『和ノ風 ~この街には物書きが住んでいる~ 』 第四話「奇妙な関係のはじまり」

 文具の会計を済ませた真緒は、零之介に続くように銀天堂の外に出た。
 数分後には午前11時を迎えようとしているが、灰色の雲が空を覆っているためか、日中にもかかわらずほんのりと薄暗い。

「雨が降りそうですね。真緒さん、どこか一息つけそうな場所をご存じですか?」
「うーん……あっ、それなら良いお店を知っていますよ! 案内しますね」

 そう言って真緒が先導し、街中を歩き始めた。
 二分と少しくらい経ち、やがてとある喫茶店の前にたどり着く。
 どこか懐かしさと異国情緒を感じさせるレンガ造りの外観が目を惹き、扉の近くには「本日のおすすめ」と書かれた文字やメニューが並んだブラックボードが置かれていた。

「この喫茶店です。『Cafe Smile』っていうんですけど、コーヒーもスイーツもおいしくて、お店の雰囲気も落ち着くんですよ!」
「ほほう、それは素敵ですね。早速入りましょう」

 今度は零之介が先頭に立ってドアを開けると、扉の裏に取り付けられた真鍮製のカウベルが来客を告げた。
 決して広くはない店内には木製のテーブルや観葉植物といったインテリアを中心に、優しく落ち着くような雰囲気で満ちていた。軽く見回すと二人掛けのテーブル席が四つ、カウンターには六脚の椅子が設けられており、客によって半分弱の席が埋まっている。

「いらっしゃいませ」

 程なくして一人の若い女性店員が出迎え、二人を店内のテーブル席まで案内した。
 それぞれ飲み物の注文を済ませると、外では小雨が降り始めていた。いわゆる春時雨というもので、窓から見える景色から小走りで消え去っていく人の姿がたまに見られる。

「お待たせいたしました。カプチーノと本日のおすすめブレンドです」

 程なくして先ほどの店員がカプチーノを真緒の前に、コーヒーを零之介の前に運んできた。「ごゆっくりどうぞ」と微笑んで一礼した店員が去り、二人は各々が注文した飲み物に口をつけた。

「んっ、美味しいですね。コクも苦みもちょうど良くて、僕好みです」
「ふふっ、気に入ってもらえて良かったです」

 真緒も一口つけた後、小さく笑みを浮かべた。

「さて、本題に入るとしましょうか」

 しばらくコーヒーを堪能し終えた零之介が、半分ほど中身の残ったカップを置いて語りかける。

「は、はい……あの、和井さん。その前にひとつ聞いていいですか?」
「おや、何でしょうか?」
「その……昨日知り合ったばかりの私に、どうしてそこまで良くしてくださるんですか? どうしても気になってしまって……すみません」
「いえ、謝ることはありませんよ。むしろ、当然の疑問です。世の中には甘いマスクや優しく巧みな口調と言葉で、若い女性を食い物にする不届き者もいますからね。傍から見れば、僕だってそう疑われても可笑しくありません」
「そ、そんな不届き者だなんて……」
「もちろん理由はいくつかあります。まず、何よりもこれのお礼です」

 零之介はそう言うと、懐から木製のお守りを取り出した。

「それって、昨日のお守りですよね?」
「ええ。このお守りは、僕にとって本当に大切なものなんです」
「なるほど、何か思い出の品とかでしょうか?」
「……詳しくは後ほどお話しします」

 一瞬だけ軽い沈黙が流れた後、零之介は再びお守りを懐に仕舞い、再び真緒に向き直った。
「次に、昨日の真緒さんの様子が気になったからです」
「私の様子、ですか?」
「昨日のうどん屋にて僕が『やりたいことをやっているだけ』と話した後、君の表情に陰りがあるのが見えましてね。それに違和感を覚えてしまい、どうも頭から離れなかったのです」
「違和感、ですか?」
「えぇ。真緒さん、あなたは昨日の時点では『明日から春休みを迎える』と言っていましたね? 普通の学生さんなら、その開放感や喜び、期待などから比較的明るい表情をみせることが多いはず。しかし、あなたからはそういったものを強くは感じず、むしろ何かしらの不安に押しつぶされそうになっている気がしたのです」

 零之介は無表情のまま淡々と話し続けていた。彼の話を聞いていた真緒も、

(す、すごい……あの一瞬でそこまで読み解いていたなんて……)

と心の中で驚きを隠せずにいた。まるで推理小説に出てくるような、名探偵のような印象すら受けてしまう。

「そして最後は……もしかすると不快な思いをさせてしまうかもしれませんが、あえてこう表現させていただきます」

 途中でカップの中身を飲み干し、再び口を開いた。

「真緒さん、あなたとは不思議な縁を感じました。恋愛とかそういったものではない、何かしら惹かれるもの……と表現すべきでしょうか? つまり、放っておけなかったのです」

 気づけば零之介の表情が先ほどの真剣なものから、初めて会ったときの穏やかなものへと変わっている。その変化を目の当たりにしつつ、真緒は直感した。
 この人は今、真剣に自分に向き会おうとしてくれている。更に邪な感じや恐怖、厭らしさといったものは一切感じない。

「……さん? 真緒さん?」
「えっ? あっ、すみません!」
「もし不快にさせてしまったなら、謝らさせてください」
「い、いえ! そんなことなんて全く……ただ」
「ただ?」
「こうやって真剣に私と向き合ってくれる人がいて、最初は珍しくて驚きましたけど、正直嬉しくて……」

 真緒も少しぬるくなったカプチーノに口をつけ、ふぅっ、と心を落ち着かせた。
 そして何かを決意したかのような表情になり、零之介の方に顔を向けた。

「和井さん、私の悩みを聞いてもらってもいいですか?」

 彼女の問いに対し、零之介は「どうぞ」と微笑んで頷く。
 それを合図に、真緒は昨日の進路希望調査票の一件や、先ほどの本屋で感じたことなどを話し始めた。途中で何度か言葉に詰まっても、目の前に物書きは穏やかな表情のまま黙って話を聞いている。
 やがて一通り話し終えたところで、真緒は最後にこう付け加えた。

「私には……自分が何をやりたいか、わからないんです」
「なるほど」

 零之介がそう呟いた後、左手の親指と人差し指を顎にあて、軽く目を閉じる。
 どうやらこのポーズは、彼が何かを考える際にとるものらしい。
 十秒近くの沈黙の後、彼はゆっくりと目を開き、真緒をまっすぐ見つめた。

「真緒さん」
「は、はい」
「もし僕でよろしければ、真緒さんの『やりたいこと』を見つけるお手伝いをさせていただけませんか?」

 彼からの意外な言葉に、思わず真緒は目を丸くした。

「そ、そんなことができるんですか?!」

 他のお客さんに迷惑を欠けないように声量を抑えながら、真緒は訊いた。

「えぇ。ただし、あくまで僕にできることはサポートだけです。最終的に見つけられるかどうかは、真緒さんの行動にかかっています」
「私の、行動?」
「具体的には今後、あなたに小さな課題を出していきます」
「か、課題!?」
「課題といっても、学校で出るような宿題とは違いますね。そしてその期限は課題によって変わりますが、ひとつずつ確実にクリアしてもらいます」
「な、なんだか大変そうですね……」
「そう身構えなくて大丈夫です。難しいものではありませんし、僕もヒントやアドバイスといった協力も惜しみませんのでね」
「な、なるほど。それなら安心ですね!」

一度は安堵した真緒であるが、一方で別の心配事が浮かび上がった。

「でも、和井さんもお仕事があるのに、なんだか申し訳ないような……」
「まぁ、そう感じてしまうのも無理はないですね……それならひとつ、僕からもお願いをさせていただきましょう」
「あっ、はい! 私にできることがありましたら、是非!」
「実は、僕には過去の記憶というものがほとんど欠けてしまっているんです」
「……えっ?」

 あまりにも突飛用紙もない発言に、真緒はその場で固まってしまう。

「覚えていることは、僕が『和井零之介』という名前の物書きで、この町に住んでいたこと。そしてこの和綴じの本や、先ほど見せたお守りがとても大切なものであるということだけです」
「そ、そういうことだったんですね」

 真緒は半信半疑なまま返事をしたが、零之介は気にする様子もなく続けた。

「信じるか信じないかは真緒さんに任せます。ただ、僕は知りたいんです。自分が本当は何者で、何のために生きているのかを……」

 言い終える頃には、零之介は窓の外に目を向けていた。しかしその表情はどこか寂しそうであった。

「だから一緒に探しませんか? 真緒さんは『やりたいこと』という未来への希望を、僕は失ってしまった過去を……いかがでしょうか?」

 彼は再び真緒に向き直り、手を差し伸べる。

「……はい! よろしくおねがいします!」

 そう言って真緒も手を差し出し、テーブルの上で互いに握手を交わした。
 気づけば外でも雨は止んでおり、雲の隙間から顔を出した日差しが二人のその手を照らす。

「さて、それでは早速始めるとしましょう」
「えっ? い、今からですか?!」
「もちろん、すぐにクリアしろという訳ではありません。書くものの準備はできていますか?」
「書くもの……えっと、ちょっと待ってください」

 困惑しながらも、真緒は先ほど銀天堂で購入したときのビニール袋を漁り、中からメモ帳とボールペンを取り出した。

「これで大丈夫です!」
「では改めて、僕から最初の課題を出しましょう」

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