表情差分はどう描かれるべきか
・まえがき
え!? ふゆみがこんな短期間に二回もCi-en更新を!?
……というのは置いておいてこの画像を見て欲しい。
左の画像に比べて、右の画像が目や口元を四角くコピペされた後が目立つのがわかるだろうか。
それもそのはず、こんな感じで雑に基本となるイラストから、別のイラストから差分を作ろうとしているためである。
上の画像はそれほど目立たなかったが、
(絶妙にダサい部屋着を頑張って生成した)
下に関しては実際に使うだろう解像度に落としてもわたしには四角いラインが見えてしまったので「これではいけない!」と思ったのである。
……えっと、何がいけないんだろう?
もちろん複数のイラストを継ぎ接ぎした跡が見えることである。これではイラスト単体の調和が崩れてしまう。
問題を解決するには、加工を細かくして違和感を減らすのが第一候補となるだろう。
ただAIにイラストを作ってもらっているので、
こんな感じに表情部分だけを適当に塗りつぶして差分を作ってもらっている。
そのため、塗りつぶされていない箇所は基本となるイラストと同一である。
なら、表情を目や口元のパーツでバラバラにして貼り付ける必要は無く、差分ごとに頭だけ入れ替えば良いのでは?
実際違和感はそんなに無い。
ここで基本となる画像と、頭部だけ入れ替えた画像を並べてみる。
やはり違和感はそんなに無いと思う。
実際、表情に関係無く変化して違和感に直結している箇所は、
髪の毛の描かれ方、瞳、肌の色、線の太さ だろうか。
……。
……何がいけないんだろう?
この辺りまで思考を纏めた段階で警報が鳴り始める。
何を基準に良いと悪いを識別しているのか。
わたしは長時間同じ画像を見続けた結果、ゲシュタルト崩壊し甲乙を付けられなくなっているのか。
AIイラストだから良い理由、AIイラストだから悪い理由を後付けしようと頑張っているようにすら思えてきた。
ただ、この違和感が"何を基準に良いと悪いを識別しているのか"に基づく物であれば、今までがそうであったからと慣習に基づき思考を放棄しようとしているのではないか、それをハッキリさせるためにも文章として書き出して整理するべきだ。
そうして書き出したのであればCi-en更新のネタにもなるし、この観点が良いものであれば記事として人の目につく段階で誰かに役に立つかもしれない、わたしの問題点を指摘してもらって客観視できる機会かもしれない……そう思い立ってこうしてCi-enを短期間で更新することになったのだった――。
・おぉ! ほんぶんよ!
長いまえがきだった……。
もっかい問題を見つめなおそう。
この画像のように、頭部を丸ごと入れ替えて生じる違和感、
1.髪の毛の描かれ方
2.瞳、肌の色
3.線の太さ
これからは良いものなのか悪いものなのかを定義しよう。
1.髪の毛 に関しては、眉、目、口の三点が変わっているのにも関わらず、髪の毛が不動のままだと違和感があるというのが真っ先に出てきた意見。
ただ"現実的に"考えるとそれが自然というのが思考の根本であり、画像素材としてデフォルメされた描写と考えると、髪の毛が動いてしまうとほか動いていない個所にどんどん違和感が生じていくので、なるべく必要な個所を最小限合理的に動かすことがベストに思える。
(
ちなみに余談なのだが、
AIイラストで立ち絵を生成する場合、表情ごとにポーズが変わるようなイラストの設計にするほうが良さそうという意見が既に存在しているのを見つけているのだが、
1.必要以上に動くわりにはメリットがあまり存在しない
2.現状、AIの技術として、服の柄など細かいパーツの固定化が難しい
という問題点を無視出来ないと思ってわたしは採用を避けた。
)
2.瞳、肌の色 の変化に関しては改めて気づいて驚いたというか、感情によって血行が変わった結果、肌の色は変化するだろうに、デフォルメされた文化で違和感を覚えなくなっていたというのが一点。
瞳の色に関しては感情の変化によって揺らぎようのない個所ではあるのだが、表現として感情により変化するものではない、そう思い込んでいたことに驚いた。
たとえば怒りを覚えている表情ならば、明るい色になって攻撃的なイメージや、喜んでいるなら鮮やかな色に変化する表現手法があっても良いと思ったのだが、これと言って採用されたケースを具体的に思い出せない。
この驚きが、既に劣った表現として淘汰され忘れられた結果なのか、新しい技術だからこそ出来る新しい表現の一つなのかは今はわからない。
3.線の太さ に関しても感情によって揺らぎようのなく、また絵柄や雰囲気に大きな影響を与えて慎重に扱わなければ問題が生じるポイントだと思う。
ただ現状、わたしの気持ちとしては、感情描写、その表現として変化して構わないポイントに感じている。
ゲームの立ち絵としては見たことないが、ゲームのスチルや漫画の表現としては十分に見る表現であるため。
ともあれ、思考の前面に理屈よりも感情が強く出始めているため、今回AIが行った新しく、既存の文化から足を踏み外した行為は実在するのだろうか。
少なくともそれは、過去の作品達を見直せばわかることではないかと思って一旦クールダウン。
とりあえず自作から二つ。
あとパッと出せる画像としてアスタタから。
共通してベースとなる画像の肌の色から変わらず、大きく変わったとしても頬を染めたり、青ざめているエフェクトを必要な画像に後から乗せるパターンが基本みたいだ。
不要な労力を削減し、表情によって血色は変えず、必要になったらあとから追加するレイヤーで何とかする、が主。
現実的かそうではないかで言うと非現実的、だけれどデフォルトされた文化が根付いているため違和感には繋がらない。
他にも同作品の別のキャラだったり、立ち絵システムが基本的に搭載されているソシャゲや、商業エロゲなどをリリース時期がばらけるように見てみたが、基本となる理念自体は大きく変わらないようだ。
現実的かどうかといった判断軸や、3Dと2Dの狭間を思考して泳いでいる感じが強い。
実際AIは感情を表すのに記号的なレイヤー処置は使わず、一枚のレイヤーに機械由来の無尽の力を注いでいる。
とすれば、動かないにしてもLive2Dなんかの技術に近いところがあるのか色々と見てみたが、技術3D止まりのLive2Dは立ち絵と基本理念は大きく変わらないようだ。
ただ興味深い発見があって、
『メメントモリ』のナターシャは前髪が揺れる度に影の位置がずれるのだが、ガルムはそもそも前髪の影が存在しない。
これが違和感やネガティブな感情に繋がるかと自問するとそうでもなくて、割とどっちでもいい。
この感想は、表現の手法に現状甲乙つけられなくとも、同一作品では別のキャラだとしても同じルール、理念を適応した方が良いだろう、というわたしの仮説の評価を下げた。もうよくわかんない。
実際Live2Dで動く立ち絵、ふわふわと曖昧なタッチで描かれているイラスト、そこから感じる雰囲気ということで、細かな差異は気にならなくなっているのかもしれない。
その感覚をそのまま自作の立ち絵に持ってこれるのか、という問いに関しては慎重に扱うべきという価値観自体は揺るがないのだが。
・おわり
そろそろ締めます。
……え、結論? 無いが????
AIという新しい技術、手法で作品を作るのであれば、今まで扱って来た既存のフォーマットに無暗に従うのは危ないと思ったし、そのフォーマットがコスパの良さで丁度いい落としどころではあるものの、コスト掛けた手法、まぁ加工方法程度なんだけど、そこへ簡単に舵を切ってもただでさえAIイラストで違和感大きいだろうに、より重ねると実際メリットが大きかったとしても時代に歯向かって今じゃない表現方法になると思う。
ふゆみの感覚で言えば、写実的に近しい頭から上を交換する加工方法のほうが超絶楽だし、表現としても優れているように思うのだが、そもそも三時間以上画像を見ながら自問自答を繰り返しているので今日はゲシュタルト崩壊で使い物にならない感覚だと思う。
後日、ふと見たらなにわけのわからないことで悩んでるんだってなって、この記事が消えているかもしれない。
というか今日体調悪いから作業どうしよう、頑張っても早めに切り上げたほうが無難かなと思ってたら、もうとっくに三時間過ぎてるので慌てながらテキスト打ち続けてる。
さいごに!
こうした終わらない自問自答を続けながら、これでいいのかなって悩みつつも作品をリリースして、反響を貰って是非を噛み締める、それを繰り返し続けるのが創作だって常々感じているので、今回はそれをある程度まとめて吐き出せて良かったなと。大体いつもこんな感じ!