『和ノ風 ~この街には物書きが住んでいる~ 』 第三話「真緒の春休み」

「大将、ごちそうさまでした。また寄りますね」
「いつもありがとね、零くん! 真緒ちゃんも、また来てね」
「あっ、はい!」

 会計を済ませた零之介に続き、大将の笑顔に見送られながら真緒は店を後にした。
 時刻は午後2時前であり、商店街の人通りも先ほどより少ない。
 
「では、真緒さん。僕はこの辺で失礼いたしますね。お守りの件、本当にありがとうございました」
「こちらこそありがとうございました! お昼もご馳走になりました」
「いえいえ。それでは」

 そう言って零之介は真緒と別れた。
 しばらく彼の背中を見送った後、真緒も商店街を出て、家路をたどり始める。
 昼前はまだ冷たい空気が残っていた道には、やわらかな陽だまりができていた。



 商店街を後にしてから十数分後、真緒は自宅にたどり着いた。
 西田家は二階建ての一軒家である。
 黒い屋根と薄いグレーの壁が特徴的で、玄関の右横には車二台が入るくらいの駐車スペースがある。ちなみに片方は来客用で、もう片方は父が仕事で車を使用しているため、今はどちらも空いている状態だ。
 真緒は玄関の金属で作られた黒い扉まで歩き、そのまま縦型のドアハンドルに手をかけた

「お母さん、ただいまー」
「真緒、おかえり」

 中に入ると、一階にある一室から母親が出迎えた。
 深紫色のボブヘアを後ろでひとつ結びにしており、四十代前半にしては若く見える。
 家事の途中だったためかエプロン姿で、少し垂れ目の黒い瞳が真緒を見つめていた。

「学校お疲れ様。お昼も食べてきたの?」
「うん。おいしいうどん屋さんがあったから、そこに行ってきた」
「あら、いいわね! 今度お母さんにも教えてほしいな~」
「すごくいいお店だったから、春休みの間に一緒に行こう」
「ふふ、楽しみ」

 しばらく母親と会話を交わした後、真緒は二階へと続く階段を上がった。そのまま三部屋あるうちの奥にある自分の部屋へと入っていった。
 広さ六畳くらいの室内には木製のベッドに勉強机、クローゼットや棚などが置かれている。
 通学鞄を勉強机の上に置き、中から取り出した宿題を整理した。
 一瞬、進路希望調査票と目が合ってしまったが、他の宿題のプリントで隠した。

「はぁ、宿題は明日からにしよう」

 そう言って真緒は制服を脱ぎ、クローゼット内のハンガーに掛ける。そのまま紫色の長袖Tシャツとカラフルなチェック柄の長ズボンに着替え、ベッドに寝転がった。
 しばらく白い天井を見つめていると、不意に今日の出来事を思い出した。

「和井、零之介さんか・・・・・・不思議な人だったなぁ」



「真緒ー、もうすぐごはんができるわよ」
「はーい!」

 しばらく部屋で寛いでいると、一階から母親の呼ぶ声が聞こえた。
 壁に掛けられた時計に目を向けると、時刻は午後6時を少し過ぎている。
 真緒はベッドから体を起こし、階段を降りて一階に向かった。
 一階にある大きな一室はリビングダイニングキッチンとなっており、既に部屋の中には揚げ物の香ばしい匂いが漂っている。
 真緒は母親の立つキッチンまで近寄り、匂いの正体を確認した。

「あっ、唐揚げだ!」
「ふふっ、真緒が好きなものを作ったわ。お父さんももうすぐ帰ってくるし、お皿並べるの手伝ってね」
「うん、わかった」

 そう言って真緒は戸棚からお皿を取り出し、机の上に並べ始めた。
 それ終えて洗い物をしていると、玄関から扉の開く音がした。

「ただいまー」
「お父さん、おかえり。お仕事お疲れ様」

 程なくして、ダークグレーのスーツを着た父親が、一階の大部屋に姿を見せた。
 横を刈り上げてパーマをかけた少し短めの黒髪に、真緒と同じ瑠璃色の瞳が特徴的である。

「おう、ありがと。真緒も学校、お疲れ」
「うん、ありがとう」

 それから間もなく母親が残りの調理を済ませ、真緒ができあがった夕飯をテーブルに並べる。
 今日の西田家の夕飯は、白米、鶏肉の唐揚げと千切りのキャベツ、わかめスープ、ほうれん草ともやしのごま和えといった献立だ。

「おっ、美味しそう!」

 着替えを済ませた父親も椅子に座ると、「いただきます」と各々手を合わせ、三人は夕飯を食べ始めた。
 外側がサクサクとした鶏肉の唐揚げを一口かじると、中から肉汁と旨みがじゅわっと広がる。スープの塩加減もちょうど良く、和え物も優しい味わいで、西田家の食卓には笑みが広がった。

「真緒、明日から春休みよね? 宿題以外に、何か予定あるの?」

 食事を始めてからしばらくして、母親が真緒に尋ねる。

「んっ、特にないよ。とりあえず宿題を先に終わらせておきたいかな」

 真緒はおかわりしたばかりの白米を一口食べた後、特に考えず言った。

「偉いわね。でも、遊ぶことも同じくらい大事よ?」
「母さんの言う通りだな。もし予定ができたら、遠慮なく父さんと母さんに言うんだぞ! 特に母さんは、夕飯を作る都合もあるしな」
「遊ぶことか・・・・・・わ、わかった」

 若干歯切れの悪い返事をした真緒は、残りのご飯と唐揚げを口に運んだ。



 翌日、真緒は朝食を済ませてから会社に向かう父親と、パートの仕事がある母親を見送り、一人残って宿題をしようと考えていた。
 ところが途中でお気に入りのシャープペンが壊れ、しかも運悪く芯を切らしていたことに気づいてしまった。

「しまった! テストとかが忙しすぎて完全に忘れてた・・・・・・」

 軽く落ち込んだ様子の真緒であったが、このままでは宿題が進められないため、急遽外出する支度を始める。

(えっと、確かあの本屋さんに売っていたはず)

 そう思い出しながら、真緒は外出用の私服に着替えた。
 


 通りなれた道を歩きながら、真緒は若葉通り商店街の入り口にたどり着いた。
 時刻は午前10時29分。
 多少暖かくなったとはいえ、まだ少し寒さが残っている。
 真緒はモカ色のパーカーに水色のジーパン、黒と白のスニーカーといった姿のためか、今の気温でも快適に感じている。

「そういえば天気予報見ていなかったけど……雨、大丈夫かな?」

 空を見上げると若干曇り気味であり、青空は隙間から見える程度だ。
 周囲の人々に軽く目を向けるが、傘を手にしている人は見当たらない。

「考えすぎ、かな?」

 真緒は小さくつぶやくと、そのまま商店街の入り口前を通り過ぎていく。
 さらに三、四分ほど歩いていくと、やがて看板に「銀天堂」と書かれた建物の前にたどり着いた。
 銀天堂。
 そこは昔ながらの本屋だ。セルフレジが導入されつつある有名店とは違い、今でも店員がレジ対応している店である。在庫確認やプレゼントの包装といった対応も丁寧で、文具や小さな雑貨も販売していることから、このお店を利用する人も多い。
 真緒が店内に入ると、「いらっしゃいませ」と女性の店員から声をかけられた。

「えっと……あ、あった」

 文具コーナーを歩き、目当てだったピンク色のシャープペンと黒い芯を見つけた。
 近くに置かれていた小さな買い物カゴに入れると、他にも予備のノートや消しゴム等も入れていった。

(文具はこんなところかな。折角だし、本も見ていこう)

 一通り文具をカゴに入れた真緒は、そのまま書籍の置いてある棚に向かった。
 小説や雑誌、漫画の置かれた棚を次々と巡っていく。普段から読書が趣味というわけではないが、本を読むこと自体は嫌いではない。

(そういえば本屋に来て、きちんと本を見るのは久しぶりな気がする)

 程なくして、一つの棚の前に立ち止まる。
 そこはビジネス書や自己啓発といった種類の本が数多く並べられていた。

「へぇ、結構あるんだね」

 真緒が棚に置かれた本を軽く眺めていると、

『世界一わかりやすい! やりたいことの探し方』
『猿でもわかる、夢を持つ方法』
『自分に自信を持つには?』

といったタイトルが次々と目にとまる。
 試しに一冊を手に取り、パラパラと適当なページをめくる。そこには重要そうな語句が大きく書かれ、更に説明らしき文章や図解が並んでいる。

(これとか、わかりやすそう! でも結構分厚いし、全部読み切れるかな?)

 少し不安に感じた真緒は手に取った本を元の場所に戻し、他の本でも数冊、同じことを繰り返していく。

(こっちは文章だらけで難しそうだし、あっちは面白そうだけど値段が高い……)
 
 真緒はカゴを片手に持ったまま少し俯き、しばらくその場に立ち尽くしていた。

「おや、真緒さん?」

 不意に横から、聞き覚えのある声がした。

「あっ、和井さん!」

 振り向くとそこには、零之介が立っていた。
 昨日と違って黒い作務衣を着ており、手には文庫サイズの小説らしき本を一冊持っている。
「偶然ですね。お買い物ですか?」
「はい、文具を買いに来ていたんです。和井さんもですか?」
「えぇ、たまたま面白そうな小説を見つけましてね。真緒さんも、何か本を買われるおつもりですか?」
「えっと、その……ちょっと迷っていて……」

 真緒はどう説明しようかと困惑してしまった。
 そんな彼女の様子と本のタイトルを見比べ、零之介は少し考える仕草をした後に口を開いた。

「真緒さん、このあと少しお時間をいただけますか? もしかすると、あなたの助けになれるかもしれません」

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