舞沢野乃花 前日譚 第一章『ことばの あやが あざやかに』 その1

[はじめに]

 舞沢野乃花という人がいる。
 私が先月まで通っていた高校、新棚学園での後輩であり、
 言わずと知れた有名人だった。
 
 大手旅行会社の社長令嬢であり、新棚学園の生徒会長。
 
 肩書きだけでも十分だが、
 彼女の地位を確固たるものにしているのは、本人に備わった圧倒的なカリスマ性だ。
 
 一度味方になってくれると、まるでヒーローのような安心感をもたらしてくれる。
 そんな彼女を慕う人は多く、中には親衛隊じみた過激なファンもいるようだ。

 そんなこともあって、校内で彼女と話すときは、皆が妙な緊張感を持って接している気がする。

 たとえ彼女と仲が良く、本人に対して物怖じしないような人でも、周りの視線が気になって、ついつい言動が固くなってしまうのだ。

 まるで、厄介ファンに囲まれたアイドルのようだ。
 まあ、私もその内の一人なんだけれど。
 
 けれど、私は他の舞沢野乃花ファンとは違う。
 ……自惚れではない、実例を挙げよう。
 
 一つ、私は彼女と仲が良い。
 先輩後輩の垣根を越えて、彼女とは対等に話せている気がする。たぶん。
 普通に友人だ。少なくとも私はそう思っている。
 むこうも友人と認識してくれているのかは知らない。そうだといいな。

 ……ダメだ、このままでは単なる厄介オタクだ。

 もう一つ挙げよう。

 私は舞沢野乃花が生徒会長になる前から、彼女と知り合っている。

 彼女の名が学園中に知れ渡ったのは、彼女が二年生の時、生徒会選挙のスピーチをしたタイミングだ。

 私はそれよりも前、一年生の時の彼女と出会っているのだ。

 
 せっかくなので、その話をしようと思う。
 二年前――私と舞沢野乃花との出会いの話を。
 
 古参アピール――というより、自分語りになるだろう。
 だってこれは、私の話。
 私が舞沢野乃花に救われたという、ただの自慢話なのだから。

[1-1 二年前、懺悔の河川敷]

 私には悪友がいる。
 辺りが寝静まった頃、こっそり私を呼び出し、外へと連れ出す悪友が。

【つばき】
「おっひさー。一週間ぶりだね」

【真澄】
「……毎回玄関ノックするの、びっくりするから止めて欲しいんだけど」

【つばき】
「インターホンの方がよかった?」

【真澄】
「そういう事じゃなくて」

【つばき】
「ごめんごめん、今度は電話するからさ」
 
 何回繰り返したか分からないやり取りを交わす。
 こんなことを言いつつも、この悪友が事前に連絡をよこした事なんて一度もないのだ。

【つばき】
「そんなことよりさ。星、見に行こ」

【真澄】
「……うん」

 何回繰り返したか分からないやり取り。
 毎回頷いてしまうあたり、私もいい人ではないらしい。

 静かに家を抜け出して、二人で夜道を歩く。 目的地は尋ねない。確認するまでもないから。 

【つばき】
「いやーしかし、すっかり抜かされちゃったなあ」

【真澄】
「また背の話してる」

【つばき】
「気にしてるんだもん。昔は私の方が上だったんだけどなあ……」

 不服そうに頬を膨らませる。
 つばきは普段から自分の容姿に納得がいっていないようで、それは高校二年生にしては幼く見えるためらしい。
 けれど、幼さを気にする割には言動が一々可愛らしくて、ついつい笑みが零れてしまう。

 こんな時間にもかかわらず制服姿なのも、幼く見られないようにするためなのだろうか。
 誰かに見つかったら問題になりそうでモヤモヤするけれど、なんとなく聞き出せないでいる。

【真澄】
「………」

 いや、なんとなく、ではないか。
 怖いんだ。それを聞こうとしたことで、この関係が壊れてしまうんじゃないかって。

 彼女は悪友だけど。
 今となっては、私にとってたったひとりの、一緒にいても胸が苦しくならない存在だから。




 今日の夜空は、いつにも増して綺麗に見えた

【つばき】
「えー、そう? ウチにはいつもと変わりない夜空に見えるな。むしろ、いつもより雲が多くて残念」 

 深夜の河川敷。
 制服姿のまま隣で寝そべる悪友が、不思議そうな顔を向ける。
 私は空を見つめたまま話を続けた。

【真澄】
「……雲が多いからこそ、だよ。切れ目から顔を出す星が、とても綺麗」

【つばき】
「おりょ? 真澄がそんなこと言うなんて、なんか意外」

【真澄】 
「意外、かな」

【つばき】
「うん。その……繊細? でいいのかな。
 そんな感じのコメントは、なんか、らしくないって感じする」

【真澄】 
「その言い方はちょっと嫌かも。
 決めつけられてる感じがする」

【つばき】
「え、あ、ごめん……やっぱり繊細だ」

【真澄】
「…………」

【つばき】
「で、でもさ。
 これは真澄が真澄である以上、仕方ないと思うんだよ。
 だってさ――」

【真澄】 
「?」

【つばき】
「『真澄』なのに曇り空の方が好みって、なんだかズレてる感じしない?」

【真澄】
「……ふふっ、確かに」

【つばき】
「お、怒らないんだ」

【真澄】
「名前で弄られたことなかったから、なんか新鮮で……」
 
 成る程。
 17年の人生の中で、自分の名前の意味なんて対して気にしてこなかったけれど、
 指摘されていざ考えてみると、私ほど名に反した人間もそうそういないだろう。

 だって彼女(わたし)の心は、いつだって曇り空と悪天候ばかりだから。 

【真澄】
「……まったく、いつになったら澄んでくれるのやら」
 
 思わず口から言葉が漏れ出た。
 迂闊だった、こんなことをしたら、つばきが見逃すはずがないのに。
 
【つばき】
「真澄、何があった?」

 ここで素早く察して、かつ、何かあったことを断定して問いかけるのが彼女だ。

 こうなったらもう、逃げられない。
 今日一日、私が隠し通そうとしていた、あの話をするしかない。

【真澄】
「……うん。ちょっと……いや……」
 
 自分の言葉を否定する。
 これは全然「ちょっと」ではない。
 きっかけ自体は些細な出来事だったけれども、
 その出来事がもたらした結果は、他ならぬ深刻そのものだったから。
 
【真澄】 
「……先週ね、事故に、遭ったんだ」

【つばき】
「事故!? 真澄が……ってわけじゃないよね。今元気そうだし」

【真澄】
「そう、だね。……私じゃない。
 事故に遭ったのは、妹だよ」

【つばき】
「妹――確か、萌ちゃんだっけ」

【真澄】
「……うん」

 頷く。
 事故に遭ったのは萌だ。
 萌だけだ。
 他の誰でもない。
 私でも、ない。

【真澄】
「……ほんとはね、私が遭うはずだったんだ……。
 でも、私のこと庇って……」

【つばき】
「……」

【真澄】
「車に跳ねられたんだ。私の代わりに」
 
 ただちょっと、横断歩道で転んだだけ。
 笑ってしまうような、下らない自分のミス。
 今、それを笑い話にできないことが、ただただ苦しい。 

【つばき】
「それで、萌ちゃんはどうなったの?」

【真澄】
「……幸い、命に別状はなかったよ。
 意識もはっきりしてる。
 退院もして、明日から学校に行く予定」

【つばき】
「おお、それはよかった」

【真澄】
「でも、でもね……」

 星空を見ていた目を両手で覆う。
 
 かすれた声で、避けていた事実を述べる。

【真澄】
「萌、今車いすなんだ……。
 私のせいで、歩けなくなっちゃった……」


[1-2 加害者と被害者のリビング]

 翌日の朝。
 まだ誰もいないリビングで、昨日の残りのカレーを食べながら、私は緊張を覚えていた。
 萌にどんな顔をして会えば良いか分からなかったからだ。

 いや、昨日の時点で顔は合わせているんだけれど、
 夕方にアルバイトがあったので時間がなく、「退院おめでとう」くらいの簡単な会話しかしていなかったのだ。

 だから実質、今日の朝が退院後の萌と過ごす最初の日なのだけれど。

 正直、このまま先に家を出て、学校に向かってしまおうかという気さえしていた。

【真澄】
「……」

 事故に遭うまで、私と萌との関係は良好だった。
 
 その理由は、私達の歳が一つしか違わないからというのもあるけれど、
 萌の性格の良さに起因するものが大きかったと思う。
 
 嫌みでも何でもなく、萌はよくできた妹だ。
 好奇心旺盛で人なつっこい上に、聞き分けも良いので話していて疲れなかった。

 運動神経もよく、所属していたバレー部でも周囲から頼られる存在だったらしい。

 羨ましくなるくらいにハイスペックな少女だった。
 
 過去形だ。
 私が過去形にしてしまった。

【真澄】 
「………………っ」

 スプーンで掬ったカレーを口に入れる。
 辛口の筈なのに、何も感じられない。
 
 胸に巣食う感情に、全て持っていかれてしまう。

 この居心地の悪さ。
 あるいは、居場所のなさに。

【真澄】
「………………………」

【萌】
「お姉ちゃんおはよー」

【真澄】
「えっあっ」

 すんなりだった。

 私の緊張をよそに、萌は平然とした様子でリビングに入ってきた。

 寝間着姿のままだった。
 包帯なども巻かれておらず、ごく普通の様相。

 普通じゃないのは、伸ばしていたはずの髪が短く整えられていること。
 そして、車いすに座っていることだけだ。
 
 母親も一緒だった。
 ベッドから乗り移る際の介助をしたのだろう。
 今も車いすを持って、萌の移動を手助けしている。

【真澄】
「あっ……お、おはよう」

 慌てた挙げ句、凡庸な言葉しか出ない。

【萌】
「む、先に一人で朝食なんて、寂しいことするじゃん。
 萌も一緒に食べる。というか、みんなで一緒に食べようよ」

【真澄】
「あ、うん……ごめん」

【萌】
「いいよ。
 お母さん、ごめん、椅子に座るの手伝ってくれる?」

【真澄】
「……あ、そっか。高さが……」

【萌】
「合わないんだよねー。おのれ海外製……」

 我が家のテーブルが高めの設計をしているせいで、車いすのままだと食事ができないのだ。

【萌】
「イスをもうちょっと近く……いや、角度を狭くして。
 そう、そんな感じ」

 車いすの位置を調節してもらい、車輪をロック。
 足置き――フットレストと言うらしい――も上げてもらう。

 母親が萌の腰に両腕を回し、萌は母親に抱きつくような姿勢になる。
 
 心なしか、母親の手が震えているように見えた。 
 介助の経験が浅く、緊張しているのだろう。
 
 逆に萌の方はすっかり慣れた様子だ。
 入院中に何回も練習したのだろうか。

【萌】
「落ち着いて。斜めに持ち上げてね。……せーの。
 よいしょっと。」

 掛け声と共に、車いすからイスへの移譲が完了した。

【萌】
「うーん、ちょっと遠いな……。
 あ、お母さん待って。イスは動かさないで」
 
 咄嗟にイスを押そうとした母親を制する。

【萌】
「ごめんお姉ちゃん、ちょっと机をこっちに押してもらってもいいかな」

【真澄】
「え、あ、うん。わかった……。
 っ、これくらいでいい?」

【萌】
「うん、ばっちり。ありがとう。
 お母さんも色々ありがとね」

 申し訳なさそうにしている母親をねぎらう萌。

【萌】
「あ、そうそう。
 さっきはああ言ったけど。イスを動かしちゃダメってわけではないんだ。
 転ばないように準備とかコツがいるから、机を動かした方が安全ってだけ」

【真澄】
「なるほど……」

 空返事だった。
 この一連の流れを通して、改めて実感していたから。
 本当に、動かないんだということを。

 外傷はない。
 しかし事故による神経麻痺は、萌の両脚から上手く力を入れる能力を奪った。

 いつ歩けるようになるのかは、一切分からないし、
 そもそもリハビリを続ければ歩けるようになるのかすら分からない。

 ひどく不透明な現状を、私の妹は生きている。

【萌】
「さーて。
 ……お姉ちゃん、ご飯を持ってきて欲しいな、なんつって」

【真澄】
「あっ、ごめん」

【萌】
「気にしてないよ。色々初めてだもんね」

 介助の様子に見入るあまり、完全に失念していた。
 慌ててご飯をよそい、温め直したカレーをかける。

 疲れているだろう母親の分も用意して、ようやく3人の食卓が完成した。

【萌】
「いただきます」

【真澄】
「い、いただきます」

【萌】
「……お姉ちゃん」

【真澄】
「?」






【萌】
「ただいま」







【真澄】
「――――――――っ」

【萌】
「久しぶりに、目線が合ったね。
 なんか、嬉しい」

【真澄】
「萌…………」

 その言葉は。
 
 自分は大丈夫だよと、私に諭しているようで。
 気にしなくて良いんだよと、私を許しているようで。

 私は、
 私は。





 深く絶望した。




【真澄】
「(………やっぱり)」

 私は知っている。
 萌ができた妹だということを。
 
 姉だから、知っている。
 一番近くで見てきたから、知っている。

 だから、分かる。
 そのよくできた妹が、どういう風に無理をするのか

 萌は、誰かに傷つけられたとき。
 その相手に、"まるでなんともなかったかのように" 振る舞うのだ。

【真澄】
……ごめん

 耐えられなかった。
 これしか言えなかった。
 掠れすぎて、小さすぎて、聞こえなかっただろうけれど。

 それでも、詫びずにはいられなかった。
 自分が加害者になってしまったことを。

 

[1-3 出会いの帰路]

 そこから、萌とはろくな会話をせずに家を出た。
 
 私と萌は高校が同じで、徒歩通学だった。
 だから必然的に一緒に登校していたけれども、
 今後は萌が母親に送迎してもらう都合上、私ひとりでの通学になる。

 学校までの道のりを歩いている間は、正直、気が楽だった。

 学校に着いてからのことは、あまり思い出したくない。

 とにかく、誰かと一緒にいることが辛かった。
 
 罪悪感が暴走していた。
 事故のことを考えないようにしようと思うたび、逆に強く意識してしまっていた。 
 誰かに話しかけられる度、事故の話題を出されるのではないかと恐怖していた。
 
 そして放課後。
 形ばかりの生徒会の業務を終えた私は、こうしてたったひとりの帰路を歩いている。

 風は冷たかった。
 それでも、ひとりが心地よかった。

 一人なら、傷つかない。
 傷つけることも、ない。


 ――といった様子で、当時の私は随分と落ち込んでいるけれど。 

 もう一度、この節のサブタイトルを読んで欲しい。

 "1-3 出会いの帰路"

 そう、私はここで出会うのだ。
 大手旅行会社の社長令嬢にして、未来の新棚学園の生徒会長。
 
 舞沢野乃花に。

 もっと詳しく書くと、
 「萌の車椅子を押している」舞沢野乃花に。

 ……なんで?
 
 という疑問の答えは、来月話すとしよう。

 今月はこのくらいで。
 それではまた。

(つづく)

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