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自遊時閑 2023/12/27 17:17

[夏目漱石] 変な音 ソフトノベル

    上

 うとうとしたと思ううちに目が覚めた。すると、隣の部屋で妙な音がする。始めはなんの音とも、またどこからくるともはっきりした見当がつかなかったが、聞いているうちに、だんだん耳の中へまとまった考えができてきた。きっとおろし金で大根かなにかをごそごそ擦っているに違いない。自分は確かにそうだと思った。それにしてもこの時間になんの必要があって、隣の部屋で大根おろしを作っているのだか想像がつかない。
 言い忘れたがここは病院である。炊事の係は遥か五十メートルも離れた二階下の台所に行かなければ一人もいない。病室では炊事は無論、菓子さえ禁じられている。まして今の時間に、なんのために大根おろしを作るのだろう。これはきっと別の音が大根おろしのように自分に聞えるのに決まっていると、すぐ心の中で悟ったようなものの、さて、それなら果たしてどこからどうして聞こえてくるのだろう、と考えるとやっぱり分からない。
 自分は分からないままにして、もう少し意味のあることに自分の頭を使おうと試みた。けれども一度耳についたこの不可思議な音は、それが続いて自分の鼓膜に訴える限り、妙に神経に障って、どうしても忘れる訳にいかなかった。辺りはしんとして静かである。この病棟に不自由な身を任せた患者たちは申し合せたように黙っている。寝ているのか、考えているのか話しをするものは一人もない。廊下を歩く看護婦の上履の音さえ聞えない。その中にこのごしごしと物を擦り減らすような異様な響きだけが気になった。
 自分の部屋は元は特等室として二間《ふたま》つづきに作られたのを病院の都合で一つずつに分けたものだから、火鉢などの置いてある副部屋の方は、普通の壁が隣の境になっているが、寝床の敷いてある六畳の方になると、東側に二メートルの戸棚があって、その脇が芭蕉布《ばしょうふ》の襖で、すぐ隣へ行き来ができるようになっている。この一枚の仕切りをがらりと開けさえすれば、隣部屋で何をしているかは容易く分かるけれども、他人に対してそれほどの無礼をあえてするほど大事な音でないことは言うまでもない。季節は暑さに向かう時期であったから縁側《えんがわ》は常に明け放したままであった。縁側は元より病棟いっぱい細長く続いている。けれども患者が端へ出て互いを見通す不都合を避けるため、わざと二部屋ごとに開き戸を設けてお互いの仕切りとした。それは板の上へ細い木組みを十文字に渡した洒落たもので、用務員が毎朝拭き掃除をするときには、下から鍵を持って来て、一々この戸を開けて行くのが通例になっていた。自分は敷居の上に立った。あの音はこの両開き戸の後ろからでているようである。戸の下は六センチほど開いていたがそこにはなにも見えなかった。
 この音はその後もよく繰り返された。ある時は五六分続いて自分の耳を刺激する事もあったし、またある時はその半ばにも至らないでぱたりとやんでしまう事もあった。けれどもそれがなんであるかは、ついに知る機会なく過ぎた。病人は静かな男であったが、時々夜中に看護婦を小さい声で起こしていた。看護婦がまた感心な女で小さい声で一度か二度呼ばれると快い優しい「はい」と言う受け答えをして、すぐ起きた。そうして患者のためになにかしている様子であった。
 ある日、回診の番が隣へ回ってきたとき、いつもよりはだいぶ時間がかかると思っていると、やがて低い話し声が聞え出した。それは二三人で遠慮しあってなかなか捗らないような湿り気を帯びていた。やがて医者の声で、どうせ、そう急にはお治りにはなりませんからと言った言葉だけがはっきり聞えた。それから二三日して、かの患者の部屋にこそこそ出入りする人の気配がしたが、いずれも己の活動する音を病人に遠慮するように、ひそやかにふるまっていたと思ったら、病人自身も影のごとくいつの間にかどこかへ行ってしまった。そうしてその後にはすぐ翌日から新しい患者が入って、入口の柱に白く名前を書いた黒塗りの札がかけ変えられた。例のごしごし言う妙な音はとうとう見極わめることができないうちに病人は退院してしまったのである。そのうち自分も退院した。そうして、あの音に対する好奇心はそれっきり消えてしまった。


    下

 三カ月ほど経って自分はまた同じ病院に入った。部屋は前のと番号が一つ違うだけで、つまりその西隣であった。壁一枚隔てた昔の住まいには誰がいるのだろうと思って注意してみると、終日かたりという音もしない。空いていたのである。もう一つ先がすなわち例の異様の音の出た所であるが、ここには今誰がいるのか分らなかった。自分はその後、受けた体の変化があまりにも激しいのと、その激しさが頭に映り、過去の影から生じた動揺が絶えず波紋を広げるため、大根おろしの事などは全く思い出す暇もなかった。それよりはむしろ自分に近い運命を持った入院患者の経過のほうが気にかかった。看護婦に一等室の病人は何人いるのかと聞くと、三人だけだと答えた。重いのかと聞くと重そうですと言う。それから一日二日して自分はその三人の病症を看護婦から確かめた。一人は食道ガンであった。一人は胃ガンであった、残る一人は胃潰瘍《いかいよう》であった。みんな長くは持たない人ばかりだそうですと看護婦は彼らの運命をひとまとめに予言した。
 自分は縁側に置いたベゴニアの小さな花を見て暮らした。実は菊を買うはずのところを、植木屋が十六貫だと言うので、五貫に負けろと値切っても話しにならなかったので、帰りに、じゃ六貫やるから負けろと言ってもやっぱり負けなかった。今年は水が原因で菊が高いのだと説明した、ベゴニアを持って来た人の話を思い出して、賑やかな通りの縁日の夜景を頭の中に描きなどしてみた。
 やがて食道ガンの男が退院した。胃ガンの人は死ぬのは諦めさえすればなんでもないと言って美しく死んだ。胃潰瘍の人はだんだん悪くなった。夜中に目を覚ますと、時々東のはずれで、付き添いのものが氷を砕く音がした。その音がやむと同時に病人は死んだ。自分は日記に書き込んだ。
 ――「三人のうち二人死んで自分だけ残ったから、死んだ人に対して残っているのが気の毒のような気がする。あの病人は吐き気があって、向こうの端からこっちの果てまで響くような声を出して始終げえげえ吐いていたが、この二三日それがぴたりと聞えなくなったので、だいぶ落ちついてまぁ結構だと思ったら、実は疲労の極みで声を出す元気を失ったのだと知った」
 その後、患者は入れ代わり立ち代わり出たり入ったりした。自分の病気は日を日を重ねるにしたがって次第に快調へ向かった。仕舞いには上履きを履いて広い廊下をあちこち散歩し始めた。その時ふとしたことから、偶然ある付き添いの看護婦と口を利くようになった。暖かい日の昼過ぎ食後の運動がてら水仙の水を変えてやろうと思って洗面所へ出て、水道の栓をひねっていると、その看護婦が待ち受けの部屋の茶器を洗いに来て、例の通り挨拶をしながら、しばらく自分の手にした朱泥《しゅでい》の鉢と、その中に盛り上げられたように膨れて見える珠根《たまね》を眺めていたが、やがてその目を自分の横顔に移して「この前のご入院の時よりもうずっと顔色が好くなりましたね」と、三カ月前の自分と今の自分を比較したような批評をした。
「この前って、あの時君もやはり付き添いでここに来ていたのかい」
「ええついお隣でした。しばらく○○さんの所におりましたがご存じはなかったかもしれません」
 ○○さんと言うと例の変な音をさせた方の東隣である。自分は看護婦を見て、これがあの時夜中に呼ばれると、「はい」という優しい返事をして起き上った女かと思うと、少し驚かずにはいられなかった。けれども、その頃自分の神経をあれだけ刺激した音の原因については別に聞く気も起らなかった。で、あぁそうかと言うなり朱泥の鉢を拭いていた。すると女が突然少し改まった調子でこんなことを言った。
「あの頃あなたのお部屋で時々変な音が致しましたが……」
 自分は不意に逆襲を受けた人のように、看護婦を見た。看護婦は続けて言った。
「毎朝六時頃になると決まってするように思いましたが」
「うん、あれか」と自分は思い出したようについ大きな声を出した。「あれはね、自働革砥《オートストロップ》の音だ。毎朝髭を剃るんでね、安全カミソリを研磨用の革へかけて磨ぐのだよ。今でもやってる。嘘だと思うなら来てご覧」
 看護婦はただへええと言った。だんだん聞いてみると、○○さんと言う患者は、ひどくその研磨の音を気にして、あれはなんの音だなんの音だと看護婦に質問したのだそうである。看護婦がどうも分からないと答えると、隣の人はだいぶ調子が良いので朝起きると、運動をする、その器械の音なんじゃないか羨ましいなと何回も繰り返したと言う話である。
「それはいいがお前のほうの音はなんだい」
「お前のほうの音って?」
「そりゃよく大根をおろすような妙な音がしたじゃないか」
「ええあれですか。あれは胡瓜《きゅうり》を擦ったんです。患者さんが足が火照って仕方がない、胡瓜の汁で冷してくれとおっしゃるもんですから私がずっと擦って上げました」
「じゃやっぱり大根おろしの音なんだね」
「ええ」
「そうかそれでようやく分かった。――いったい○○さんの病気はなんだい」
「直腸ガンです」
「じゃとても難しいんだね」
「ええもう本当に。ここを退院なさると直ぐでした、お亡くなりになったのは」
 自分は黙り込んでわが部屋に帰った。そうして胡瓜の音で人を焦らして死んだ男と、研磨の音を羨ましがらせて快くなった人との相違を心の中で思い比べた。

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自遊時閑 2023/12/23 18:15

[夏目漱石] 変な音 ファストノベル

    上

 うとうとしたと思ううちに目が覚めた。すると、隣の部屋で妙な音がする。始めはなんの音とも、またどこからくるともはっきりしなかったが、きっとおろし金で大根かなにかを擦っているに違いない。それにしてもこの時間になんの必要があって、隣の部屋で大根おろしを作っているのか想像がつかない。
 言い忘れたがここは病院である。今の時間に、なんのために大根おろしを作るのだろう。これはきっと別の音が大根おろしのように自分に聞えるのに決まっていると、すぐ心の中で悟ったようなものの、さて、それなら果たしてどこからどうして聞こえてくるのだろう、と考えるとやっぱり分からない。
 自分はもう少し意味のあることに頭を使おうと試みた。けれども一度耳についたこの不可思議な音は、それが鼓膜に訴える限り、妙に神経に障って、どうしても忘れる訳にいかなかった。辺りはしんとして静かである。廊下を歩く看護婦の上履の音さえ聞えない。その中にこのごしごしと物を擦り減らすような異様な響きだけが気になった。
 自分の部屋は元は特等室として二間《ふたま》つづきに作られたのを病院の都合で一つずつに分けたものだ。東側に戸棚があって、その脇が襖ですぐ隣へ行き来ができるようになっている。この一枚の仕切りをがらりと開けさえすれば、隣で何をしているかは容易く分かるけれども、他人に対してそれほどの無礼をあえてするほど大事な音でない。季節は暑さに向かう時期であったから縁側《えんがわ》は常に明けたままであった。縁側は病棟いっぱい細長く続いている。けれども患者が端へ出て互いを見通す不都合を避けるため、わざと二部屋ごとに開き戸を設けてお互いの仕切りとした。自分は敷居の上に立った。あの音はこの両開き戸の後ろからでているようである。戸の下は六センチほど開いていたがそこにはなにも見えなかった。
 この音はその後もよく繰り返された。ある時は五六分続いて自分の耳を刺激する事もあったし、またある時はその半ばにも至らないでぱたりとやんでしまう事もあった。けれどもそれがなんであるかは、ついに知る機会なく過ぎた。病人は静かな男であったが、時々夜中に看護婦を小さい声で起こしていた。看護婦がまた感心な女で小さい声で一度か二度呼ばれると快い優しい「はい」と言う受け答えをして、すぐ起きた。そうして患者のためになにかしている様子であった。
 ある日、回診の番が隣へ回ってきたとき、いつもよりだいぶ時間がかかると思っていると、やがて低い話し声が聞え出した。それは二三人で遠慮しあってなかなか捗らないような湿り気を帯びていた。それから二三日して、かの患者の部屋にこそこそ出入りする人の気配がしたが、その気配も病人自身も影のごとくいつの間にかどこかへ行ってしまった。そうしてその後にはすぐ翌日から新しい患者が入った。例の妙な音はとうとう見極わめることができないうちに病人は退院してしまったのである。そのうち自分も退院した。そうして、あの音に対する好奇心はそれっきり消えてしまった。


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 三カ月ほど経って自分はまた同じ病院に入った。部屋は前の部屋の西隣であった。壁一枚隔てた昔の住まいは空いていた。もう一つ先がすなわち例の異様の音の出た所であるが、ここには今誰がいるのか分らなかった。自分はその後、受けた体の変化があまりにも激しく、異音の事などは全く思い出す暇もなかった。それよりはむしろ自分に近い運命を持った入院患者の経過のほうが気にかかった。看護婦に一等室の病人は何人いるのかと聞くと、三人だけだと答えた。重いのかと聞くと重そうですと言う。一人は食道ガンであった。一人は胃ガンであった、残る一人は胃潰瘍《いかいよう》であった。みんな長くは持たない人ばかりだそうですと看護婦は彼らの運命をひとまとめに予言した。
 やがて食道ガンの男が退院した。胃ガンの人は死ぬのは諦めさえすればなんでもないと言って美しく死んだ。胃潰瘍の人はだんだん悪くなった。夜中に目を覚ますと、時々東のはずれで、付き添いのものが氷を砕く音がした。その音がやむと同時に病人は死んだ。自分は日記に書き込んだ。
 ――「三人のうち二人死んで自分だけ残ったから、死んだ人に対して残っているのが気の毒のような気がする」
 その後、自分の病気は日を重ねるにしたがって次第に快調へ向かった。仕舞いには上履きを履いて広い廊下をあちこち散歩し始めた。その時ふとしたことから、偶然ある付き添いの看護婦と口を利くようになった。いつも通り挨拶をしながら、看護婦はその目を自分の顔に移して「この前のご入院の時よりもうずっと顔色が好くなりましたね」と、三カ月前の自分と今の自分を比較したような批評をした。
「あの時君もやはり付き添いでここに来ていたのかい」
「ええ、○○さんの所におりましたがご存じはなかったかもしれません」
 ○○さんと言うと例の変な音をさせた方の東隣である。自分は看護婦を見て、これがあの時の女かと思うと、少し驚かずにはいられなかった。けれども、その頃自分の神経をあれだけ刺激した音の原因については別に聞く気も起らなかった。すると女が突然少し改まった調子でこんなことを言った。
「あの頃あなたのお部屋で時々変な音が致しましたが……」
 自分は不意に逆襲を受けた人のように、看護婦を見た。
「うん、あれか」と自分は思い出したようについ大きな声を出した。「あれはね、自働革砥《オートストロップ》の音だ。毎朝髭を剃るんでね、安全カミソリを研磨用の革へかけて磨ぐのだよ。今でもやってる。嘘だと思うなら来てご覧」
 看護婦はただへええと言った。だんだん聞いてみると、○○さんと言う患者は、ひどくその音を気にして、あれはなんの音だと看護婦に質問したのだそうである。看護婦がどうも分からないと答えると、隣の人はだいぶ調子が良いので朝起きると、運動をする、その器械の音なんじゃないか羨ましいなと何回も繰り返したと言う話である。
「お前のほうの音はなんだい? よく大根をおろすような妙な音がしたじゃないか」
「ええあれですか。あれは胡瓜《きゅうり》を擦ったんです。患者さんが足が火照って仕方がない、胡瓜の汁で冷してくれとおっしゃるもんですから」
「じゃやっぱり大根おろしの音なんだね」
「ええ」
「そうかそれでようやく分かった。――いったい○○さんの病気はなんだい」
「直腸ガンです」
「じゃとても難しいんだね」
「ええもう本当に。ここを退院なさると直ぐでした、お亡くなりになったのは」
 自分は黙り込んでわが部屋に帰った。そうして胡瓜の音で人を焦らして死んだ男と、研磨の音を羨ましがらせて快くなった人との相違を心の中で思い比べた。

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自遊時閑 2023/12/19 17:36

[太宰治] 黄金風景 ソフトノベル

  

   海の岸辺に緑なす樫の木、その樫の木に黄金の細き鎖のむすばれて
                           ―プーシキン―


 私は子供のとき、あまり性格のいい方ではなかった。家政婦をいじめた。私はどんくさいことは嫌いで、それゆえ、どんくさい家政婦を特にいじめた。お慶は、どんくさい家政婦である。林檎の皮をむかせても、むきながら何を考えているのか、二度も三度も手を休めて、おい、とその度毎にきびしく声を掛けてやらないと、片手に林檎、片手にナイフを持ったまま、いつまでも、ぼんやりしているのだ。足りないのではないか、と思われた。台所で、何もせずに、ただのっそりつっ立っている姿を、私はよく見かけたものであるが、子供心にも、みっともなく、妙に癇に障って、「おい、お慶、日は短いんだぞ」などと大人びた、今思っても背筋の寒くなるような非道な言葉を投げつけて、それでは飽き足りずに一度はお慶を呼びつけ、私の絵本の観兵式の何百人とうようよしている兵隊、馬に乗っている者もいて、旗持っている者もいて、銃を担いでいる者もいて、そのひとりひとりの兵隊の形をハサミで切り抜かせ、不器用なお慶は、朝から昼飯も食わず日暮頃までかかって、やっと三十人くらい、それも大将の髭を片方切り落したり、銃を持つ兵隊の手を、熊の手みたいに恐ろしく大きく切り抜いたり、そうしていちいち私に怒鳴られた。夏の頃であった、お慶は汗っかきなので、切り抜かれた兵隊たちはみんな、お慶の手の汗で、びしょびしょ濡れて、私はついに癇癪をおこし、お慶を蹴った。確かに肩を蹴ったはずなのに、お慶は右の頬をおさえ、がばっと泣き伏せ、泣き泣き言った。「親にさえ顔を踏まれたことはありません。一生覚えております」うめくような口調で、途切れ途切れそう言ったので、私は、流石に嫌な気がした。その他にも、私はほとんどそれが天命でもあるかのように、お慶をいびった。今でも、多少はそうであるが、私には無知で愚鈍の者は、とても我慢できないのだ。

 一昨年、私は家を追われ、一夜のうちに困窮し、路頭をさまよい、あちこちに泣きつき、その日その日の命を繋ぎ、多少執筆で自活できる当てがつき始めたと思った途端、病を得た。人々の情けで一夏、千葉県船橋町、泥の海のすぐ近くに小さい家を借りた。自炊の保養をすることができ、毎夜毎夜、寝巻をしぼる程の寝汗と戦い、それでも仕事はしなければならず、毎朝毎朝の冷たい一杯の牛乳だけが、ただそれだけが、奇妙に生きている喜びとして感じられた。庭の隅《すみ》の夾竹桃《きょうちくとう》の花が咲いたのを、メラメラ火が燃えているようにしか感じられなかったほど、私の頭もすっかり痛み疲れていた。
 その頃の事、戸籍調査の四十に近い、痩せて小柄のお巡りが玄関で、帳簿の私の名前と、それから無精髭のばし放題の私の顔とを、じっくりと見比べ、「おや、あなたは……のお坊ちゃんじゃございませんか?」そう言うお巡りの言葉には、強い故郷の訛りがあったので、「そうです」私はふてぶてしく答えた。
「あなたは?」
 お巡りは痩せた顔に苦しいほどにいっぱいの笑みをたたえて、
「やぁ。やはりそうでしたか。お忘れかもしれないけれど、かれこれ二十年近く前、私はKで馬車屋をしていました」
 Kとは、私の生れた村の名前である。
「ご覧の通り」私は、にこりともせずに応じた。
「私も、今は落ちぶれました」
「とんでもない」
 お巡りは、なおも楽しげに笑いながら、
「小説をお書きなさるんだったら、それはなかなかの出世です」
 私は苦笑した。
「ところで」とお巡りは少し声を低くめ、
「お慶がいつもあなたのお噂をしています」
「おけい?」すぐには呑みこめなかった。
「お慶ですよ。お忘れでしょう。お宅の家政婦をしていた――」
 思い出した。あぁ、と思わずうめいて、私は玄関の式台にしゃがんだまま、頭を垂れて、その二十年前、どんくさかった一人の家政婦に対する私の悪行が、ひとつひとつ、はっきり思い出され、いたたまれなくなった。
「幸福ですか?」
 ふと顔をあげてそんな突拍子ない質問を発する私の顔は、確かに罪人や被告のようで、卑屈な笑いさえ浮べていたと記憶する。
「ええ、もう、それは」
 屈託なく、そう朗らかに答えて、お巡りはハンカチで額の汗をぬぐって、
「かまいませんでしょうか。今度妻を連れて、一度ゆっくりお礼にあがりましょう」
 私は飛び上るほど、ぎょっとした。いいえ、もう、それには、と激しく拒否して、私は言い知れぬ屈辱感に身悶えしていた。
 けれども、お巡りは、朗らかだった。
「子供がねぇ、あなた、ここの駅に勤めるようになりましてな、それが長男です。それから男、女、女、その末のが八つで今年小学校にあがりました。もう一安心。お慶も苦労いたしました。なんというか、まぁ、お宅のような名家にあがって行儀作法を習った者は、やはりどこか、違いましてな」
 少し顔を赤くして笑い、
「おかげさまでした。お慶も、あなたのお噂、始終しております。今度の公休には、きっと一緒にお礼にあがります」
 急に真面目な顔になって、
「それじゃ、今日は失礼いたします。お大事に」

 それから、三日たって、私が仕事のことよりも、金銭のことで思い悩み、うちにじっとして居れなくて、竹のステッキ持って、海へ出ようと、玄関の戸をがらがら開けたら、外に三人、浴衣を着た父と母と、赤い洋服着た女の子と、絵のように美しく並んで立っていた。お慶の家族である。
 私は自分でも意外な程の、恐ろしく大きな怒声を発した。
「来たのですか。今日、私これから用事があって出かけなければなりません。気の毒ですが、またの日においでください」
 お慶は、品のいい中年の奥さんになっていた。八つの子は、家政婦の頃のお慶によく似た顔をしていて、鈍さを感じる濁った眼でぼんやり私を見上げていた。私は悲しく、お慶がまだ一言も言い出さないうちに、逃げるように、海岸へ飛び出した。竹のステッキで、海岸の雑草をなぎ払いなぎ払い、一度もあとを振りかえらず、一歩、一歩、地団駄踏むような荒《すさ》んだ歩き方で、とにかく海岸伝いに町の方へ、まっすぐに歩いた。私は町で何をしていただろう。ただ意味もなく、映画館の絵看板見上げたり、呉服屋の飾り窓を見つめたり、ちぇっ、ちぇっ、と舌打ちしては、心のどこかの隅で、負けた、負けた、と囁く声が聞えて、これはならぬと激しく体をゆさぶっては、また歩き、三十分ほどそうしていたろうか、私は再び私の家へ引き返した。
 海岸に出て、私は立ち止った。見ろ、前方に平和の図がある。お慶親子三人、のどかに海に石の投げっこしては笑い楽しんでいる。声がここまで聞えてくる。
「なかなか」お巡りは、うんと力をこめて石を放って、「頭の良さそうな方じゃないか。あの人は、今に偉くなるぞ」
「そうですとも、そうですとも」お慶の誇らしげな高い声である。「あの方は、小さい時から一人変わっていられた。目下の者にもそれは親切に、目をかけてくださった」
 私は立ったまま泣いていた。険しい興奮が、涙で、まるで気持ちよく溶け去ってしまうのだ。
 負けた。これは、良いことだ。そうなければ、いけないのだ。彼らの勝利は、また私の明日の出発にも、光を与える。

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自遊時閑 2023/12/16 15:28

[太宰治] 黄金風景 ファストノベル

  海の岸辺に緑なす樫の木、その樫の木に黄金の細き鎖のむすばれて
                          ―プーシキン―


 私は子供のとき、性格のいい方ではなかった。どんくさいことは嫌いで、どんくさい家政婦を特にいじめた。お慶は、どんくさい家政婦である。台所で何もせず、ただつっ立っている姿をよく見かけたが、妙に癇に障って、「おい、お慶、日は短いんだぞ」などと非道な言葉を投げつけた。それでは飽き足りずお慶を呼びつけ、絵本の何百人といる兵隊、そのひとりひとりの兵隊をハサミで切り抜かせた。不器用なお慶は、朝から日暮頃までかかって、やっと三十人くらい、それも大将の髭を切り落したりして、いちいち私に怒鳴られた。私はついに癇癪をおこし、お慶を蹴った。確かに肩を蹴ったはずなのに、お慶は右の頬をおさえ、泣き泣き言った。「親にさえ顔を踏まれたことはありません。一生覚えております」うめくような口調で言ったので、私は、流石に嫌な気がした。今でも、多少はそうであるが、私には無知で愚鈍の者は、とても我慢できないのだ。

 一昨年、私は家を追われ、あちこちに泣きつき、その日その日の命を繋ぎ、多少執筆で自活できる当てがつき始めたと思った途端、病を得た。人々の情けで一夏、海の近くに小さい家を借りた。毎夜、寝巻をしぼる程の寝汗と戦い、毎朝の冷たい一杯の牛乳だけが、奇妙に生きている喜びとして感じられた。
 その頃の事、戸籍調査のお巡りが玄関で、帳簿の名前と、私の顔を見比べ、
「おや、あなたは……の坊ちゃんじゃございませんか?」
「あなたは?」
 お巡りは痩せた顔に苦しいほどにいっぱいの笑みをたたえて、
「やぁ。やはりそうでしたか。かれこれ二十年近く前、私はKで馬車屋をしていました」
 Kとは、私の生れた村の名前である。
「ご覧の通り、私も、今は落ちぶれました」
「とんでもない。小説をお書きなさるんだったら、それはなかなかの出世です」
 私は苦笑した。
「ところで、お慶がいつもあなたのお噂をしています」
「おけい?」
「お慶ですよ。お宅の家政婦をしていた――」
 思い出した。あぁ、と思わずうめいて、昔の私の悪行がはっきり思い出され、いたたまれなくなった。
「幸福ですか?」
 そんな突拍子ない質問を発する私の顔は、確かに罪人や被告のようで、卑屈な笑いさえ浮べていた。
「ええ、もう、それは。――今度妻を連れて、一度ゆっくりお礼にあがりましょう」
 私はぎょっとした。いいえ、もう、それには、と激しく拒否し、私は屈辱感に身悶えしていた。
 けれども、お巡りは、朗らかだった。
「子供がねぇ、あなた、ここの駅に勤めるようになりましてな、それが長男です。それから男、女、女、その末のが八つで今年小学校にあがりました。もう一安心。お慶も苦労いたしました。なんというか、お宅のような名家にあがって行儀作法を習った者は、やはりどこか、違いましてな」
 少し顔を赤くして笑い、
「お慶も、あなたのお噂、始終しております。今度の公休には、きっと一緒にお礼にあがります。それじゃ、今日は失礼いたします。お大事に」

 それから、三日たって、私は海へ出ようと、玄関の戸をがらがら開けたら、外に三人、浴衣を着た父と母と、赤い洋服着た女の子と、絵のように美しく並んで立っていた。お慶の家族である。
 私は自分でも意外な程の、恐ろしく大きな怒声を発した。
「来たのですか。私これから用事があって出かけなければなりません。またの日においでください」
 お慶は、品のいい中年の奥さんになっていた。八つの子は、お慶によく似た顔をしていて、ぼんやり私を見上げていた。私は悲しく、お慶がまだ一言も言い出さないうちに、逃げるように、海岸へ飛び出した。一度もあとを振りかえらず、地団駄踏むような歩き方で、とにかく町の方へ歩いた。私は町で何をしていただろう。ちぇっ、ちぇっ、と舌打ちしては、心のどこかの隅で、負けた、負けた、と囁く声が聞えて、これはならぬとまた歩き、三十分ほどそうしていたろうか、私は再び私の家へ引き返した。
 海岸に出て、私は立ち止った。見ろ、前方に平和の図がある。お慶親子三人、のどかに海に石の投げっこしては笑い楽しんでいる。
「なかなか、頭の良さそうな方じゃないか。あの人は、今に偉くなるぞ」
「そうですとも、そうですとも」お慶の誇らしげな高い声である。
「あの方は、小さい時から一人変わっていられた。目下の者にもそれは親切に、目をかけてくださった」
 私は立ったまま泣いていた。険しい興奮が、涙で、まるで気持ちよく溶け去ってしまうのだ。
 負けた。これは、良いことだ。そうなければ、いけないのだ。彼らの勝利は、また私の明日の出発にも、光を与える。

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自遊時閑 2023/12/13 18:35

[梶井基次郎] 檸檬 ファストノベル

 得体の知れない不吉な塊が私の心を始終圧さえつけていた。焦燥、嫌悪と言おうか――酒を毎日飲んでいると二日酔いに相当する時期がやってくる。これはちょっといけなかった。生じた肺結核やノイローゼがいけないのではない。また背を焼くような借金などがいけないのではない。いけないのはその不吉な塊だ。
 以前私を喜ばせた美しい音楽も、美しい詩の一節も我慢ならなくなった。何かが私をいたたまれなくさせるのだ。それで始終私は街から街を浮浪し続けていた。

 何故だかその頃私は見すぼらしくて美しいものに強くひきつけられた。風景にしても壊れかかった街だとか、その街にしても表通りよりもどこか親しみのある、がらくたが転がしてあったりする裏通りが好きであった。
 時どき私はそんな道を歩きながら、ふと、そこが京都ではなく仙台とか長崎とか――そのような町へ今自分が来ているのだ――という錯覚を起こそうと努める。私は、誰一人知らないような町へ行ってしまいたかった。願わくばここがいつの間にかその町になっているのだったら。
 ――錯覚が成功しはじめると私は次から次へ想像の絵具を塗りつけてゆく。そして私はその中に現実の私自身を見失うのを楽しんだ。
 私はまたビードロという、色ガラスで鯛や花を打ち出してあるおはじきが好きになった。またそれを舐めてみるのが私にとってなんともいえない快楽だったのだ。あのビードロの味ほど微かな涼しい味があるものか。
 察しはつくだろうが私にはまるで金がなかった。とは言え、私自身を慰めるためには、贅沢というものが必要であった。
 以前私の好きであった所は、たとえば丸善であった。洒落た切子細工や優雅な琥珀色や翡翠色の香水びん。私はそんなものを見るのに小一時間も費すことがあった。そして結局一番いい鉛筆を一本買うくらいの贅沢をするのだった。
 しかしその頃の私にとっては重くるしい場所に過ぎなかった。書籍、学生、勘定台、これらはみな借金取りの亡霊のように私には見えるのだった。

 ある朝――その頃私は友人たちの下宿を転々として暮らしていたのだが――友人が学校へ出てしまったあとぽつんと一人取り残された。私はまたそこから彷徨い出なければならなかった。そして街から街へ、先に言ったような裏通りを歩いたり、駄菓子屋の前で立ち止まったり、とうとう私は果物屋で足を止めた。
 その果物屋は私の知っていた範囲で最も好きな店であった。そこは決して立派な店ではなかったのだが、果物屋固有の美しさが最も露骨に感じられた。なにか華やかな美しい音楽の快速調《アレグロ》の流れが、見る人を石に化したというゴルゴンの鬼面――的なもので、あんな色彩やあんなボリュームに凝り固まったというふうに果物は並んでいる。
 実際あそこの人参の葉の美しさなどは素晴しかった。
 またそこの家の美しいのは夜だった。どうしたわけかその店頭の周囲だけが妙に暗いのだ。しかしその家が暗くなかったら、あんなにも私を誘惑するには至らなかったと思う。
 もう一つはその家から突き出した庇《ひさし》なのだが、その庇が目深《まぶか》に冠った帽子のつばのように真っ暗なのだ。そう周囲が真っ暗なため、店頭に点けられたいくつもの電灯がにわか雨のように浴びせかける絢爛《けんらん》は、周囲の何者にも奪われることなく、欲しいままにも美しい眺めが照らし出されているのだ。通りに立って眺めたこの果物店の眺めほど、その時の私を楽しませたものは寺町の中でも稀だった。

 その日私はいつになくその店で買物をした。というのはその店には珍しい檸檬《れもん》が出ていたのだ。私はあの檸檬が好きだ。絵具をチューブから搾り出して固めたようなあの単純な色も、それからあの丈の詰まった紡錘形《ぼうすいけい》の格好も。
 ――結局私はそれを一つだけ買うことにした。始終私の心を圧さえつけていた不吉な塊がそれを握った瞬間からいくらか弛んできたようで、私は街の上で非常に幸福であった。
 その檸檬の冷たさは例えようもなくよかった。その頃私は肺尖《はいせん》を悪くしていていつも身体に熱が出た。その熱いせいだったのだろう、握っている掌から体内に浸み透ってゆくようなその冷たさは心地よいものだった。
 私は何度も何度もその果実を鼻に持っていっては嗅いでみた。そして深々と胸いっぱいに匂い立つ空気を吸い込めば、なんだか体内に元気が目覚めてきたのだった。……
 実際あんな単純な触覚や嗅覚や視覚が、ずっと昔からこれだけを探していたのだと言いたくなったほど私にしっくりしたなんて私は不思議に思える。
 私はもう通りを軽やかな興奮に弾んで、一種誇らしい気持ちさえ感じながら歩いていた。汚れた手拭の上へ載せて色の反映を量《はか》ったり、またこんなことを思ったり、
 ――つまりはこの重さなんだな。――
 その重さこそ常づね探し求めていたもので、疑いもなく、この重さはすべての善いものすべての美しいものを重量に換算してきた重さであるとか、思いあがった遊び心からそんな馬鹿げたことを考えてみたり――何はさておき私は幸福だったのだ。

 どこをどう歩いたのだろう、私が最後に立ったのは丸善の前だった。平常あんなに避けていた丸善がその時の私にはやすやすと入れるように思えた。
 しかしどうしたことだろう、私の心を充たしていた幸福な感情はだんだん逃げていった。憂鬱が立ちこめてくる。
 私は画本の棚の前へ行ってみた。画集の重たいのを取り出すのさえ「いつにも増して力が要るな!」と思った。しかし私は一冊ずつ抜き出してはみる、そして開けてはみるのだが、念入りにめくってゆく気持ちは湧いてこない。それ以上は堪らなくなってそこへ置いてしまう。以前の位置へ戻すことさえできない。私は幾度もそれを繰り返した。とうとうおしまいには大好きだったアングルの重い本まで堪え難さのために置いてしまった。――なんという呪われたことだ。手の筋肉に疲労が残っている。私は憂鬱になってしまって、自分が抜いたまま積み重ねた本の群を眺めていた。
 以前にはあんなに私をひきつけた画本がどうしたことだろう。
「あ、そうだそうだ」その時私は袂《たもと》の中の檸檬を思い出した。本の色彩をゴチャゴチャに積みあげて、一度この檸檬で試してみたら……「そうだ」
 私にまた先ほどの軽やかな興奮が帰ってきた。私は手当たり次第に積みあげ、慌しく築きあげた。新しく引き抜いて付け加えたり、取り去ったりした。奇怪な幻想的な城が、そのたびに赤くなったり青くなったりした。
 やっとそれは出来上がった。そして、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。
 見渡すと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。
 不意に次のアイディアがひらめいた。
 ――それをそのままにしておいて私は、なに喰わぬ顔をして外へ出る。――
 私は変にくすぐったい気持ちがした。「出て行こうかなぁ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。

 変にくすぐったい気持ちが街の上の私を微笑ませた。丸善の棚へ黄金色に輝く恐ろしい爆弾を仕掛けてきた奇怪な悪漢が私で、もう十分後にはあの丸善が美術の棚を中心として大爆発をするのだったらどんなにおもしろいだろう。
 私はこの想像を熱心に追求した。「そうしたらあの気詰まりな丸善も木っ端微塵だろう」
 そして私は活動写真の看板画が奇妙な趣きで街を彩っている京極を下って行った。

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