投稿記事

1,120円以上のプラン向けの記事 (6)

恩田陸の『蜜蜂と遠雷』を読んで感じたこと

単行本の発刊は2016年。
たぶん、まだ出たばかりの頃に買ったと思います。だから私がそれを手にしたのは今からおよそ3年前。
なのに、長らくのあいだ私の家で『蜜蜂と遠雷』は本棚の肥やしになっていました。

Ci-enで私の記事をご覧の方はすでにご存じかもしれませんが、引っ越して以来私が3ヶ月にわたって続けてきた死闘"the Mold War"のさなか、実は『蜜蜂と遠雷』もその戦火にさらされていました。

私が『蜜蜂と遠雷』を積読として温め続けているうちに、世間では文庫版が刊行され、あまつさえ映画版が上映されようとしていました。
2019年秋、私が『天気の子』を見に映画館へ行ったとき、『蜜蜂と遠雷』が同年10月4日に上映開始されることを知ったのです。

私は、焦りました。
ハードカバーは持ち歩きづらくて読み始めることもままなりません。刻々と上映開始が近づく中、『蜜蜂と遠雷』はその本を開くことすらしないまま、文庫本のほうばかりページが進んでいました。
でもこのまま『蜜蜂と遠雷』を読み終わらずにいると、映画版の上映が終了してしまうかもしれない。
もういっそのことすでに刊行済みの文庫版を買ってしまおうか。でもハードカバーを何年も前から持ってるんだからまた同じのを買うなんてもったいない。上下巻で2冊あるし。

そして10月4日、ついに私は意を決し、映画版の上映開始とともに『蜜蜂と遠雷』を読み始める日々を歩み始めたのです。ハードカバーのほうを持ちながら。

10月15日までに56P読み、10月17日までに100P読み、10月19日までに156P読みました。
最後の一日では全部で残り350Pを一気に読み、10月20日に読破しました。

直木賞&本屋大賞W受賞は伊達じゃない

先にはっきり申し上げておきますと、私はこの本を読み始めた当初から言語化困難な衝撃を受け続け、「わけ分かんない。何これ。すごすぎ。どーなってんの」と語彙力皆無な感想を垂れ流していました。

今でも私の中でこの小説が間違いなくすごいというのは疑念を挟む余地もないことですが、それがなぜ、どのようにすごいのか、確信を持って申し上げることができません。

それでも可能な限りそれを説明してみようと思います。
これは私が『蜜蜂と遠雷』を読み終わって三日後、文庫版下巻の巻末の解説以外は読書メーターもAmazonレビューも何も見ずに、映画版を見る前にナチュラルな気持ちで記すものです。

結末に近づくにつれ、これは群像劇じゃないと思った

【 1120円 】プラン以上限定 支援額:1,120円

やっぱりこの人が主人公っていうのは一人決まっていて……

このバックナンバーを購入すると、このプランの2019/11に投稿された限定特典を閲覧できます。 バックナンバーとは?

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

人生がうまくいけば小説が書けるようになるって話

私がCi-enを始めるきっかけになった人のパトロンサイトはとっくの昔に閉鎖されてたっていう記事を前に書きました。

どうしてこうなった? というのはその記事に書いた通りですが、逆にどうして自分はこうならずに済んでいるのか? ということについて書ききれなかったので、ここで語ろうと思います。

時間にゆとりのあった学生時代前半


何かの作品のあとがきにも書きましたが、私の創作歴を遡ると三つの時代に区分できます。
第一期は学生時代。その後の各作品のあとがきで幾度となく触れている通り、『砂漠の巨人』という24万7,000文字に及ぶ長編が、私にとって最も因縁深い作品でした。
私が小説を書くことを志し始めた頃からずっと、頭に思い描き続けていた小説です。高校生活の終わり頃、私は大学に上がったら自分の頭にの中に広がる小説の世界を形にするための戦いを始めようと決めていました。
私は、私自身のための小説を書く戦いを二年半にわたって続け、そしてひとまず決着をつけるところまで辿り着きました。広げたあまりに大きな風呂敷はその一角しか畳まれていませんが、ともかく私は自分の頭の中にしかなったこの世界を一冊の本にできたということについては満足しています。

なので、私の中で「小説を書くために小説を書く」というモチベーションは、ぶっちゃけて言うとこのときに一度すでに終結しているのです。
けれども、そのあとに残った燃えかすみたいな私は、なぜか『Android』という小説を生み出してしまいました。この型破りで無鉄砲な作品が今も私を支え続けています。

しかしその後は、なかなか創作活動がはかどらない日が続いたのです。

二年間続いた停滞期

【 1120円 】プラン以上限定 支援額:1,120円

スランプに陥った原因と、それを克服したきっかけとは

このバックナンバーを購入すると、このプランの2019/11に投稿された限定特典を閲覧できます。 バックナンバーとは?

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

筆を折って小説を書くのを辞めた人を見て思うこと


私がCi-enを始めるきかっけになった人のパトロンサイトを見に行ったら、とっくの昔に更新が途絶えていて支援の受付が停止されていました。あまつさえ、筆を折って小説を書くのを辞めていました。

衝撃でした。
人はなぜ小説を書くのだろう? そして、どういうときに書くのを辞めてしまうのだろう?
今まで深く考えたことのない疑問が、私の中で沸き上がりました。自分自身に当てはめて考えてみたとき、私はうまく説明することができません。たぶん、言語化できない動機っていっぱいあるんだと思います。

小説を書くのが好きで書く人

いわゆる、内発的動機づけ。
たぶん、一次創作小説を書いてる人たちって、このタイプが多いと思います。
確たる自分の世界を持っていて、何なら他人にあんまり興味がなくて、自分の好きな世界観、キャラクター、設定、ストーリーを具現化するために小説を書く。自分の「好き」を形にするためにものを作る。
そしてあくまでもそのついでのように、書いた同人誌を頒布する。商売っ気に薄く、野心も野望もそれほどない。
コミケで創作文芸の島を見ているとそんな印象を受けます。最近はしっかり周りのサークルをチェックしていないので確かなことは言えませんが、少なくとも私がコミケで小説を出すことを志して島中を見て回った10年前は、そんなサークルが多かったのを覚えています。
今でも、投稿サイトなどで小説を書いている人には、そういうタイプの人が多いのではないでしょうか? あくまで私の観測範囲の印象ですが。

評価がほしくて小説を書く人

外発的動機づけその1。
あんまりイメージできないのですが、上記の反例としてはこうなるかなと思います。
すっごく極論すると、モチベーションの最上位に自己承認欲求を満たすためというのが来てる構造です。うん、やっぱり想像できないな。
でもこれって明確に分かれた二元論ではなく、シームレスなグラデーションとなって人それぞれ異なる比重でどちらも持っているものだと思います。
なのでここで述べるのは自己承認欲求の比重が比較的高め、ということです。仮にそういう構造の動機づけだとした場合、書いたものが自分の期待していたほどの評価を受けなかったらやる気をなくしてしまう、というのはいかにもありそうなことだと思いませんか? 一次創作界隈ではあまり耳にすることのない話だと思いますけど。ただ、私の大学の文芸サークルでも「恋人ができたら小説を書かなくなる」という俗説は冗談まじりに囁かれていました。私は、別にそんなことはないと思いますが。
ただ逆に言うと、この仮説に基づけば、小説を書く以外のことで満たされると、もう書く必要がなくなってしまう、ということです。私はそんなことないと思いますけど(大事なことなので二回言いました)。

お金がほしくて小説を書く人

外発的動機づけその2。
大抵の趣味にはお金がかかります。でも創作活動においては、投資した金額を回収することが、やり方次第で可能です。
好きなことをしてお金がもらえる。原価があるから実質的には0円としても、作品の対価を得られる。それって嬉しい。客観的にはどちらも同じなのに値引きよりもキャッシュバッグのほうが嬉しく感じる、あの法則です。
まぁこれでお金稼ごうっていうのを第一の目的にする人はあまりいないと思いますけど、動機づけの一つですね。

結局バランスが大事って話

どの動機にもそれぞれ一長一短あると思います。内発的動機づけっていうのはいかにも理想的なモチベーションに見えますが、思うに、そうとは限りません。
短所として、世間の需要に無関心というのがあると思います。いや、ただ作るのが好きで作っているだけのことなら、外野がどうこう言う筋合いはないのですが。

ちょっと話それますが、創作者が思う作りたいものと世間のニーズとの乖離にについて語らせてください。
たぶん、私を含めて多くの創作者が当てはまることだと思うのですが、私たちは自分が幼い頃、若い頃に触れてきた創作物に強く影響を受けています。そして、それらから得たものを糧に昇華させて、作品をつくろうとします。ですから、普通にやれば、出来上がるのは「既存のもの」です。今の世の中のどこかにすでに存在しているのと同じもの、です。
ところが世間に求められているのは常に「新しいもの」です。だから深く考えずに自分の思う「好き」を形にすると、世間のニーズからは必ず少し外れたものが出来上がるのです。何らかの形でエッセンスを加えて新鮮味を持たせない限りは。

上述の短所っていうのは、詳しく語るとこういうことです。
それに対して長所は、やる気を失って筆を折るという事態はまぁないだろうということです。なぜなら、この動機を持つ人にとって、小説を書くというのは、粘土をこねたり積み木を組んだりするのと同じ行いだからです。

今の自分は

こうして改めて書いてみると、今の自分を動かすものはこれら全部かなと思います。
まず書きたい! っていう気持ちがあるから新しい小説を作れるし、負けたくない! って思いがあるからよそのサークルに追いつけるように小説を書く以外のことも頑張れるし、お金ほしい! って欲求があるから一冊でも多く売るためにはどうすればいいか一生懸命考えられるんだと思います。
自分のことについてはこのあとの2つ下の見出しでもう少し詳しく語ります。

Ci-en活動の現状と今後について


私には今、ありがたいことに有料プランでご支援いただいている方が、この下書きをしたためている時点で少なくとも一人いらっしゃいます。
なので一人でも有料プランでご支援いただいている方がいる限り、Ci-enの活動を続けようと思います。

現時点では、各プランごと月2回の頻度で更新するようにしています。
でも、それは難しいことかもしれません。もしかしたら今後プランの統廃合をしたり、金額や更新頻度の見直しを行うかもしれません。
例えば、加入者が一人もいないプランは廃止したりとか。

なぜなら、あんまりこういう言い方はしたくないのですが、採算性を考えるとそこに労力を費やすくらいなら作品を量産することにリソースを割いたほうがいいという話になってしまうからです。
お金がほしければエッチな本をいっぱい書けばいいということなのです。
ですが、私のCi-enアカウントが全年齢向けに開設されている通り、それが第一の目的ではないということは、どうかご理解いただきたいと思います。

重ねて申し上げますが、一人でも有料プランでご支援いただいている方がいる限り、Ci-enを続けようと思っています。

ではなぜ今このようなことを話そうと思ったのか?
それはCi-enというかパトロンサイトのありかたについて、思うところがあったからなのです。

パトロンサイトについて思うこと

【 1120円 】プラン以上限定 支援額:1,120円

これがパトロンサイトを継続させるために必要なことだと思う

このバックナンバーを購入すると、このプランの2019/10に投稿された限定特典を閲覧できます。 バックナンバーとは?

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

結局、キャラの魅力が全てって話(その2)

前回、同じタイトルの記事(結局、キャラの魅力が全てって話)で述べたことをおさらいします。

その作品が読む人、見る人に取って胸打つものであるかどうかは、主人公に感情移入できるかどうか次第。

結局、これに尽きる。そういう話です。

近い将来、私は自分が何歳のときに錠剤をのめるようになったかという記事を書くことになるのですが、その下書きをしたためているときに小学校低学年の頃に想いを馳せていたのです。
そうしたら、思い出したことがありました。

私は小学校低学年から高学年の境目の時期に、関東から関西へ転校しました。
日本の東と西は、言語も、文化も、風土も、何もかも違う国でした。もしも私があのときあのまま転校せずに元の学校で暮らし続けることになったら……? そう考えただけで、えもいわれぬ感慨が込み上げできます。

そんな私に秒殺でヒットしたのがこの小説でした。

新潮社から発刊される文庫版5Pから16Pまでの序章を経て、第一章の17Pから18Pにかけて、こんなパラグラフがあります。

転校間もないころは、誰もが親切だった。なのに誰もが親しくうちとけてこない。新入りが歯を剥いたら、すかさずコテンパンにやっつけてしまおうと狙っている猿の群れさながらに、みんなが私を遠巻きに眺めた。

お分かりいただけるでしょうか。エヴァンゲリオンの碇シンジを髣髴とさせるこの描写。
これは転校を経験したことのある人なら誰もが共感するところだと思います。
ただ、「転校を経験したことのある人」というと、かなり数は限られてくると思います。

この小説の恐ろしいところは、冒頭の一文を上述のエピソードよりもさらに強烈なパワーを持ったセンテンスを持ってきているところです。

世の中には「コールド・リーディング」と呼ばれる話術があり、占いの現場などで用いられます。その中の一つに「ショットガンニング」というスキルがあります。
「お前、モテないだろ?」とかそういう奴です。大抵の人はモテモテ~ってことはないから、多くの人に当てはまる問いかけなのです。こういう投網のような語りかけを幾重にも行い、相手の反応を探りながら少しずつ照準を絞っていきます。それが占いやセールスの現場で行われる「コールド・リーディング」という技術です。

これと同じように、『無伴奏』の冒頭はこんな一文から始まります。

【 1120円 】プラン以上限定 支援額:1,120円

小説に応用される「コールド・リーディング」の一端とは

このバックナンバーを購入すると、このプランの2019/10に投稿された限定特典を閲覧できます。 バックナンバーとは?

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

結局、キャラの魅力が全てって話

しずれさんのマウスはカーソルの移動速度がとてつもなく速いです。
単にマウスの設定速度をMAXにするだけでは飽き足らず、レジストリまでいじってブーストをかけています。
なので他の人が私のPCを触ると毎回「カーソルするする滑りすぎww」ってびっくりされます。

今では考えられないことなのですが、昔々ノートPCがメインマシンだった頃、タッチパッドでTPSをやっていたので、カーソルの動きが速い状態に体が慣れてしまっているのです。
もちろん「ポインターの精度を高める」のチェックは外してあります(※一部の人にしか通じないキーワード)。
ぶっちゃけこれDTPする上では不利に働きます。精密な操作の際は800%まで拡大します。

今般、サブマシンとしてノートPCを買いましたので、メインマシンのデスクトップPCで使用しているのより一回り小さいマウスを用意しました。
私はPCをセットアップする際にカーソルの移動速度をメーター振り切って通常の最高速度の3倍に設定しました。そうすると私も驚くほどのスピードマウスに化けました。
マウスが小さい分、より軽い力で動くので、カーソルがソフトウェア上の設定速度以上に速くなったのです。しかもマウスソールが新品なので最高のツルツル滑ります。デバイスって大事ですね。ハードウェアの違いでここまで化ける。

一方職場のPCは捺印マットみたいなマウスパッドに網戸のようなマウスソールでアホほど滑りが悪くてイースター島のモアイ像かと思いました。しかもよく見たらみんな同じマウスパッド支給されてるし……

『おもひでぽろぽろ』から見る主人公の魅力とは

今日は「『おもひでぽろぽろ』が好き」って話をします。
伝えたいのは「結局、キャラの魅力が全て」ってところです。何のことかというと、小説やその他の様々な表現媒体の作品において売れるかどうか、評価されるかどうかの決め手です。


トトロやラピュタでおなじみのスタジオジブリ、代表作には何を挙げればよいか悩むほどの有名な制作会社です。
けれども、『おもひでぽろぽろ』はどちらかといえばあまり評価されていない部類の作品ではないでしょうか。
(余談ですがこれを書くために興行収入ランキングを調べたらトトロやラピュタがその人気や知名度の割に富を築いていなくて驚きました)

その名前を挙げて伝わるかどうか不安になる『おもひでぽろぽろ』ですが、私にとっては因縁深い作品でした。主人公の妙子の幼少時代のエピソードは、丁度その彼女と同い年くらいの頃の私には非常に印象的なものだったのです。

2019年、大人になってから私は再び『おもひでぽろぽろ』のDVDを買い(ジブリ作品はサブスクリプションサービスで視聴できないことが多いのです)、もう一度見てみました。

大人になってからも楽しめる作品でした。子供の頃と感じ方は変わりませんでした。変わったことは、大人になったあとの妙子の気持ちも分かるようになったくらい。

でも視聴後に数々のレビューを読んでみて分かったのは、私とはまるで違う感じ方をする人たちが思いのほか多いということだったのです。

【 1120円 】プラン以上限定 支援額:1,120円

なぜ同じ作品で「刺さる人」と「刺さらない人」がいるのか

このバックナンバーを購入すると、このプランの2019/09に投稿された限定特典を閲覧できます。 バックナンバーとは?

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

« 1 2

記事のタグから探す

月別アーカイブ

記事を検索