[宮沢賢治] 注文の多い料理店 ファストノベル
二人の若い紳士が、イギリス兵隊の姿をして、ぴかぴかの鉄砲を担いで、白熊のような犬を二匹つれて、こんなことを言いながら、歩いておりました。
「まったく、ここらの山はダメだね。鳥も獣も、一匹もいやしない。なんでも構わないから、撃ってみたいもんだなぁ」
「鹿の黄色い横っ腹なんかに、二三発お見舞いしたら、くるくる回って、それからドタッと倒れるだろうねぇ」
それはだいぶの山奥でした。案内してきた専門の猟師も、ちょっと迷って、どこかへ行ってしまったくらいの山奥でした。
それに、あんまりも山が物凄いので、その白熊のような犬が、二匹いっしょにめまいを起こして、それから泡を吐いて死んでしまいました。
はじめの紳士は、少し顔色を悪くして、もう一人を見ながら言いました。
「僕はもう戻ろうと思う」
「ああ、僕もちょうど寒くなってきたし、腹は空いてきたし戻ろうと思う」
「それじゃ、これで切り上げよう。昨日の宿屋で、山鳥を十円分も買って帰ればいい」
「ウサギもでていたねぇ。そうすれば結局おんなじことだ」
ところがどうも困ったことに、どっちへ行けば戻れるのか、一向に見当がつかなくなっていました。
「ああ困ったなぁ、なにか食べたいなぁ」
「食べたいもんだなぁ」
その時、ふと後ろを見ますと、立派な一軒の西洋造りの家がありました。
そして玄関には
西洋料理店
山猫軒
という札がでていました。
「ちょうどいい。入ろうじゃないか」
「おや、こんなとこにおかしいね。しかしとにかく、なにか食事ができるんだろう」
「もちろんできるさ」
「じゃ、入ろうじゃないか。僕はもうなにか食べたくて倒れそうなんだ」
二人は玄関に立ちました。ガラスの開き戸が立って、そこに金文字でこう書いてありました。
「当軒は注文の多い料理店ですから
どうかそこはご承知ください」
「なかなか流行ってるんだ。こんな山の中で」
「そりゃそうだ。考えてみろ、東京の大きな料理屋だって大通りには少ないだろう」
そう言いながら、二人は先に進みました。
すると、また扉が一つありました。そしてその横に鏡がかかって、その下には長い柄のついたブラシが置いてあったのです。
扉には赤い字で、
「お客さま方、ここで髪をきちんとして、それから履物の泥を落としてください」
と書いてありました。
「これはもっともだ」
「作法の厳しい店だ。きっとよほど偉い人たちが、たびたび来るんだ」
そこで二人は、綺麗に髪をとかして、靴の泥を落としました。
二人は扉をガタンと開けて、次の部屋へ入って行きました。
扉の内側に、また変なことが書いてありました。
「鉄砲と弾丸をここへ置いてください」
見るとすぐ横に黒い台がありました。
「なるほど、鉄砲を持って物を食うという作法はない」
「いや、よほど偉い人がいつも来ているんだ」
二人は鉄砲を外して、それを台の上に置きました。
また黒い扉がありました。
「どうか帽子とコートと靴をお取りください」
「どうだ、取るか」
「仕方ない、取ろう」
二人は帽子とコートを釘にかけ、靴を脱いでぺたぺた歩いて扉の中に入りました。
少し行きますとまた扉があって、その前にガラスの壺が一つありました。扉にはこう書いてありました。
「壺の中のクリームを顔や手足にしっかり塗ってください」
見ると確かに壺の中は牛乳のクリームでした。
「クリームを塗れというのはどういうことなんだ」
「これはね、外が非常に寒いだろう。部屋の中があんまり暖いとひび割れるから、その予防なんだ。どうも奥には、よほど偉い人が来ている。こんなとこで、案外僕らは、貴族とお近づきになるかも知れないよ」
二人は壺のクリームを、顔に塗って手に塗ってそれから靴下を脱いで足に塗りました。
するとすぐその前に次の扉がありました。
二人は扉をあけて中に入りました。
扉の裏側には、大きな字でこう書いてありました。
「いろいろ注文が多くてうるさかったでしょう。お気の毒でした。
もうこれだけです。どうか体中に、壺の中の塩をたくさん
よくもみ込んでください。」
立派な塩壺が置いてありましたが、今度という今度は二人ともぎょっとしてお互いにクリームをたくさん塗った顔を見合わせました。
「どうもおかしいぜ」
「僕もおかしいと思う」
「たくさんの注文というのは、向こうがこっちへ注文してるんだよ」
「だからさ、西洋料理店というのは、西洋料理を、来た人に食べさせるのではなくて、来た人を西洋料理にして、食べてやる店とこういうことなんだ。これは、その、つ、つ、つまり、ぼ、ぼ、僕らが……」ガタガタガタガタ、震えだしてもうものが言えませんでした。
「その、ぼ、僕らが、……うわぁ」
「逃げ……」
奥の方にはまだ一枚扉があって、大きな鍵穴が二つ付き、銀色のフォークとナイフの形が切りだしてあって、
「いや、わざわざご苦労です。
大変よくできました。
さぁさぁおなかにお入りください」
と書いてありました。おまけに鍵穴からはきょろきょろ二つの青い目玉がこっちをのぞいています。
「「うわぁ」」ガタガタガタガタ。
二人は泣き出しました。
すると戸の中では、コソコソこんなことを言っています。
「ダメだよ。もう気がついたよ」
「当たり前さ。親分の書き方がまずいんだ」
「どっちでもいいよ。どうせボクらには、骨も分けてくれやしないんだ」
「それはそうだ。けれども、あいつらが入ってこなかったら、それはボクらの責任だぜ」
「呼ぼうか。おい、お客さん方、早くいらっしゃい。後はあなた方と、菜っ葉をうまく取り合わせて、まっ白なお皿にのせるだけです」
「へい、いらっしゃい。それともサラダはお嫌いですか。とにかく早くいらっしゃい」
二人はあまりにも心を痛めたため、顔がまるでくしゃくしゃの紙くずのようになり、声もなく泣きました。
「いらっしゃい、いらっしゃい。そんなに泣いては折角のクリームが流れるじゃありませんか」
「早くいらっしゃい。親方がもうナイフを持って、舌なめずりして、お客さま方を待っていられます」
二人は泣いて泣いて泣いて泣いて泣きました。
その時後ろからいきなり、
「わん、わん、ぐゎあ」という声がして、あの犬が二匹、扉をつきやぶって中に飛び込んできました。
鍵穴の目玉はたちまちなくなり、犬どもはううと唸ってしばらく室の中をくるくる回っていましたが、また一声「わん!」と高く吠えて、いきなり次の扉に飛びつきました。
戸はがたりと開き、犬たちは吸い込まれるように飛んで行きました。
その扉の向こうの真っ暗闇の中で、
「にゃあお、くゎあ、ごろごろ」という声がして、部屋は煙のように消え、二人は寒さにぶるぶる震えて、草の中に立っていました
見ると、上着や靴は、あっちの枝にぶらさがったり、こっちの根元にちらばったりしています。
犬がふうと唸って戻ってきました。
そして後ろからは、
「おーい、旦那ぁ、旦那ぁ」と叫ぶものがあります。
二人はたちまち元気付いて
「おーい、おーい、ここだぞ、早く来い」と叫びました。
専門の猟師が、草を分けてやってきました。
そこで二人はやっと安心しました。
そして猟師のもってきた団子を食べ、途中で十円分の山鳥を買って東京に帰りました。
しかし、さっきいっぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、帰っても、お湯に入っても、もう元通りにはなりませんでした。