術を披露していただけだった。

バルク将軍曰く「我々は大量の砲兵にて敵を制圧したあと、普通に展開した。このような戦術〔注、浸透戦術のこと〕など使ったことはない」

この言葉が端的に事実を示している。

ドイツ語圏ではまた別の方向の研究があるかもしれない。しかし英語圏ではこれが一つの到達点だと思う。現在、hajiさんは毎月戦史を投稿しているが、格別の思い入れがあるこの記事を一番に紹介せずにはいられない。




二、平田昌司『「孫子」解答のない兵法』(岩波書店、二〇〇九年)

渡邉義浩訳、曹操『魏武注孫子』(講談社、二〇二三年)に参考文献として挙げられていたので読んだ。孫子兵法の本文を検証するというより、孫子がどう読まれてきたかに重点が置かれている。

古代中国の戦国時代、戦いを研究する集団がいて、現代の孫子十三編も含めて文章をたくさん書いていた。彼らはいにしえに存在したとする孫武や、戦国時代中期にいたという孫臏に仮託して論述した。いまこれを孫子学派とする(注4)。

孫子学派はいつの間にか歴史から姿を消してしまうのだが、文章はのこった。三国志の時代、曹操が孫子十三編を校訂したとされ、これが今日にのこる孫子兵法となる。実はサブテキストもいっぱいあったはずなのだが、一九七二年に一部が発掘されるまで完全に散逸していた。

その後『孫子』は兵書というより名文の文学書として書き継がれ、十世紀以降は中国の試験テキストとして細々と印刷され続けた。孫子のような軍事理論書がその後の中国で書かれなかった理由について著者はこう説明する。戦争・戦役の報告書がそのまま兵書として参考になったからだと。

日本における孫子受容の話も書かれている。これも大変興味深い。日本で孫子が人気になったのは、江戸時代に中国から輸入してからで、それまでは三略や六韜が兵書として賞揚されていた。武田氏の風林火山の旗も、当時の教養人である禅僧から教えの一つとしてもたらされただけで、孫子本文が好んで読まれていたわけではないという。

サミュエル・グリフィス版孫子が今日の学問水準からすればあまりよくないテキストにもかかわらず、アメリカ軍人から好まれている理由もわかる。まことに有意義な本だ。孫子本文を読んだことがある方は一度読んでみることをおススメしたい。




三、遠藤美幸『悼むひと 元兵士と家族をめぐるオーラル・ヒストリー』(生きのびるブックス、二〇二三年)

本書は、主に戦友会にまつわる話が載っている。著者は戦友会の世話役を何十年もしていて、その諸々の話だ。去年も連載記事を紹介した。

本来まったく関係のない戦友会の世話人と聞くとすわ右翼かと身構えてしまうかもしれないが、著者は反対側の立場である。

この本に出てくる部外の戦友会参加者は大体右翼で、大日本帝国の威光と自らの自尊心を重ね合わせてしまうタイプの人たちだ。X(Twitter)にもこのような人たちがいま大量発生している。彼らは元兵士の屈折した感情を理解しようとせず、理想の日本軍(つまり理想の自分)を語る。そして元兵士に怒られてしまうのだ。

元兵士とその家族の機微を探るに格好の本だ。ただ、後半につれて本編とは直接関係のない現代の政権批判が熱を帯びてくるので紹介しようか迷った。元兵士の意思を受け継ぐという自認がある著者にとっては「関係あるのだ」との思いがあるのは理解している。ただ、十分な論拠を示さずに唐突に主張を展開されると本編の内容も毀損しているように感じられる。

本書にウクライナ戦争に関する記述はあるが、恒久平和をとなえる立場ならあるべき「ロシア軍はウクライナから即刻撤退すべし」との主張がないし、中国の膨張主義に関する言及もない。昨今の倒錯した反戦論者はすべてアメリカの代理戦争、アメリカの陰謀のように説明してロシア・中国の帝国主義に阿る気風があるが、まさか……と思わないでもない。それとも日本が戦争に近づかなければ差し当たり問題ないというお立場なのだろうか。

こうなると元兵士たちの非戦の思いがかすんでしまう。だから戦友会の話と唐突な政権批判はわけて欲しかったなあと思う。十年二十年後、時局の話が風化すればもっと評価が高まるかもしれない。




四、苅部直『日本思想史への道案内』(NTT出版、二〇一七年)および同著者『日本思想史の名著30』(筑摩書房、二〇一八年)

今年のはじめに@MValdegamasさんが紹介していて気になって購入した。哲学とか思想とかの本がわりと好きなのだが、いつも思考がついていかない。この二冊はなんとかついていける。

個人的に相良亨『武士道』という本がめちゃくちゃ好きなのだが、研究史ではどう位置付けられているのか(あるいは奇書のたぐいなのか)わかっていなかった。二冊を読んで相良亨がどういう人なのかわかったのが、一番良かった。

戦史の話ではないですね、これ。まあいいか。




注1 言葉の意味を考えれば浸透戦術よりも浸透戦法のほうが適切と思っている。八十年代の陸自用語集には、戦法とは特定の戦闘法だと記している。

注2 この経緯は、日本ではいまだに参謀本部編『世界大戦ノ戦術的観察』が基本書である。浸透戦術という言葉は英語圏で生まれたために、この本にはこの語は載っていない。

注3 進化とは書かない。通常戦に最適化した軍隊は治安戦に向かない。物を壊し、人を殺すことに集中してしまう。

注4 落合淳思は、孫武も孫臏も実在の人物ではないとしている。詳細は、落合淳思『古代中国 説話と真相』。

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