『和ノ風 ~この街には物書きが住んでいる~ 』 第一話「そして二人は出会った」

※この物語はフィクションです。この物語に登場する人物、地名、組織名等は現実のものとは一切関係ありません。


 日本のM県に位置する梶宮(かじみや)市は、一言で表すなら「自然と文化が調和した街」である。
 古くから温暖な気候と心地よい風が吹く土地であり、山や海といった自然に恵まれている。一方、中心市街地はさまざまな商業施設で栄えており、特に週末は人通りも多い。
 何の変哲もない街、そこで暮らす人々の姿と笑顔。
 どこにでも当たり前のように存在する「普通」こそが、この街の日常を彩っている。

 これは、そんな日常に紛れ込んだ、ちょっと不思議なお話。



 桜が空を移ろう三月下旬の昼過ぎ。
 修了式を終えて午前中で下校となり、ブレザー姿の生徒たちが帰宅していた梶宮高校。
 その校舎の昇降口を通り、西田 真緒(にしだ まお)も帰り始めていた。
 外へ出ると、深紫色のミディアムショートヘアが風で静かに揺れる。また雲一つない青
空に浮かび太陽の光によって、彼女の瑠璃色の瞳が小さく輝いた。
 腕時計に目を向けると、時刻は午後0時34分を指している。
 用事があってしばらく学校にいたのもあり、他に下校している生徒の姿は見当たらない。
 出遅れてしまった真緒は校門を過ぎ、そのまま学校を後にした。



 住宅地へ出てから程なくして、真緒はおもむろに通学鞄から一枚の紙を取り出した。

「はぁ……」

 それを見つめるや否や、ため息を吐く。
 真緒が手にしているその紙は、白紙の進路希望調査票であった。
 彼女のクラス「1-A」の担任が春休みの宿題と一緒に渡したものだ。ちなみに宿題と同様、春休み明けに二年生へと進級した際、その新しいクラスでのホームルーム時に集められる。
 帰りの挨拶を終えた後、クラスの中には一部しばらく教室に残って、先ほどの進路希望調査票を書き終えてしまう人の姿が見られた。
 宿題を少しでも減らしたいため真緒も彼らを見習い、机に向かってシャーペンを握った。
 しかし、一文字も書けなかった。
 そして気づかされてしまった。
 
(私って将来、何をしたいか決まってない……)

 高校一年の期末テストの結果も良好、明日からは楽しみにしていた春休み。
 それまでの解放感と高揚感が、白紙一枚によって一気に不安で塗りつぶされてしまった。

「明日から折角の春休みなのに……」

 真緒は

「あっ、そうだ」

 暗く沈みそうになった気分を払拭すべく、真緒はとある場所へと向かい始めた。



 梶宮高校を後にしてから十分ほど歩くと、桜並木が広がる川沿いへ辿り着いた。
 土手に広がる緑には紋白蝶がひらひらと舞い、よく見ると木の枝にはメジロが留まっている。
 ここは梶宮市の中でも桜が綺麗なスポットのひとつ。そして真緒の密かなお気に入りの場所である。

「わぁ、綺麗……」

 真緒はそのまま歩き続け、目についた桜の木を背にして軽く腰掛けた。
 周囲を見渡すと川の向こう岸に咲く桜の花びらが散り、目の前を流れる川へと落ちていく。ふと目を閉じれば鳥の囀りや川のせせらぎが耳へと流れ、自然と心が癒されていくのを感じた。

「やっぱりここは落ち着くなぁ」

 目を閉じたまま、真緒は小さく呟いた。
 先ほど不安に駆られて暗くなっていた表情も、今は穏やかなものになっている。

「……さてと、帰りに何か食べて帰ろうかな」

 落ち着きを取り戻した真緒が立ち上がろうとした、その時である。

「あっ」

 伸びた草でよく見えなかったためか、真緒は足元にあった石に躓いてしまう。不運にもそのままバランスを崩してしまい、身体が川の方へ倒れそうになった。

(嫌っ! このままじゃ、川に落ちちゃう!!)

 直感的にそう感じ、真緒はキュッと目を閉じた。

 しかしいくら経っても、予想していた衝撃が襲ってこない。
 恐る恐る目を開けると、真緒はいつの間にか土手で尻もちをついていた。

「…………あれ?」

 状況が全く掴めず、しばらく真緒はその場で固まってしまう。
 今の一瞬で何が起こったのか、理解が追いつかなかった。
 
「ふうっ……お嬢さん、お怪我はありませんか?」
「へっ?」

 不意に、彼女の隣から男性の声が聞こえた。
 真緒は思わずそちらに振り向き、そのまま男性の姿を目の当たりにした。
 ふんわりとした黒茶色のマッシュヘア、前髪の一部は淡い黄色のメッシュになっている。 
 服装に関しては紺色の作務衣を綺麗に着こなし、墨色の革靴に似たものを履いている。
 縁の薄い眼鏡をかけており、その奥では山吹色の瞳が輝いている。
 男性は真緒と目が合うと、優しく微笑んだ。

「おっと、申し遅れました。僕の名前は零之介。和井零之介と申します」

 その時、一陣のやわらかな風が二人の間を通り抜ける。
 これが真緒と零之介の、最初の出会いであった。

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