七画 形 2022/11/28 21:42

誕生日なので少し語ります

 本日11/28、私は××歳(年齢は伏せます)になりました!

自分は幼い頃から社会性に難があり、不慮だったり故意だったりで死にかけたり死に損なうことが多かった人間なのでこの歳まで生き残れるなんて思っていませんでした(※たぶんこれからも毎年言うと思う)。

正直なところ、社会一般的に見れば私はそこまで人生うまくいっている類の人間ではありませんでした。そして、様々なトラウマや後遺症(※みたいなもの)でこれから先もうまくいける程の体力や気力・胆力があるとも思っていません。

ただ、そんな自分にとっても「生きてて良かった」と思えることが年に何度かあり、そのおかげでどんなにズタボロになってもまぁ生き続けようと思って何とか延命してきました。

そしてその「生きてて良かった」と思える思い出の大半が素晴らしい創作作品、即ち自分に刺さったゲームやアニメ、漫画やイラスト、音楽や造形などに出会えたことであり、1日でも長く生きることでそんな作品に出会える確率が増えるのならとことん生き抜いていこうという魂胆で生きています。



 話は変わりますが、どうしてそんな魂胆の話を本日になって語ろうと思ったかというと、この1年でようやく「自分の作品」を持てたことがあります。

自分はゲーム制作において何作か公開していますが、やはり試作的に作ってとりあえず公開してみた的な側面が強く、自信を持って人様に見せられるような作品はありませんでした。

ですが、今年公開した「神様ノ季節」は別格の作品であり、自分のいままでの創作活動のひとつの到達点として公開できた作品であり、自分でもやっと人に見せられるような作品を完成させたと思っています。
そして、電子データがいつまでの寿命で残るかは分かりませんが、自分が明日死んだとしても「遺せたもの」としてあり続ける作品であると思っています。


どんなに長く生きれたとしても、何も遺せなければ意味がないというか、あまりにも寂しい。何を遺せるのか、何を人に与えられることができて、そして誰の思い出としてあれるのか。

……よくある中二病めいているクサイ台詞かもしれませんがそれが人生だと思っています。


自分にとっての創作活動で作品を残すことはそうした「何かを遺す」ことであり、自分が素晴らしい創作作品に出会う為にとりあえず延命できたように、誰かの心に刺さり明日に繋がるささやかな何かになれたらなと思っています。



……余談ですが、そうした思想は自分の創作作品にも全開で反映していて、シリーズ枠作品にある「named」エネミーを倒すと読める短い語りが該当します。
彼らがどのように生き、何を遺したのか。端的に言えば自分の「好き」を詰め込んだだけの性癖要素なのですが、もし私の作品に触れる機会があれば読んでいただけると幸いです。

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

記事のタグから探す

月別アーカイブ

限定特典から探す

記事を検索