夢幻台 2023/12/01 00:00

「襟を正して表舞台か、刺激を求めて裏路地か」 ~フリーゲームの向かう先とは?~

これは「ゲームにかかわる人が自由な記事を作る Advent Calendar 2023」12月1日の記事です。
https://adventar.org/calendars/9118

はじめに「あくまで個人の見解です」

「住み分けしたらいいんじゃないですか?」

 フリーゲームのダウンロードサイト最大手「ふりーむ!」の表現規制・審査が厳しくなったことについて、フリーゲームクリエイターさんが様々な見解を示していました。こんなに規制だらけになったらフリーゲームじゃない、そういった意見も多く感じます。結局、規制って一体何なんだろうな…?ちょっとモヤモヤしたこの問題に対して、自分個人の見解を書かせて頂ければと思います。アドベントカレンダーの初日を飾るにはちょっと暗い話題かも知れませんが、普段は気楽に作っている自分でもちょっと真面目に考えた方がいい話題でもあると思いました。これをキッカケにして考える方が少しでも増えたら嬉しく思います。

昔の「ふりーむ!」は本当に何でもアリだった

 自分自身が「ふりーむ!」を利用し始めたのは2003年。今から20年前になります。ID107番なので最古参といっても過言ではない部類だと思っています。当時は個人でゲームを作って公開する、いわばフリーゲームクリエイターというのは今と比べれば絶対数が少なく、趣味がゲーム制作というのはまだまだマイナーな趣味だったと記憶しています。そして「ふりーむ!」自体も決してメジャーなサイトではなかった。当時、フリーゲームのダウンロードサイトとして最大手だったのは「Vector」でした。かつて「ふりーむ!」と「Vector」の両方に同じゲームを置いた時、どこでこのゲームを知りましたか?というアンケートを取ったところ「Vector」の方が多かったのを覚えています。

 いわば「Vector」がメジャー、「ふりーむ!」がマイナーなサイトであったと言えるでしょう。そしてメジャーであった「Vector」は審査が割と厳しく、審査にも時間がかかり、細かな点で掲載見送りとなるケースも多々。一方で「ふりーむ!」は審査期間が短くて規制も緩く、比較的手軽にゲームが掲載できるという魅力がありました。ただしその「規制が緩い」が必ずしもいい方向に向かなかったのも事実で、中にはどう考えてもタイトルを見ただけでアウトな作品(今現在は公開停止していますが)も投稿されており、コメント欄に「ちゃんと審査して規制してほしい」(※実際にはもっと辛辣な書かれ方を
していましたがマイルドな表現に変更している点はご容赦ください)とまで書かれることも。まさに今現在起きている批判と真逆のものが寄せられていました。そんな批判を受けながらも、それでもお行儀の良い「Vector」では投稿できない「マイナーだから許される」直球で言えばお行儀の悪い作品でも掲載できるのは大きな魅力でもあったようです。

 「ふりーむ!」はその後、着々とダウンロードサイトとしての地位を確立し、今や最大手。フリーゲームダウンロードサイトとしての立ち位置もマイナーからメジャーへと変わり、在り方も変化が必要になったんじゃないかなと感じます。それ故に今回の規制強化は仕方のないことかもしれないな…と思っています。

「お行儀が悪い」は刺激的で面白い

 規制に関して色々な意見が飛ぶ中、シンプルに思うのは、お行儀が悪いのがダメなら、お行儀よくすればいいんじゃないの?という考えかもしれません。ところが皆が皆そうはいかない。全てに当てはまるとは思いませんが、お行儀が悪い作品は刺激的で面白いという側面があるからです。それを止められたら一気につまらなくなる。それは困る。そんな考えもあると思います。
 
 別ジャンルになりますが「最近テレビが面白くなくなった」という声を聞きます。その理由には「刺激が無くなった」が原因の1つだと思っています。「あれはダメ」「これはいけない」のオンパレードでテレビにもドンドン規制が引かれるようになり、お行儀の良さを求められ、かつての刺激的な番組が作れなくなったというのが大きいと思います。もちろんお行儀の良い面白い番組も、作ろうと思えば作れるのでしょうが、そのハードルは恐ろしく上がったと言わざるを得ません。これも時代の流れ、ちょっと安易な片付け方ですが「面白ければ何でもアリ」の時代はもう既に終わっているということになります。

フリーゲームが「これまでは」許されてきたワケ

 ではなぜテレビがこんなにも規制されるようになったのか。理由は大きく2つ。「多様性を認める世の中になり、少数派の思想にも配慮し、それらを傷つけると思わしきモノは慎むようになった」「テレビは不特定多数の方が観る一大コンテンツであり、上記の多様性を傷つける恐れが非常に高いから」この2つだと考えます。

 前者に関しては前述の通り「時代の流れ」なので逆らうことはできません。でもこれは全コンテンツに言える事でテレビやフリーゲームに限った話ではありません。ポイントになるのは後者で「多くの方の目に留まるコンテンツ」である事だと考えます。逆に言えばマイナーなものであれば、最低限のルールはあれど、そこまでの規制は引かれないんじゃないのかなと思っています。フリーゲームに限らず市販ゲーム自体もまだまだマイナーなジャンルであった初期ファミコン時代は、今では絶対修正されそうな表現が使われているゲームがあったのも事実です。リメイクの際に修正対象になったものもあります。その後ゲームは一大コンテンツとなり、CEROレーティングも行われ、市販ゲームは襟を正しお行儀の良さが求められるようになりました。そうでない作品はレーティングでしっかりと住み分けがされる、店舗なら置き場所も分けるようになったのです。

 一方でフリーゲームはまだまだマイナーコンテンツの側面が強く「フリーゲームだから許される」過激な表現も多く出回る時代『でした』。でも今は違う。登録作者数10000越え、ゲーム登録数30000を超える「ふりーむ!」を見ても分かる通り、フリーゲームの文化はもはや1マイナーコンテンツではありません。フリーゲームだから、マイナーだから許された時代はもうとっくの昔に終わったと思っています。

「メジャーになるなら襟を正せ」の流れはフリーゲームだけではない

 この、コンテンツがマイナーからメジャーになるにあたって襟を正さなければならない流れはフリーゲームに限った話ではありません。記憶に新しいものとして、eスポーツ・格闘ゲーム部門における不適切発言が問題になったことがありました。その時に、もちろん全部が全部ではないですが「もともとこのジャンルにはそういう煽りの文化があったのに、それが無くなるのは何だか寂しい」という、自分からすれば意外な意見があった事に驚きました。自分はアーケードで格闘ゲームをやっていた経験もあるので、そういうある種の煽り、行儀の悪さも1つの文化としてある事は知っていました。中には表でやったらダメだよね的な言動も多かったと思います。本当は裏でもダメなんですが、表に出ていないから許されていた(ように見えていた)形になっていました。そしてそこには表では体験できない圧倒的刺激がある。そこに大きな魅力があったのにそれが無くなるのは寂しいし嫌だ、という気持ちも分かる気がします。
 
 メジャーになるなら襟を正さなければいけない、でも襟を正すという行為は本来あった文化の否定にも繋がる。そしてそれはもの凄くつまらなくなる可能性、というか危険性を含んでいる。だったらメジャーになんかならない方がいい、人目に付かない裏路地で、お行儀を無視して圧倒的な刺激を得る。そこに快楽を見出す、それが楽しかった人にしてみれば表舞台に出て、その刺激に規制がかかることは迷惑極まりない状況なのかもしれません。

表舞台か裏路地か、フリーゲームが向かう先は?

 メジャーな表舞台に出るなら襟を正し、お行儀良くしなければいけない。それが嫌ならマイナーなコンテンツのまま、刺激を楽しむ道があってもいい。冒頭の「住み分けしたらいいんじゃないですか?」これが自分の見解での1つの結論になります。

 最近は傾向も変わってきているみたいですが、動画サイトの例で言えば「Youtube」がお行儀の良いメジャー側、「ニコニコ動画」がお行儀無視のマイナー側だったような気がします。フリーゲーム掲載サイトでもかつては「Vector」がメジャー側、「ふりーむ!」がマイナー側だったのは先ほども述べましたが、時代を経て「ふりーむ!」がメジャー側になった。だったらやはり襟を正し規制するべきはキチンと規制するのは当然の話だと思います。そしてそれに合わせて、空席となったマイナー側のサイトがあってもいい。メジャーな「ふりーむ!」では掲載できない、お行儀の悪い刺激的なゲームが掲載できるサイトが必要なのかもしれません。

 そしてゲーム制作者は自分の作品や嗜好に合わせて掲載サイトを選ぶ。結果としてそれらが向かう先がどうなるのかにはちょっと興味があります。襟を正して表舞台か、刺激を求めて裏路地か。フリーゲームが向かう先はその作者次第。要は全部自分たち次第だと思うのです。

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