自遊時閑 2023/12/11 17:13

[梶井基次郎] 檸檬 ソフトノベル

 得体の知れない不吉な塊が私の心を始終圧さえつけていた。焦燥と言おうか、嫌悪と言おうか――酒を飲んだあとに二日酔いがあるように、酒を毎日飲んでいると二日酔いに相当する時期がやってくる。それがきたのだ。これはちょっといけなかった。生じた肺結核やノイローゼがいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。
 以前私を喜ばせたどんな美しい音楽も、どんな美しい詩の一節も我慢ならなくなった。蓄音機を聴かせてもらいにわざわざ出かけて行っても、最初の二三小節で不意に立ち上がってしまいたくなる。何かが私をいたたまれなくさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。

 何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられたのを覚えている。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしてもよそよそしい表通りよりもどこか親しみのある、汚い洗濯物が干してあったりがらくたが転がしてあったりむさ苦しい部屋が覗いていたりする裏通りが好きであった。
 雨や風が蝕んでやがて土に帰ってしまう、と言ったような趣きのある街で、土の塀が崩れていたり家並が傾きかかっていたり――勢いのいいのは植物だけで、時としてびっくりさせるような向日葵《ひまわり》があったりカンナが咲いていたりする。
 時どき私はそんな道を歩きながら、ふと、そこが京都ではなくて京都から何百キロも離れた仙台とか長崎とか――そのような町へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。私は、できることなら京都から逃げ出して誰一人知らないような町へ行ってしまいたかった。第一に安静。がらんとした旅館の一室。清潔なふとん。匂いのいい蚊帳と糊のよくきいた浴衣。そこで一月ほどなにも思わず横になりたい。願わくばここがいつの間にかその町になっているのだったら。
 ――錯覚がようやく成功しはじめると私は次から次へ想像の絵具を塗りつけてゆく。なんてことはない、私の錯覚と壊れかかった街との二重写しである。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。
 私はまたあの花火というやつが好きになった。花火そのものは二番目として、あの安っぽい絵具で赤や紫や黄や青や、さまざまな縞模様を持った花火の束、中山寺の星下り、花合戦、枯れすすき。それから鼠花火というのは一つずつ輪になっていて箱に詰めてある。そんなものが変に私の心を唆《そそ》った。
 それからまた、ビードロという、色ガラスで鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになったし、南京玉《なんきんだま》が好きになった。またそれを舐めてみるのが私にとってなんともいえない快楽だったのだ。あのビードロの味ほど微かな涼しい味があるものか。
 私は幼い時よくそれを口に入れては父母に叱られたものだが、その幼い時のあまい記憶が大きくなって落ちぶれた私に蘇ってくるせいだろうか、まったくあの味には微かな爽やかななんとなく詩美と言ったような味覚が漂ってくる。
 察しはつくだろうが私にはまるで金がなかった。とは言え、そんなものを見て少しでも心の動きかけた時の私自身を慰めるためには、贅沢というものが必要であった。二銭や三銭のもの――と言って贅沢なもの。美しいもの――と言って無気力な私の触角にむしろ媚びてくるもの。――そう言ったものが自然と私を慰めるのだ。
 生活がまだ蝕まれていなかった以前私の好きであった所は、たとえば丸善であった。赤や黄のオーデコロンやヘアトニック。洒落た切子細工や優雅なロココ様式の浮模様をもった琥珀色や翡翠色の香水びん。煙管《きせる》、小刀、石鹸、煙草。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。そして結局一番いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。
 しかしここももうその頃の私にとっては重くるしい場所に過ぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取りの亡霊のように私には見えるのだった。

 ある朝――その頃私は甲の友達から乙の友達へというふうに友達の下宿を転々として暮らしていたのだが――友達が学校へ出てしまったあとの空虚な空気のなかにぽつんと一人取り残された。私はまたそこから彷徨い出なければならなかった。何かが私を追いたてる。そして街から街へ、先に言ったような裏通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立ち止まったり、乾物屋の乾し蝦や棒鱈や湯葉を眺めたり、とうとう私は二条の方へ寺町を下がり、そこの果物屋で足を止めた。
 ここでちょっとその果物屋を紹介したいのだが、その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感じられた。果物はかなり勾配の急な台の上に並べてあって、その台というのも古びた黒い漆塗りの板だったように思える。なにか華やかな美しい音楽の快速調《アレグロ》の流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なものを押し付けられて、あんな色彩やあんなボリュームに凝り固まったというふうに果物は並んでいる。
 青物もやはり奥へゆけばゆくほどうず高く積まれている。――実際あそこの人参の葉の美しさなどは素晴しかった。それから水に漬けてある豆だとか慈姑《くわい》だとか。
 またそこの家の美しいのは夜だった。寺町通はいったいに賑やかな通りで――と言って感じは東京や大阪よりはずっと澄んでいるが――飾り窓の光がおびただしく街路へ流れ出ている。それがどうしたわけかその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。もともと片方は暗い二条通に接している街角になっているので、暗いのは当然であったが、その隣家が寺町通にある家にもかかわらず暗かったのがはっきりしない。しかしその家が暗くなかったら、あんなにも私を誘惑するには至らなかったと思う。
 もう一つはその家から突き出した庇《ひさし》なのだが、その庇が目深《まぶか》に冠った帽子のつばのように――これは形容というよりも、「おや、あそこの店は帽子のつばをやけに下げているぞ」と思わせるほどなので、庇の上はこれも真っ暗なのだ。そう周囲が真っ暗なため、店頭に点けられたいくつもの電灯がにわか雨のように浴びせかける絢爛《けんらん》は、周囲の何者にも奪われることなく、欲しいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。裸の電灯が細長い螺旋棒《らせんぼう》をきりきり目の中へ刺し込んでくる通りに立って、また近所にある鍵屋の二階のガラス窓をすかして眺めたこの果物店の眺めほど、その時の私を楽しませたものは寺町の中でも稀だった。

 その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬《れもん》が出ていたのだ。檸檬などごくありふれている。がその店というのも見すぼらしくはないまでもただ当たり前の八百屋に過ぎなかったので、それまであまり見かけたことはなかった。いったい私はあの檸檬が好きだ。レモンイエローの絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形《ぼうすいけい》の格好も。
 ――結局私はそれを一つだけ買うことにした。それからの私はどこへどう歩いたのだろう。私は長い間街を歩いていた。始終私の心を圧さえつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んできたようで、私は街の上で非常に幸福であった。あんなにしつこかった憂鬱が、そんな物の一つで紛らされる――あるいは不審なことが、逆説的な本当であった。それにしても心というやつはなんという不可思議なやつだろう。
 その檸檬の冷たさは例えようもなくよかった。その頃私は肺尖《はいせん》を悪くしていていつも身体に熱が出た。事実、友人たちに私の熱を見せびらかすために手の握り合いなどをしてみるのだが、私の掌が誰よりも熱かった。その熱いせいだったのだろう、握っている掌から体内に浸み透ってゆくようなその冷たさは心地よいものだった。
 私は何度も何度もその果実を鼻に持っていっては嗅いでみた。それの産地だというカリフォルニアが想像に上ってくる。漢文で習った「売柑者之言《ばいかんしゃのげん》」の中に書いてあった「鼻を撲《う》つ」という言葉が切れ切れに浮かんでくる。そして深々と胸いっぱいに匂い立つ空気を吸い込めば、今まで胸いっぱいに呼吸したことのなかった私の身体や顔には温い血の熱が昇ってきてなんだか体内に元気が目覚めてきたのだった。……
 実際あんな単純な冷覚や触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこれだけを探していたのだと言いたくなったほど私にしっくりしたなんて私は不思議に思える――それがあの頃のことなんだから。
 私はもう通りを軽やかな興奮に弾んで、一種誇らしい気持ちさえ感じながら、美麗な装束を着て街を闊歩《かっぽ》した詩人のことなど思い浮かべては歩いていた。汚れた手拭の上へ載せてみたりマントの上へあてがってみたりして色の反映を量《はか》ったり、またこんなことを思ったり、
 ――つまりはこの重さなんだな。――
 その重さこそ常づね探し求めていたもので、疑いもなく、この重さはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算してきた重さであるとか、思いあがった遊び心からそんな馬鹿げたことを考えてみたり――何はさておき私は幸福だったのだ。

 どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。
「今日はひとつ入ってみてやろう」そして私はずかずか入って行った。
 しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げていった。香水のびんも煙管《きせる》も私の心にはのしかかってゆかなかった。憂鬱が立ちこめてくる、私は歩き回った疲労が出てきたのだと思った。
 私は画本の棚の前へ行ってみた。画集の重たいのを取り出すのさえ「いつにも増して力が要るな!」と思った。しかし私は一冊ずつ抜き出してはみる、そして開けてはみるのだが、念入りにめくってゆく気持ちはさらに湧いてこない。しかも呪われたことにはまた次の一冊を引き出してくる。それも同じことだ。それでいて一度バラバラとやってみなくては気が済まないのだ。それ以上は堪らなくなってそこへ置いてしまう。以前の位置へ戻すことさえできない。私は幾度もそれを繰り返した。とうとうおしまいには日頃から大好きだったアングルの橙色の重い本までなおいっそうの堪え難さのために置いてしまった。――なんという呪われたことだ。手の筋肉に疲労が残っている。私は憂鬱になってしまって、自分が抜いたまま積み重ねた本の群を眺めていた。
 以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだろう。一枚一枚に目を通し終わった後、さてあまりに尋常な周囲を見回すときのあの変にそぐわない気持ちを、私は以前には好んで味わっていたものであった。……
「あ、そうだそうだ」その時私は袂《たもと》の中の檸檬を思い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試してみたら……「そうだ」
 私にまた先ほどの軽やかな興奮が帰ってきた。私は手当たり次第に積みあげ、また慌ただしく潰し、また慌しく築きあげた。新しく引き抜いて付け加えたり、取り去ったりした。奇怪な幻想的な城が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。
 やっとそれは出来上がった。そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。
 見渡すと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えわたっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。
 不意に次のアイディアがひらめいた。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。
 ――それをそのままにしておいて私は、なに喰わぬ顔をして外へ出る。――
 私は変にくすぐったい気持ちがした。「出て行こうかなぁ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。

 変にくすぐったい気持ちが街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けてきた奇怪な悪人が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
 私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も木っ端微塵だろう」
 そして私は活動写真の看板画が奇妙な趣きで街を彩っている京極を下って行った。

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