【無料公開】隔日連載小説α版『四五アフター・四五編』3

 地下ドームの光源はいまだに蝋燭の光だった。天井に四つ取り付けられ燭台で揺らめく光が半球状の内部を照らし出している。即席のタイムマシンは設置されたままになっていた。天井に乱雑に張り巡らされているビニール線と鏡。見た目からはこれが時間跳躍を可能にする装置とは判断できない。地質調査のためのものだと言われれば、そう見えないこともない。
「お二人もテンブリッジ大学の学生ですかっ? お若いですよねっ、留学生? アジアの人ですよねっ」
「いえ、この大学の学生ではありません。籍は日本の学校にありますが、調査でテンブリッジ大学にきています」四五が淡々とこたえた。
「あぁ、そうだったんですか」
 女性は目を丸くしてうなずいた。おれは二人を傍目に見ながらビニール線と鏡を回収していった。断線しないようにまとめてスーツケースに押し込め、蓋を閉める。四五に目配せを送る。
「では、わたしたちはこれで」
「はいっ、お疲れさまでしたっ」
 四五が先に地上に出る。下からスーツケースを手渡し、おれも地上に出た。そのあと女性も梯子をのぼってきた。この短い時間でも、この地下ドームから上がってくると地上の開放感を覚える。
「いいデータがとれてるといいですねっ、地質調査」
「え? あぁ、そうですね」我ながら気の抜けた声でこたえた。
「せっかくテンブリッジまできたんですからねっ」
「そう、そうですよ。なにか成果が出るといいよな、四五」
「そうですね。成果を出さないと、帰ることもできないですからね、わたしたちは」
 四五は遠い目をしながらそう言った。
「おぉっ、厳しい国からいらっしゃったんですね」
「いや、今はそうでもない……と思うんですけどね」
 いや、実際今の日本はどういう状況になっているのだろうか。おれたちの知っているのほほんと平和ボケした国のままなのだろうか。女性はにんまりと微笑んだままおれと四五を交互に見ていた。
「じゃあ、おれたちはこれで」
「はいっ、お気をつけて」
 スーツケースを持ち上げて小丘を降りていく。何度か振り返った。あの女性はずっと同じ場所から、同じ姿勢でおれたちの方を見つめていた。
「あの人、また地下に戻るのかな」
 四五に顔を寄せて小声で言った。
「どうだろう……。さっき見た限りでは、あの人のいう科学史の違和感の手がかりはなさそうだったけど。……このタイムマシン以外は」
 おれは手元のスーツケースを見下ろした。
「間一髪だったな……」
「まだ安心はできないよ。わたしたち、行く当てがないんだから」
 街のほうにつながる第三ブリッジに向かって歩きながら、どこに向かおうか考えた。丘が見えなくなる前にもう一度振り返ると、タートルネックセーターの女性はまだこっちを見ていた。
「まだ見てるぞ……」
「立ち止まらない方がいいね。一旦街の方に出よう」

 橋の石畳にスーツケースをおろし、取っ手を引き延ばした。もう誰の視線もない。おれたちは立ち止まって向かい合った。第三ブリッジから直接繋がっている裏門の左右には橙色の電灯がついている。蝋燭の火のように揺らめくことのない直線的な光が、うすぼんやりとした夜の中に四五の姿を照らし出している。四五はおれを見上げたままゆっくりとまばたきをしていた。
「アリスたちが寮にいるわけもないし、名簿を勝手に書き換えてくれたラビももういない」
「さすがに電子管理でしょう、この世界は」
「確かに……。いや、ラビなら電子管理でも平気で改竄しそうではあるが」
 四五が笑った。白い息が四五の口から漏れた。
「というか、そもそも迷うほどの選択肢がないな、おれたちには」
 四五がうなずく。

 カサブランカの前に立つと、中から賑やかな笑い声が漏れ聞こえてきた。懐かしさを感じ、自然と微笑みが浮かんだ。この扉を開けば、いつものように修一郎が飲んだくれていてイルザさんが呆れているんじゃないだろうか。だがその思い出は、今から三五九年も昔の光景だ。二人はもうこの世界にはいない。今カサブランカに立っているのは、二人の血を引く子孫だ。バックパックのベルトを肩に掛け直すと、中に入っている木箱が音を立てた。修一郎がおれたちに遺していた、三世紀の時を超えたタイムカプセルだ。修一郎はこの世界にもおれたちに微かなつながりを遺してくれた。四五がおれを見上げていた。四五の口元にも笑みが浮かんでいた。おれたちは小さくうなずきあって、カサブランカのドアを開けた。
「……あれ」
 カウンターの内側に立っている若い女店主がおれたちに目を留めた。どうも、とおれたちはその視線に会釈を返す。女店主はカウンターから出てきてくれた。
「昼間の二人! きてくれたんだね。うれしいな。ゆっくりしていってよ。カウンター空いてるから、座って座って」
 導かれるままおれと四五はカウンター席に並んで座った。
「なに呑む? ビール、ワイン、ウィスキー、ラムにジンにウォッカ。定番の銘柄だったらなんでもあるよ」
「お酒が増えてる……」
 四五が感心したように呟いた。確かに、あのときは店にいる全員が同じ種類の酒を延々と呑んでいた。ビールに近い見た目だったが、あのメニューはさすがにないんだろう。
「あの、実はおれたち……」
 店主が首をかしげる。
「あ、お酒弱いの? コーラにする?」
「コーラもあるんだ……」
 また四五がつぶやいた。
「いや、実は……。おれたち、お金がなくて……」
 店主は不思議そうに首をかしげた。
「お財布を、なくしてしまったんです」
 四五がそう言うと、店主が目を見開いた。
「えっ、二人、日本から来てるんでしょ? 大丈夫なの? パスポートは?」
 四五と顔を合わせる。どうやらこの世界にもパスポートはあるようだ。
「まるっと、手元になくて」
 とうとう店主の目はまん丸になった。
「呑んでる場合じゃないじゃんっ! 大使館いきなよっ! 日本大使館て――」
「ロンドンだな。歩いてはいけねぇぞ」
 隣に座っていた男性客がそう言った。立派なもみあげとあごひげが繋がっている、よく日焼けした初老の男性だった。髭も髪の毛も全て白髪で、顔の下半分はけむくじゃらなのに頭頂部はつるりと禿げ上がっている。男性ホルモンが豊富なのかもしれない。
「金がなきゃ車にも電車にも乗れねぇだろ」
「そうだ、そりゃそうだわ」
 男性客と店主が話しているのを四五と並んで眺めた。店主の慣れた態度から察するに、男性客は常連のように思えた。二人は過去に同じようにテンブリッジでパスポートをなくした観光客が結局どういう対応をとったのか記憶を辿っていた。
「あの、実はわたしたち、テンブリッジ大学に留学にきた学生で」
 四五が店主と常連の会話を遮って言った。
「――たぶん、大学に忘れてしまったんです。パスポートとか、お金が入った、鞄を。ですよね?」
 四五がおれに視線を送ってきた。
「そう、そうなんです。たぶん、大学に忘れちゃって。だからまだ、逆にロンドンに行けないというか、なるべく大使館には行かずに済ませたいというか」
「まぁ、あんなことにいきゃあ面倒なことになるのは間違いないもんな。いや、もうなってるのか」
 そう言っても常連は大口を開けて笑いながら大きなコップをあおって、大きなゲップをした。
「それで――まだテンブリッジにきたばっかりで、他にあてもないから――」
 遠慮がちに言ったおれの言葉に、店主がうなずく。
「この店にきてくれたって訳ね」
「ははっ、都合のいい一見客もいたんだ。おいクレア、おかわりだ」
「意地悪言わないの。この二人はわたしの遠い親戚……、かもしれないんだから」
「えっ、そうなのかっ!?……じゃあ昼間現れた鍵の持ち主ってのは――」
「この子たち。遠路はるばる来てくれた二人に悪態つくなっ。二人とも、ちょっとだけ待ってて。落ちついたら二階に案内してあげる」
 店主はそう言って、慌ただしく他の席のオーダーに対応し始めた。残された常連客はおれたちの方に体ごと向けた。腹が大分出っ張っていて、シャツのボタンは今にもはじけとびそうだった。
「そうかぁ、なるほど。そんなことあんだなぁ。いや、常連の間ではちょっとしたニュースになってんだよ、おまえたちが店にきたこと」
 常連客はそう言って、おれと四五のことをマジマジと眺めた。
「……本当にクレアと親戚なのか? 全然似てねぇけどな」
 おれと四五はまた目を見合わせた。そもそもおれも四五も、修一郎とは血のつながりはない。あったところで、三五九年も経てば薄まりきっているだろう。そう思ったが、とりあえず曖昧な笑みだけを返した。

「ごめんね。二人分の部屋を用意する余裕はなくてさ。同じ部屋でいい?」
「もちろんですっ、泊めて頂けるだけで、本当に」
 店主のクレアさんはおれたちを二階の部屋に案内してくれた。
「いいのいいのっ。この建物ごとわたしに任されてるし、それに二人は他人じゃないし。あの箱の鍵を持ってたってことは、そういうことでしょ? わたしももう少し話聞いておきたかったなって思ってたんだ」
 笑みを浮かべてうなずきながら、おれは内心、微かな焦りを感じた。おれたちがなぜこのテンブリッジと縁があるのか。このあと四五と考える必要がありそうだ。
「これが机、棚。あと、ベッドね。見ればわかるか。一人用だけど、仲良く寝てね」
「大丈夫です。一応、恋人同士なので」
 四五が抑揚のない声でそう言った。クレアさんは目を見開いてから楽しげに笑った。
「そうだったか! まぁ、そんな気はしてたけど。じゃあ問題はないね。トイレとシャワーは、部屋出て突き当たりを右。お湯が出るまで時間かかるから。わからないことあったら下に降りてきてくれればいいから」
「ありがとうございます。助かりました」
「いいっていいって。見つかるといいね、パスポート」
「ですね……」
 苦笑いを浮かべながらうなずく。
 クレアさんが出ていったあとで、おれたちは大きなため息をついた。
「なんか、こんな風に泊めてもらってばっかだな」
「状況は一六八七年にいっちゃったときとそんなにかわらないからね」
「また修一郎に救われたってわけだ……」
 おれはベッドに腰掛けて鞄から木箱をとりだした。四五もとなりに座り、俺の手元を覗きこんだ。蓋と側面に施された木彫りの装飾はなかなか凝っている。時代を考えれば間違いなく手彫りだし、素人の業ではないのがすぐにわかった。その中で、鍵穴は多少乱暴につけられたように見えた。
「もともとあった箱に、修一郎さんがあとから鍵をつけたのかもね」
「みたいだな」
 四五が首元のチョーカーをはずし、鍵穴に鍵を差し込んだ。金属音がして鍵が開く。蓋を開けた。茶色く変色した羊皮紙を取り出しす。三五九年の時を超えた修一郎の手紙だ。
「その箱、見ていい?」
「あぁ」
 四五に箱を手渡す。おれはもう一度修一郎の手紙に目を通した。日付は一六八九年の八月十九日付けになっている。あのあと修一郎は二年がかりでプリンキピアの原稿を書いたらしい。おれを逃がすために修一郎がフックに持ちかけた条件は、プリンキピアの完全原稿を譲渡することだった。修一郎は原稿に頭を悩ませるふりをしながら、執筆期間の二年間をそれなりに謳歌したらしい。イルザとの間には二人の子供がいると書いてある。それが、今日おれたちを助けてくれたクレアさんの遠い祖先だろう。修一郎は完成原稿をフックに渡しにいく最期の日に、おれへの激励の言葉を遺してくれた。
「必ず助けにいくからな、修一郎――」
 そう呟いて、隣の四五に目を向けた。四五は茫然と木箱を見つめていた。
「どうしたんだ、四五」
「……念の為、この箱の寸法と重さも計っておこうと思ったんだけど」
「念の為、ね……」
「内寸と外寸が全然合わない。それに――」
 四五は木箱を手に持って小さく揺らした。
「ウォールナットにしては、重い……」
「ウォールナットって?」
「木材」
「もくざい……」
 四五は木箱の蓋を開き、立ち上がって、部屋の電灯の下に立った。おれもそのあとに続いた。四五は光で手元を照らしながら、目を凝らして箱の内側を見つめた。
「……底が、あげてある……」
 四五はポケットからL字に曲がった細い針金を取り出した。女子のポケットからL字の細い針金が出てくる訳がない、なんていう世の常識は四五には通用しない。計測と観察に必要なものはなんであれ、四五のポケットから出てくるのだ。
 四五はその細い針金を、底板と側面の間に差し込んだ。かぽっと、底板の下に空気が入り込む音がして、その焦げ茶色の薄い板は外れた。中には革張りの本が入っていた。
「なんだ……?」
 四五はおれに箱を差し出した。手を伸ばしてその本の表紙に触れる。革は水分を失ってかさかさになっていた。本の下側に手を入れて箱から取り出す。表紙にも裏表紙にも、題字らしきものは書いてなかった。四五と顔を見合わせて、首をかしげる。固い表紙を開くと、1ページ目に見慣れた筆跡の文章が書いてあった。
「これって――」
 四五が呟いた。おれたちはその変色した本を食い入るように見つめていた。
「修一郎の、日記だ」

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