「アクアファンタジア」~4月の短編ファンタジー

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「書き順が違う! 漢字もまともに書けないのか!」
 送り先の住所なんて自分で書けばいいのに人に書かせておいて、ずっと文句を言っている。
 50代前半だろうか。医者だそうだ。
「何謝りもしないですませてんの? こっちは客だよ」
「申し訳ありません」
 この大型電気店は全国展開しているけれど、水菜が勤めているW店は客のクレームがかなりひどい。
 東京の高級住宅街にあって客層は金持ちが多いのに、クレームがひどいのだ。
 目の前の客も医者だそうだけれど、ねちねちと30分も怒っている。
 昨日は弁護士だった。
 ようやく医者が帰って、先輩が声をかけてくる。
「嫌な客だったね」
 声が大きく雑な上司は苦手だったけれど、それ以外の従業員の人たちはみないい人たちだ。
 けれど、客がひどすぎた。水菜は四大を出てこの系列会社に入りこの店に配属された。もう四年たつ。
 限界だった。
 でもここを辞めても、再就職先がみつかるかどうか。
 学生時代に就職活動した時も、なかなか受からなかった。ここは卒業まぎわの四年生の1月にようやく受かった会社だった。最初に高望みしたのが失敗のもとだったのかもしれない。水菜はまじめだけれど、今一つ要領よくできないのだ。
 ため息をつきながら、後片付けをして夜九時近くに店を出た。
 夜も10時を回ってマンションの最寄り駅に着き、夕飯を買うためにスーパーに向かった。すると途中に、花屋が開いていた。
「こんなに遅くに花屋さん?」
 そこは、短期でいろんな店が入るテナントだった。たいていはバッグ屋だったり服屋だったり雑貨屋だったりする。
 ぱっときれいな水色の花が目についた。
 水菜は名前のとおり、水色が好きだった。
 手のひらくらいの大きな花が一つ咲いている。花びらが大きく、まるで水のように柔らかそうな花だ。他のつぼみはない。
 思わず見とれていると、奥から女性が出てきた。
「きれいでしょう」
 40歳くらいだろうか。長いやわらかなウエーブの黒髪が似合っている。美人だ。
「あ、はい」
「アクアファンタジアって言うのよ」
 名前もきれいだが、初めて聞く。
「この花ね、一つしか咲かないんだけれど、五月終わり頃まできれいに咲いていてくれるのよ」
「そうなんですか」
「ええ。多年草だから、花が散っても大事にしてあげればまた来年4月になったら咲くわよ」
「へえ」
 値段の札は1000円と書いてある。安いのではないだろうか。
「手入れも難しくないわよ。窓際において、土が乾いてきたら水をあげればいいだけ」
 それなら水菜にもできそうだ。
「それにね」
 女性が水菜の耳元にそっと口を寄せた。
「あなたの嫌いな人を食べてくれるわよ」
「え?」
 驚いて女性を見た。今、食べるって言った?
 女性がにこやかに笑う。
「ふふふ。そんなおまじないがあるのよ。あなたの嫌いな人の名前を書いた紙をこの花に寄せると、その人を食べてくれるっていうおまじない」
 今日の嫌な医者をこの花が食べてくれたらいいのに、と水菜はまじめに思ってしまった。そのくらい嫌だったのだ。昨日の弁護士も。
 水色の大きな花が、まるで水のように揺れた。
 水菜はその花を買った。 


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