自遊時閑 Dec/13/2023 18:35

[梶井基次郎] 檸檬 ファストノベル

 得体の知れない不吉な塊が私の心を始終圧さえつけていた。焦燥、嫌悪と言おうか――酒を毎日飲んでいると二日酔いに相当する時期がやってくる。これはちょっといけなかった。生じた肺結核やノイローゼがいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。
 以前私を喜ばせた美しい音楽も、美しい詩の一節も我慢ならなくなった。何かが私をいたたまれなくさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。

 何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられた。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしても表通りよりもどこか親しみのある、がらくたが転がしてあったりする裏通りが好きであった。
 時どき私はそんな道を歩きながら、ふと、そこが京都ではなく仙台とか長崎とか――そのような町へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。私は、誰一人知らないような町へ行ってしまいたかった。願わくばここがいつの間にかその町になっているのだったら。
 ――錯覚が成功しはじめると私は次から次へ想像の絵具を塗りつけてゆく。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。
 私はまたビードロという、色ガラスで鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになった。またそれを舐めてみるのが私にとってなんともいえない快楽だったのだ。あのビードロの味ほど微かな涼しい味があるものか。
 察しはつくだろうが私にはまるで金がなかった。とは言え、私自身を慰めるためには、贅沢というものが必要であった。
 以前私の好きであった所は、たとえば丸善であった。洒落た切子細工や優雅な琥珀色や翡翠色の香水びん。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。そして結局一番いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。
 しかしその頃の私にとっては重くるしい場所に過ぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取りの亡霊のように私には見えるのだった。

 ある朝――その頃私は友人たちの下宿を転々として暮らしていたのだが――友人が学校へ出てしまったあとぽつんと一人取り残された。私はまたそこから彷徨い出なければならなかった。そして街から街へ、先に言ったような裏通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立ち止まったり、とうとう私は果物屋で足を止めた。
 その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感じられた。なにか華やかな美しい音楽の快速調《アレグロ》の流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なもので、あんな色彩やあんなボリュームに凝り固まったというふうに果物は並んでいる。
 実際あそこの人参の葉の美しさなどは素晴しかった。
 またそこの家の美しいのは夜だった。どうしたわけかその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。しかしその家が暗くなかったら、あんなにも私を誘惑するには至らなかったと思う。
 もう一つはその家から突き出した庇《ひさし》なのだが、その庇が目深《まぶか》に冠った帽子のつばのように真っ暗なのだ。そう周囲が真っ暗なため、店頭に点けられたいくつもの電灯がにわか雨のように浴びせかける絢爛《けんらん》は、周囲の何者にも奪われることなく、欲しいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。通りに立って眺めたこの果物店の眺めほど、その時の私を楽しませたものは寺町の中でも稀だった。

 その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬《れもん》が出ていたのだ。私はあの檸檬が好きだ。絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形《ぼうすいけい》の格好も。
 ――結局私はそれを一つだけ買うことにした。始終私の心を圧さえつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んできたようで、私は街の上で非常に幸福であった。
 その檸檬の冷たさは例えようもなくよかった。その頃私は肺尖《はいせん》を悪くしていていつも身体に熱が出た。その熱いせいだったのだろう、握っている掌から体内に浸み透ってゆくようなその冷たさは心地よいものだった。
 私は何度も何度もその果実を鼻に持っていっては嗅いでみた。そして深々と胸いっぱいに匂い立つ空気を吸い込めば、なんだか体内に元気が目覚めてきたのだった。……
 実際あんな単純な触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこれだけを探していたのだと言いたくなったほど私にしっくりしたなんて私は不思議に思える。
 私はもう通りを軽やかな興奮に弾んで、一種誇らしい気持ちさえ感じながら歩いていた。汚れた手拭の上へ載せて色の反映を量《はか》ったり、またこんなことを思ったり、
 ――つまりはこの重さなんだな。――
 その重さこそ常づね探し求めていたもので、疑いもなく、この重さはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算してきた重さであるとか、思いあがった遊び心からそんな馬鹿げたことを考えてみたり――何はさておき私は幸福だったのだ。

 どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。
 しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げていった。憂鬱が立ちこめてくる。
 私は画本の棚の前へ行ってみた。画集の重たいのを取り出すのさえ「いつにも増して力が要るな!」と思った。しかし私は一冊ずつ抜き出してはみる、そして開けてはみるのだが、念入りにめくってゆく気持ちは湧いてこない。それ以上は堪らなくなってそこへ置いてしまう。以前の位置へ戻すことさえできない。私は幾度もそれを繰り返した。とうとうおしまいには大好きだったアングルの重い本まで堪え難さのために置いてしまった。――なんという呪われたことだ。手の筋肉に疲労が残っている。私は憂鬱になってしまって、自分が抜いたまま積み重ねた本の群を眺めていた。
 以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだろう。
「あ、そうだそうだ」その時私は袂《たもと》の中の檸檬を思い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試してみたら……「そうだ」
 私にまた先ほどの軽やかな興奮が帰ってきた。私は手当たり次第に積みあげ、慌しく築きあげた。新しく引き抜いて付け加えたり、取り去ったりした。奇怪な幻想的な城が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。
 やっとそれは出来上がった。そして、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。
 見渡すと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。
 不意に次のアイディアがひらめいた。
 ――それをそのままにしておいて私は、なに喰わぬ顔をして外へ出る。――
 私は変にくすぐったい気持ちがした。「出て行こうかなぁ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。

 変にくすぐったい気持ちが街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けてきた奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
 私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も木っ端微塵だろう」
 そして私は活動写真の看板画が奇妙な趣きで街を彩っている京極を下って行った。

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