投稿記事

2021年 05月の記事 (31)

【無料公開】隔日連載小説α版『四五アフター・四五編』3

 地下ドームの光源はいまだに蝋燭の光だった。天井に四つ取り付けられ燭台で揺らめく光が半球状の内部を照らし出している。即席のタイムマシンは設置されたままになっていた。天井に乱雑に張り巡らされているビニール線と鏡。見た目からはこれが時間跳躍を可能にする装置とは判断できない。地質調査のためのものだと言われれば、そう見えないこともない。
「お二人もテンブリッジ大学の学生ですかっ? お若いですよねっ、留学生? アジアの人ですよねっ」
「いえ、この大学の学生ではありません。籍は日本の学校にありますが、調査でテンブリッジ大学にきています」四五が淡々とこたえた。
「あぁ、そうだったんですか」
 女性は目を丸くしてうなずいた。おれは二人を傍目に見ながらビニール線と鏡を回収していった。断線しないようにまとめてスーツケースに押し込め、蓋を閉める。四五に目配せを送る。
「では、わたしたちはこれで」
「はいっ、お疲れさまでしたっ」
 四五が先に地上に出る。下からスーツケースを手渡し、おれも地上に出た。そのあと女性も梯子をのぼってきた。この短い時間でも、この地下ドームから上がってくると地上の開放感を覚える。
「いいデータがとれてるといいですねっ、地質調査」
「え? あぁ、そうですね」我ながら気の抜けた声でこたえた。
「せっかくテンブリッジまできたんですからねっ」
「そう、そうですよ。なにか成果が出るといいよな、四五」
「そうですね。成果を出さないと、帰ることもできないですからね、わたしたちは」
 四五は遠い目をしながらそう言った。
「おぉっ、厳しい国からいらっしゃったんですね」
「いや、今はそうでもない……と思うんですけどね」
 いや、実際今の日本はどういう状況になっているのだろうか。おれたちの知っているのほほんと平和ボケした国のままなのだろうか。女性はにんまりと微笑んだままおれと四五を交互に見ていた。
「じゃあ、おれたちはこれで」
「はいっ、お気をつけて」
 スーツケースを持ち上げて小丘を降りていく。何度か振り返った。あの女性はずっと同じ場所から、同じ姿勢でおれたちの方を見つめていた。
「あの人、また地下に戻るのかな」
 四五に顔を寄せて小声で言った。
「どうだろう……。さっき見た限りでは、あの人のいう科学史の違和感の手がかりはなさそうだったけど。……このタイムマシン以外は」
 おれは手元のスーツケースを見下ろした。
「間一髪だったな……」
「まだ安心はできないよ。わたしたち、行く当てがないんだから」
 街のほうにつながる第三ブリッジに向かって歩きながら、どこに向かおうか考えた。丘が見えなくなる前にもう一度振り返ると、タートルネックセーターの女性はまだこっちを見ていた。
「まだ見てるぞ……」
「立ち止まらない方がいいね。一旦街の方に出よう」

 橋の石畳にスーツケースをおろし、取っ手を引き延ばした。もう誰の視線もない。おれたちは立ち止まって向かい合った。第三ブリッジから直接繋がっている裏門の左右には橙色の電灯がついている。蝋燭の火のように揺らめくことのない直線的な光が、うすぼんやりとした夜の中に四五の姿を照らし出している。四五はおれを見上げたままゆっくりとまばたきをしていた。
「アリスたちが寮にいるわけもないし、名簿を勝手に書き換えてくれたラビももういない」
「さすがに電子管理でしょう、この世界は」
「確かに……。いや、ラビなら電子管理でも平気で改竄しそうではあるが」
 四五が笑った。白い息が四五の口から漏れた。
「というか、そもそも迷うほどの選択肢がないな、おれたちには」
 四五がうなずく。

 カサブランカの前に立つと、中から賑やかな笑い声が漏れ聞こえてきた。懐かしさを感じ、自然と微笑みが浮かんだ。この扉を開けば、いつものように修一郎が飲んだくれていてイルザさんが呆れているんじゃないだろうか。だがその思い出は、今から三五九年も昔の光景だ。二人はもうこの世界にはいない。今カサブランカに立っているのは、二人の血を引く子孫だ。バックパックのベルトを肩に掛け直すと、中に入っている木箱が音を立てた。修一郎がおれたちに遺していた、三世紀の時を超えたタイムカプセルだ。修一郎はこの世界にもおれたちに微かなつながりを遺してくれた。四五がおれを見上げていた。四五の口元にも笑みが浮かんでいた。おれたちは小さくうなずきあって、カサブランカのドアを開けた。
「……あれ」
 カウンターの内側に立っている若い女店主がおれたちに目を留めた。どうも、とおれたちはその視線に会釈を返す。女店主はカウンターから出てきてくれた。
「昼間の二人! きてくれたんだね。うれしいな。ゆっくりしていってよ。カウンター空いてるから、座って座って」
 導かれるままおれと四五はカウンター席に並んで座った。
「なに呑む? ビール、ワイン、ウィスキー、ラムにジンにウォッカ。定番の銘柄だったらなんでもあるよ」
「お酒が増えてる……」
 四五が感心したように呟いた。確かに、あのときは店にいる全員が同じ種類の酒を延々と呑んでいた。ビールに近い見た目だったが、あのメニューはさすがにないんだろう。
「あの、実はおれたち……」
 店主が首をかしげる。
「あ、お酒弱いの? コーラにする?」
「コーラもあるんだ……」
 また四五がつぶやいた。
「いや、実は……。おれたち、お金がなくて……」
 店主は不思議そうに首をかしげた。
「お財布を、なくしてしまったんです」
 四五がそう言うと、店主が目を見開いた。
「えっ、二人、日本から来てるんでしょ? 大丈夫なの? パスポートは?」
 四五と顔を合わせる。どうやらこの世界にもパスポートはあるようだ。
「まるっと、手元になくて」
 とうとう店主の目はまん丸になった。
「呑んでる場合じゃないじゃんっ! 大使館いきなよっ! 日本大使館て――」
「ロンドンだな。歩いてはいけねぇぞ」
 隣に座っていた男性客がそう言った。立派なもみあげとあごひげが繋がっている、よく日焼けした初老の男性だった。髭も髪の毛も全て白髪で、顔の下半分はけむくじゃらなのに頭頂部はつるりと禿げ上がっている。男性ホルモンが豊富なのかもしれない。
「金がなきゃ車にも電車にも乗れねぇだろ」
「そうだ、そりゃそうだわ」
 男性客と店主が話しているのを四五と並んで眺めた。店主の慣れた態度から察するに、男性客は常連のように思えた。二人は過去に同じようにテンブリッジでパスポートをなくした観光客が結局どういう対応をとったのか記憶を辿っていた。
「あの、実はわたしたち、テンブリッジ大学に留学にきた学生で」
 四五が店主と常連の会話を遮って言った。
「――たぶん、大学に忘れてしまったんです。パスポートとか、お金が入った、鞄を。ですよね?」
 四五がおれに視線を送ってきた。
「そう、そうなんです。たぶん、大学に忘れちゃって。だからまだ、逆にロンドンに行けないというか、なるべく大使館には行かずに済ませたいというか」
「まぁ、あんなことにいきゃあ面倒なことになるのは間違いないもんな。いや、もうなってるのか」
 そう言っても常連は大口を開けて笑いながら大きなコップをあおって、大きなゲップをした。
「それで――まだテンブリッジにきたばっかりで、他にあてもないから――」
 遠慮がちに言ったおれの言葉に、店主がうなずく。
「この店にきてくれたって訳ね」
「ははっ、都合のいい一見客もいたんだ。おいクレア、おかわりだ」
「意地悪言わないの。この二人はわたしの遠い親戚……、かもしれないんだから」
「えっ、そうなのかっ!?……じゃあ昼間現れた鍵の持ち主ってのは――」
「この子たち。遠路はるばる来てくれた二人に悪態つくなっ。二人とも、ちょっとだけ待ってて。落ちついたら二階に案内してあげる」
 店主はそう言って、慌ただしく他の席のオーダーに対応し始めた。残された常連客はおれたちの方に体ごと向けた。腹が大分出っ張っていて、シャツのボタンは今にもはじけとびそうだった。
「そうかぁ、なるほど。そんなことあんだなぁ。いや、常連の間ではちょっとしたニュースになってんだよ、おまえたちが店にきたこと」
 常連客はそう言って、おれと四五のことをマジマジと眺めた。
「……本当にクレアと親戚なのか? 全然似てねぇけどな」
 おれと四五はまた目を見合わせた。そもそもおれも四五も、修一郎とは血のつながりはない。あったところで、三五九年も経てば薄まりきっているだろう。そう思ったが、とりあえず曖昧な笑みだけを返した。

「ごめんね。二人分の部屋を用意する余裕はなくてさ。同じ部屋でいい?」
「もちろんですっ、泊めて頂けるだけで、本当に」
 店主のクレアさんはおれたちを二階の部屋に案内してくれた。
「いいのいいのっ。この建物ごとわたしに任されてるし、それに二人は他人じゃないし。あの箱の鍵を持ってたってことは、そういうことでしょ? わたしももう少し話聞いておきたかったなって思ってたんだ」
 笑みを浮かべてうなずきながら、おれは内心、微かな焦りを感じた。おれたちがなぜこのテンブリッジと縁があるのか。このあと四五と考える必要がありそうだ。
「これが机、棚。あと、ベッドね。見ればわかるか。一人用だけど、仲良く寝てね」
「大丈夫です。一応、恋人同士なので」
 四五が抑揚のない声でそう言った。クレアさんは目を見開いてから楽しげに笑った。
「そうだったか! まぁ、そんな気はしてたけど。じゃあ問題はないね。トイレとシャワーは、部屋出て突き当たりを右。お湯が出るまで時間かかるから。わからないことあったら下に降りてきてくれればいいから」
「ありがとうございます。助かりました」
「いいっていいって。見つかるといいね、パスポート」
「ですね……」
 苦笑いを浮かべながらうなずく。
 クレアさんが出ていったあとで、おれたちは大きなため息をついた。
「なんか、こんな風に泊めてもらってばっかだな」
「状況は一六八七年にいっちゃったときとそんなにかわらないからね」
「また修一郎に救われたってわけだ……」
 おれはベッドに腰掛けて鞄から木箱をとりだした。四五もとなりに座り、俺の手元を覗きこんだ。蓋と側面に施された木彫りの装飾はなかなか凝っている。時代を考えれば間違いなく手彫りだし、素人の業ではないのがすぐにわかった。その中で、鍵穴は多少乱暴につけられたように見えた。
「もともとあった箱に、修一郎さんがあとから鍵をつけたのかもね」
「みたいだな」
 四五が首元のチョーカーをはずし、鍵穴に鍵を差し込んだ。金属音がして鍵が開く。蓋を開けた。茶色く変色した羊皮紙を取り出しす。三五九年の時を超えた修一郎の手紙だ。
「その箱、見ていい?」
「あぁ」
 四五に箱を手渡す。おれはもう一度修一郎の手紙に目を通した。日付は一六八九年の八月十九日付けになっている。あのあと修一郎は二年がかりでプリンキピアの原稿を書いたらしい。おれを逃がすために修一郎がフックに持ちかけた条件は、プリンキピアの完全原稿を譲渡することだった。修一郎は原稿に頭を悩ませるふりをしながら、執筆期間の二年間をそれなりに謳歌したらしい。イルザとの間には二人の子供がいると書いてある。それが、今日おれたちを助けてくれたクレアさんの遠い祖先だろう。修一郎は完成原稿をフックに渡しにいく最期の日に、おれへの激励の言葉を遺してくれた。
「必ず助けにいくからな、修一郎――」
 そう呟いて、隣の四五に目を向けた。四五は茫然と木箱を見つめていた。
「どうしたんだ、四五」
「……念の為、この箱の寸法と重さも計っておこうと思ったんだけど」
「念の為、ね……」
「内寸と外寸が全然合わない。それに――」
 四五は木箱を手に持って小さく揺らした。
「ウォールナットにしては、重い……」
「ウォールナットって?」
「木材」
「もくざい……」
 四五は木箱の蓋を開き、立ち上がって、部屋の電灯の下に立った。おれもそのあとに続いた。四五は光で手元を照らしながら、目を凝らして箱の内側を見つめた。
「……底が、あげてある……」
 四五はポケットからL字に曲がった細い針金を取り出した。女子のポケットからL字の細い針金が出てくる訳がない、なんていう世の常識は四五には通用しない。計測と観察に必要なものはなんであれ、四五のポケットから出てくるのだ。
 四五はその細い針金を、底板と側面の間に差し込んだ。かぽっと、底板の下に空気が入り込む音がして、その焦げ茶色の薄い板は外れた。中には革張りの本が入っていた。
「なんだ……?」
 四五はおれに箱を差し出した。手を伸ばしてその本の表紙に触れる。革は水分を失ってかさかさになっていた。本の下側に手を入れて箱から取り出す。表紙にも裏表紙にも、題字らしきものは書いてなかった。四五と顔を見合わせて、首をかしげる。固い表紙を開くと、1ページ目に見慣れた筆跡の文章が書いてあった。
「これって――」
 四五が呟いた。おれたちはその変色した本を食い入るように見つめていた。
「修一郎の、日記だ」

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

【無料公開】隔日連載小説α版『四五アフター・四五編』2

 四五に顔を向けると目が合った。お互い訝しげな表情を浮かべている。
「これ、あなたたちのものですかーっ? なにか調べてたんですかーっ? なにを調べてたんですかーっ? やっぱり、なーにか変ですよねぇ?」
 地下ドームからタートルネックのセーターの女性が叫んだ。おれは地下ドームの鉄扉をもう一度閉めた。
「あっ、ちょっと――」
 中の声も聞こえなくなった。つまり、こちらの会話も聞こえないということだ。おれは鉄扉を押さえたまま、四五を見上げた。
「どうする?」
「テンブリッジの科学史がおかしいって、言ってた……?」
 四五が口元に指をあてながら呟いた。おれはうなずきを返した。
「……科学史に違和感も持っている人が、この林檎の丘で、一体なにを?……あの女性は、アリスさんの存在に感付いてるって、こと……?」
「さすがにそれはないだろう。そもそもアイザック・ニュートンだって有名じゃないんだよな、今の世界では」
 四五は黙ったままなにかを考えていた。手元の鉄扉から鈍い音がして抑えている手に振動を感じた。中からこの扉を叩いているようだ。だが声は聞こえない。なかなかの防音性能だ。
「四五っ、とにかく方針だけ決めよう。あの装置はおれたちのだって伝えていいよなッ?」
 鉄扉に隙間が開いた。反対側から押し返されている。両手に体重を乗せると鉄扉はまたぴたりと閉まった。どんどんと分厚い扉が叩かれる。
「一応二択ある。白状するか、あの人を気絶させるか」
「そんな技術あるかよっ! 生粋のインドア派なんだおれはっ!」
 また鉄扉に隙間ができた。本当に相手は女性なのだろうか。鉄扉の重さの分こちらが有利なはずなのに力で押し負けているこ。
「じゃあ白状するしかない。機能はなんとか誤魔化して回収する。テンブリッジの科学の歴史については、わたしたちはなにも知らない」
「賛成だ」
 方針が決まり鉄扉の上から飛び退くと、その瞬間に勢いよく扉が開いた。タートルネックの女性が穴からひょっこりと顔を出した。その顔にはまだあのにんまりとした微笑が浮かんでいる。好奇心が溢れ出ているような笑顔だった。
「なにか、極秘の調査をしていたんですねっ!? そうなんでよねっ!?」
 女性は首から上だけを外に出したままおれたちを見上げている。本当に亀のようだと思った。
「いや、そんなに大した調査はしてないよ」
「ではなんらかの調査はしていたんですねっ。なにを調べていたんですか、こんなところでっ」
「地質調査です」
 四五が平坦な声で言った。
「地質調査?」
 首だけのタートルウーマンが、首をかしげる。つまり見えている部分全体がかたむいている。四五がタートルウーマンにうなずきを返した。
「この地下ドームは、テンブリッジ大学の中でもっとも古い地下施設です。あの敷き詰められた石は外気にも日光にも晒されずに保存されている貴重なサンプルなんです」
「ほぅ、あの石が……。地質調査に石ってそんなに重要なんですか」
「言葉では言い表せない程重要です」
「そうなんですか。勉強になりましたっ!」
 タートルウーマンは目を輝かせながらペコリと頭を下げた。
「どういたしまして」
 四五もそう言って、小さくうなずいた。奇妙な沈黙が流れる。
「……それでさ」
 二人の視線がおれに向いた。
「地下に、妙な装置があっただろ? 鏡と、ビニール線がつながってる妙な装置だ」
「ありましたっ!」
「あれも、地質調査に使う、信じられない程重要で精密な装置なんだ」
「そうだと思いましたっ!」
「だから、回収したいんだが」
「でしょうねっ! そうだと思ってたのに、急に扉閉めちゃうからビックリしました!」
「あぁ、実はおれたち極度の人見知りなんだ。中に人がいて思わず蓋をしてしまった」
「そうだったんですかっ! 奇遇ですね、わたしもこう見えて極度の人見知りなんですよっ! 友達になりましょうよ!」
「そんな簡単には友達にはなれません、人見知りなので」
 四五が口を挟むと、タートルウーマンは目を見開いて四五を見上げた。
「その通りですね!」
「あと、初対面の相手に友達になりましょうと提案できるあなたは人見知りではありませんよ。人見知りの人間は“知り合い”という関係と認めるまでにも最低で三回以上の接触が必要です」
「えっ! わたし人見知りじゃないんですかねっ」
「人見知りではありません。PARTY PEOPLEです」
「パーリーピーポー!!!」
 首だけのタートルウーマンは、首だけでのけぞった。白い首筋がまぶしい。あごのラインから繋がる両の耳も美しい形をしていた。このタートルウーマンはダイヤの原石だ。メガネを叩き割って髪の毛の手入れをしてあげれば、四五とも張り合えるとびきりの美人になる。おれはそう確信した。
「初対面の相手と簡単に友達にならないほうがいいですよ」
「わかりましたっ! では友達になろうという提案は撤回しますっ!」
「よかったです。装置を回収してもいいですか」
「どうぞ! 中へっ! むさ苦しいところですがっ!」
 タートルウーマンは甲羅の中に顔を引っ込めた。おれと四五は互いの顔を見合い、小さくうなずきあった。
「たぶんだけどさ、悪い人ではないんだろうな」
「かもしれない。友達になる気はしないけど」
「……まぁ、四五とは合わないだろうな」
 おれたちはタートルウーマンを追って、地下ドームに降りていった。

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

【無料公開】隔日連載小説α版『四五アフター・四五編』1

   ×   ×   ×


「――昔の修二に、戻ったね」



「――子供の頃、いつもわたしの前を歩いてくれてた、あの修二だ」


「――わたしは、ずっとあなたについていくよ。修二」

   ×   ×   ×

 二〇四六年の世界は、おれたちのいた二〇一七年よりも十年は遅れていた。服の素材は見慣れたものだし携帯電話もある。だがWi-Fiはないし、スマートフォンもまだ普及していない。テンブリッジの噴水広場の時計台を見上げた。この建物は一六八七年から変わらない。四五の手を握ったまま長針を見つめていると、がたりと音を立てて一分進んだ。この世界の時間がまた刻まれた。
「もうすぐ、日が暮れるね」
 四五が呟き、自分の腕をさすった。風は冷たい。気温も下がってきている。
「足は痛まない?」
 四五はおれの左足を見下ろし、優しく触れながら言った。ロバート・フックに撃たれた足だ。目覚めたときにはもう傷口を縫った糸の抜糸も済んでいた。
「治りかけで痒いだけだ、痛みはないよ」
「よかった」
 四五が視線を上げた。目が合うと四五は穏やかに微笑んだ。ニュートンの名は知られず、アインシュタインは第二次世界大戦で命を落とした世界。おれたちの家族が生きているかどうかもわからない。ここまで世界が変わっているなら両親がそれぞれ別の相手と結婚していることだってじゅうぶんに考えられる。今、おれたちはお互いにとって、自分という人間を知っている唯一の相手なんだ。その相手が四五でよかったと思う。おれは四五の手に自分の手を重ねた。
「冷えてきたな」
「はい」
「そろそろ病院に戻ったほうがいいのかな。入院してたんだよな、おれ」
 そう言うと、四五は黙ったままゆっくりと目を泳がせた。
「どうした?」
「修二、わたしたち――お金を持ってない。パスポートもないし、身分証もない」
 おれは茫然と四五を見つめた。
「……わたしたちがいた二〇一七年だったら日本大使館に行って、日本に送還されるんだと思うけど――」
「……そうか、日本に帰ったところでおれたち、戸籍もなにもないのか」
 四五がうなずく。
「それ以前に……この世界で日本とイギリスがどういう関係なのかもわからない。修二の言うとおりわたしたちが日本人だと証明することもできないし――今日本に帰国させられたり、大使館から出られなくなったりしたら――」
 四五の言わんとしていることは、おれにもすぐわかった。
「タイムマシン」
 四五がうなずく。
「わたしたちは、あの装置の基礎理論を知らない。既にあるものを修理するならまだしも、ゼロから作るのは絶望的だよ。何十年かかるかわからない」
 タイムマシンはたぶん、今でもテンブリッジ大学のあの地下にある。修一郎から託されたタイムマシンは銀色のスーツケースに入れて持ち運びができるようになっていた。誰かに見つかる前に回収しないといけない。
「寝床を探す前に回収しておこう」
 おれはそう言って立ち上がった。

 この時代のテンブリッジ大学にも十の橋が架けてあった。アイザック・ニュートンの正体である天才少女、アリス・ベッドフォードが万有引力の法則を思いつくはずだった、世界一有名な林檎の樹がはえていた場所。おれたちはその場所を、林檎の樹の丘と呼んでいた。一七世紀のテンブリッジ大学では、その場所にくる人はほとんどいなかった。だからアリスは考えごとをするときにその場所を好んで使っていた。第三ブリッジと呼ばれる橋を渡るとその林檎の樹の丘がすぐに見えてくる。
 テンブリッジの門には警備員が一人立っていた。日が高いうちはさすがに目につきそうだ。日が暮れるのを待った。薄暗くなってから、警備員は門を閉じてどこかに去っていった。おれたちは閉じた門をよじのぼってテンブリッジ大学の中に入った。本気で侵入者を想定している門ではなく、気休め程度のセキュリティだった。

 この二〇四六年の世界でも、林檎の樹の丘は人気がないらしい。ニュートンの林檎の逸話がなくなった今、観光地としての機能は完全に失われている。軽く身を屈めて、おれたちは地下ドームに繋がる鉄扉を開いた。
 二つの瞳が、おれをまっすぐ見上げていた。
 おれは言葉を失い、呼吸を忘れ、身動きがとれなくなった。
「修二……?」
 四五も地下ドームを覗きこんだ。中の瞳が四五に向く。
「……人がいる」四五が平坦な声でそうつぶやいた。あぁ、人か。思考がゆっくりと戻ってきた。確かに、地下ドームの中に人がいる。黒縁の大きな眼鏡をかけた女性だ。腰まである髪の毛はぴょこぴょこと外側にはねている。くせっ毛なんだろう。黒いタートルネックのセーターに、下はブルージーンズをはいている。見た目よりも動きやすさを重視しているのが、格好からすぐにわかった。余談だが、胸の膨らみは四五に匹敵するかそれ以上だ。春さんを彷彿させる美しい曲線を、黒いタートルネックのセーターが描いている。そもそも黒いタートルネックのセーターというチョイスがまたいい。胸部の膨らみが、実によく映える。ああいう美しい乳房のために黒いタートルネックのセーターはこの世界に存在しているのかもしれない。いや、そうに違いない。
 ――何秒経っただろうか。地下の女性はまばたきもせずにおれたちを見上げつづけている。気付くとその口元に笑みが浮かんでいた。唇をぴたりと閉じたままにんまりと微笑んでいる。やがてその口がゆっくり開いた。
「やっぱり違和感ありますよねっ!? おかしいですよねっ!?」
 女性はそう言った。大人しそうな見た目に反して声は子供のように楽しげだった。目が爛々と輝いている。おれは四五と目を合わせた。無表情だった。緊張しているときの四五の顔だ。おれはゆっくりと地下の女性に視線を戻した。
「なにが、おかしいんですか」
 女性の目が大きく開いていった。
「テンブリッジの科学史に決まってるじゃないですかっ!」

この記事が良かったらチップを贈って支援しましょう!

チップを贈るにはユーザー登録が必要です。チップについてはこちら

1 2 3 4 5 6 7

月別アーカイブ

記事のタグから探す

記事を検索